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ピーター藤・和子

2016年3月15日火曜日

すべての人間関係の問題が解決する秘訣

起:
   親子関係、夫婦関係、職場の人間関係、パワハラ、セクハラ、イジメ、学校での人間関係、虐待など全ては人と人の関わりが問題になっています。それを解決できたら社会のほとんどの問題はなくなるのではと感じるほどです。その解決の道は果たしてあるのでしょうか。

  承:
聖書は神と人との関係と人と人との関係についての神の定めを示しています。

    旧約聖書の中に出てくるモーセの十戒は古い定めと言えます。解りやすく言えば「・・しなければならない」「・・してはならない」という内容です。

   これに対してキリストは新しい定めを示されました。
「わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。」(ヨハネによる福音書 13:34)

人間関係の解決の秘訣を見てみましょう。

転:
    1:愛し合うことにより

キリストは新しい人間関係の定めを「愛し合うこと」と言われました。愛という言葉は日本語では一つですが、新約聖書では少なくても3つの愛が出てきます。

  一つは男女間の愛・肉体の愛を表すエロスで、二つめは心のレベルの友情・兄弟愛を表すフィレオで、今一つは無条件の神の愛を表すアガペです。上記の聖句で使われている「愛し合いなさい」はアガペの愛が使われていますから「あなたがたは神の愛で愛し合いなさい」ということになります。

   新約聖書では神の愛・アガペの内容を四つ挙げています(第一コリント13章7節)。

1:相手の全てを受け入れる

2:相手の全てを信じる

3:相手の全てを期待する

4:相手の全てを我慢する

の四つです。

   キリストは人間関係において「目には目を、歯には歯を」という報復律や罪刑法定主義といった人々を束縛する定めによるのでなく、限りなく寛大・寛容な慈愛に満ちた心で互いに対応するよう言われているのです。

   2:アガペの愛を得ることにより

   しかし、人間にはそのような無条件の愛・博愛は持っていません。持っていないものをあげることはできないのです。

   その博愛はどのように得ることができるのでしょうか?

    聖書には「神は愛である」(神はアガペです)と書かれています。

   アガペの愛は神が私とあなたのためにそのひとり子であるキリストをくださり、キリストは私とあなたのために十字架の上で死んでくださった、その歴史的な事実により神の愛・アガペが示されたのです。

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3:16)

「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。」(ヨハネの第一の手紙 3:16)

キリストを人生に心の中に受け入れることでアガペを得ることができます。

3:アガペの愛に生きることにより

   イエス・キリストはそのアガペを持って生きられました。アガペを具体的に示され、アガペを語られ、アガペで死なれたのです。

「『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。求める者には与え、借りようとする者を断るな。『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」(マタイの福音書5章38~48節)

「しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。あなたに求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪う者からは取りもどそうとするな。人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。また返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとして、仲間に貸すのである。しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。」(ルカの福音書6章27~37節)

「されこうべと呼ばれている所に着くと、人々はそこでイエスを十字架につけ、犯罪人たちも、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。そのとき、イエスは言われた、『父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです』。人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。」(ルカの福音書23章33、34節)

    法の世界では、同一の法律関係について新しい法律ができた場合には新法を適用するというのが原則で、これは新法は旧法よりすぐれたものと考えられるからです。

   正義を主張したり、何が正しいかでなく、少し自分に死んで相手を生かせてあげてみよう。

 

結:
 1「せよ、するな」という束縛で人を縛り付けるのでなく受け入れ、信じ、期待し、我慢できる人になりましょう。
 2 アガペを語るだけでなくアガペに生きる人になりましょう。

あなたがそのように生き始めるとき人間関係は不思議なように解決へと向かうことでしょう。

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