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ピーター藤・和子

2016年3月15日火曜日

韓国ではかつて多くの方々が貧しく主よ、と叫びながら、断食や徹夜や早天の祈りをして偉大な供給者である神に祈り求め、そして今ある繁栄を得たのだ。
    しかるに、今は立派な会堂を作るために、神にではなく銀行に願い込み、何とか建てた後は借金の返済で自分の教会の礼拝にも出れず、癌で死んでいく程苦労している牧師が少なからずいると二人の副牧師が語った。ジョージ・ミュラーはお金の為に銀行回りはしなかった。そういう時は自分の部屋に入って偉大な供給者に祈ったのだ。聖書は借金をするな(ローマ13:8)と戒めているが、この神の定めはこの国でも蔑ろにされているようだ。
    博士号を持つ牧師が求められ、大きな教会こそ素晴らしいとされ、宣教活動の評価は2,3年間で結果を出すことが求められ、成果の見えない国への支援は打ち切られていくらしい。
     神への信仰ではなく、経済力と名誉と人の数が基準になるのは神の心と願いとはかけ離れているのではなかろうか。「主の目はあまねく全地を行きめぐり、自分に向かって心を全うする者のために力をあらわされる」(第二歴代16:9)。真の教会を建て上げるためには反面教師として写って仕方がない一日であった。韓国の教会が真の世界の模範的な教会となっていくように祈ろう。

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