ブログ表紙

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ピーター藤・和子

2016年3月15日火曜日

東京電力の広瀬社長は社員に向けて訓示し「福島の責任をこれからもしっかり果たしていくことが原点だ」と語った▼東電は福島第一原発の廃炉費用として1兆円を引き当て、将来更に1兆円必要になると見込む。既に個人や法人に支払った賠償金は約6兆円に上るが、今後7兆円以上に膨らむ見通しだ▼一度原発事故が起きると巨額な出費があると見聞きしながらも、日本の電力会社がこぞって一基4000~5000億円(火力発電所の3倍) もする原発をなぜ作るのか。理由はいくら高額な投資 になってもその全てかかった分だけ電気料金に上乗せできるからだ。しかも毎年国から5000億円もの補助金が出る。日本の電気料金は世界一高いと言われている。原発を作るれば作るほど電力会社は儲かる仕組みになっている▼確かに多くの原発を作れば関係者は大いに富を得るだろうが、予想されている巨大地震で大きな原発事故になり家族や本人や顧客達が被曝したり死んでしまったら元も子もないのではあるまいか。「人が全世界をもうけても、自分自身を失いまたは損したら、なんの得になろうか」(ルカによる福音書9:25)
孫娘の唯祝(いのり)1歳8ヶ月が退院した▼1週間の予定だったが、皆様のお祈りと神の助けにより3日早くなった。母親も体調回復した▼病院食もいつも完食し、親もその出される食事から今後の食事作りのヒントを多く得た。看護婦さんの扱いや同室内の他の泣く子や様々な音の中で鍛えられたくましくなってきたと母親が言う▼こんな幼児でも全てを益にしてくださる神は、なおのこと私達が出会う全ての困難をも成長に変えてくださるに違いない▼「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」(詩篇 119:71)
4にまつわる神の恵み

4は日本では死に繋がると忌み嫌われる数字であるが、聖書の世界では神の恵みの十全性を表す▼神の恵みはイエス・キリストを賜った事に表されている。あなたと私に対する神の愛は、全てを受け入れ、全てを信じ、全てを期待し、全てを我慢してくださる神の愛アガペの四つの本質に現れている(第一コリント13章7節)▼モーセの幕屋の入り口に青銅の祭壇は正方形であったが、それは神の罪過に対する裁きをキリストに負わされた事を示していてキリストを通してでなければ誰も神の元に近ずけない事を物語っている▼旧約聖書は律法・歴史書・預言書・詩書に、新訳聖書は福音書・歴史書・書簡・預言書に分けられる▼エゼキエル書の4つの顔の霊的な生き物が出てくる。それは獅子の顔・鷲の顔・人の顔・牛の顔である。それはイエス・キリストを示し、獅子は王を、鷲は勝利者を、牛は罪過のために屠られる生贄を、人は人となられた神の子であることを表している。新約聖書のマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの四つの福音書の記者はそのようにイエス・キリストを描いている▼人類の歴史は族長時代・律法時代・恵みの時代・千年王国の四つあるが、今は恵みの時代で神はあなたと私が神の恵みを溢れるばかり受けて他の人々に流していくよう願っておられるのである。
テナーサックスの音

サックスは音が命だ▼世界一流のテナーサックス・プレイヤーがこぞって欲しがる楽器は1954年に発売されたアメリカン・セルマー・マーク6のシリアル番号が80000代で程度の良い楽器は2,000,000円もする▼私の楽器は殆どがSecand Handsだがそれぞれ個性的な音がする。CONNは87年前の楽器で吹き抜かれほぼ全てのメッキが無くなっているが最も気に入っている。シルバーソニックのKINGは明るく、CanonBallは力強く、CONNは野太く、エルクハート・モデル6はセルマーように華やかだ▼エルクハートモデル6はアメリカンセルマーマーク6の5桁に匹敵する楽器で日本の大井上氏が台湾にいるかつてのセルマーの職人に作らせた楽器に特殊調整を加えて開発した傑作で音源を聞き比べても区別がつかない程いい音色だ▼サックスの音はマウスピースによってもリードによっても音が異なる。Playerは曲想により楽器を替え、マウスピースを替え、リードも替え、聴衆を感動させ、泣かせ、楽しませる▼まして、神はご自身の心や願いを私たちに伝えるために、様々な個性豊かな神のしもべ達をお用いになるに違いない。
アーモンドの花

モーセの幕屋の聖所にある純金の燭台はアーモンドの花の模様や蕾や萼が打物で作られていた▼アーモンドは見張るという意味がある。年若い預言者エレミヤが神に召し出された時神はアーモンドの枝を見せられて神が見るものを彼が見ることを求められた。「主の言葉がまたわたしに臨んで言う、『エレミヤよ、あなたは何を見るか』。わたしは答えた、『あめんどうの枝を見ます』。主はわたしに言われた、『あなたの見たとおりだ。わたしは自分の言葉を行おうとして見張っているのだ。』」(エレミヤ書 1:11-12節)▼キリストが見るように見るとき、キリストが聞くように聞き、キリストが語るように語り、キリストが行うように行うことができるのである。
音と息と霊と命

私はサックスを吹く。ルイ・アームストロングはあの枯れた声で人々の魂を揺るがせた。歌手の森進一も青江三奈も枯れた声でファンを魅了している▼声は息と声に分かれるが息のない声はない。音声の残像は息である。サックスの音も同じである。息が出て音に、音が消えて息になる。息は音の一部である。▼吹奏楽を極めようと研鑽を積む人は楽器の音にこだわる。自分の納得する音、聴衆を感動させる音、シビレさせる音、泣かせる音を出そうと日夜努力する▼ところで聖書では息と霊は同じ語源で「るーあっは」という。創造主が土から作られた人の肉体に魂(心)が据えられ、それに命の息を吹き入れられると人は生ける存在になったと創世記(2章7節)に記されている。息はその人の命そのものであり、その人の存在の最も重要な根幹である▼神の霊は感動や命の躍動や希望や愛を人にもたらす。人が神の命と霊に満たされて歌いあるいは演奏すると神の息がその息や歌や楽器の音色を通して聴衆に向かい流れていく。人々は生きる力を受け、愛を感じ、至高の安らぎと満足に浸るのである。あなたも私も神の楽器である。
すべての人間関係の問題が解決する秘訣

起:
   親子関係、夫婦関係、職場の人間関係、パワハラ、セクハラ、イジメ、学校での人間関係、虐待など全ては人と人の関わりが問題になっています。それを解決できたら社会のほとんどの問題はなくなるのではと感じるほどです。その解決の道は果たしてあるのでしょうか。

  承:
聖書は神と人との関係と人と人との関係についての神の定めを示しています。

    旧約聖書の中に出てくるモーセの十戒は古い定めと言えます。解りやすく言えば「・・しなければならない」「・・してはならない」という内容です。

   これに対してキリストは新しい定めを示されました。
「わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。」(ヨハネによる福音書 13:34)

人間関係の解決の秘訣を見てみましょう。

転:
    1:愛し合うことにより

キリストは新しい人間関係の定めを「愛し合うこと」と言われました。愛という言葉は日本語では一つですが、新約聖書では少なくても3つの愛が出てきます。

  一つは男女間の愛・肉体の愛を表すエロスで、二つめは心のレベルの友情・兄弟愛を表すフィレオで、今一つは無条件の神の愛を表すアガペです。上記の聖句で使われている「愛し合いなさい」はアガペの愛が使われていますから「あなたがたは神の愛で愛し合いなさい」ということになります。

   新約聖書では神の愛・アガペの内容を四つ挙げています(第一コリント13章7節)。

1:相手の全てを受け入れる

2:相手の全てを信じる

3:相手の全てを期待する

4:相手の全てを我慢する

の四つです。

   キリストは人間関係において「目には目を、歯には歯を」という報復律や罪刑法定主義といった人々を束縛する定めによるのでなく、限りなく寛大・寛容な慈愛に満ちた心で互いに対応するよう言われているのです。

   2:アガペの愛を得ることにより

   しかし、人間にはそのような無条件の愛・博愛は持っていません。持っていないものをあげることはできないのです。

   その博愛はどのように得ることができるのでしょうか?

    聖書には「神は愛である」(神はアガペです)と書かれています。

   アガペの愛は神が私とあなたのためにそのひとり子であるキリストをくださり、キリストは私とあなたのために十字架の上で死んでくださった、その歴史的な事実により神の愛・アガペが示されたのです。

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3:16)

「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。」(ヨハネの第一の手紙 3:16)

キリストを人生に心の中に受け入れることでアガペを得ることができます。

3:アガペの愛に生きることにより

   イエス・キリストはそのアガペを持って生きられました。アガペを具体的に示され、アガペを語られ、アガペで死なれたのです。

「『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。求める者には与え、借りようとする者を断るな。『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」(マタイの福音書5章38~48節)

「しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。あなたに求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪う者からは取りもどそうとするな。人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。また返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとして、仲間に貸すのである。しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。」(ルカの福音書6章27~37節)

「されこうべと呼ばれている所に着くと、人々はそこでイエスを十字架につけ、犯罪人たちも、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。そのとき、イエスは言われた、『父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです』。人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。」(ルカの福音書23章33、34節)

    法の世界では、同一の法律関係について新しい法律ができた場合には新法を適用するというのが原則で、これは新法は旧法よりすぐれたものと考えられるからです。

   正義を主張したり、何が正しいかでなく、少し自分に死んで相手を生かせてあげてみよう。

 

結:
 1「せよ、するな」という束縛で人を縛り付けるのでなく受け入れ、信じ、期待し、我慢できる人になりましょう。
 2 アガペを語るだけでなくアガペに生きる人になりましょう。

あなたがそのように生き始めるとき人間関係は不思議なように解決へと向かうことでしょう。
孫の唯祝(いのり)1歳8ヶ月が離乳食がうまく進まず脱水症状になり大学病院に入院した▼生まれた時も529gと超未熟児だったので5ヶ月間も乳児の集中治療室で過ごしていた▼やっと両親の愛情たっぷりな生活が落ち着いたところだったが、また孤独で寂しい時を過ごす。妻と面会に行き数時間一緒にいたが、点滴の針の痛さか母親に会えないからかよく泣きまぶたが腫れた▼母親は胃腸炎で二、三日面会に行けず私達祖父母と父親が面会時間ギリギリまで一緒に過ごす▼点滴を受けながらも命に溢れ輝いて泣きながらも動き回っていて、妻と息子である父親と交代で相手をしていても疲れる。いのちは素晴らしい。キリスト者もどんな状況でもキリストのいのちに輝いて生きたいものである。
毎日少しづつ食べたい乳と蜜の流れる地の果物ーいちじく

「不老長寿の果物」といわれるほど美容・ダイエット効果が期待できる。実も葉も薬効と栄養価が高い果物である。

1  アンチエイジング効果
ポリフェノールやアントシアニンや抗酸化物質を豊富に含むので細胞の老化を防いでくれ、体内に発生した“活性酸素”を消去する働きがあり、美肌や老化防止にも効果的である。アントシアニンの機能としては、目の明暗の調節、抗炎症、毛細血管強化などがある。

2  女性の更年期障害予防効果
いちじくは、女性ホルモンのエストロゲンに似た成分を含み、更年期障害予防に有効である。

3  がん予防効果
イチジクの果汁から抽出した抗ガン物質「ベストアルデヒド」は癌細胞を麻痺させる。特に前立腺ガンに良く効くそうである。イチジクを常食している地方は癌の発生が少ないという報告がある。

4  便秘解消効果
いちじくには、ペクチンという水溶性食物繊維が豊富な果物だ。その量はリンゴやいちごのおよそ1.5倍。食物繊維は腸内をきれいに掃除し腸の働きを促す効果がある。

5  健康増進効果
イチジクは脂質が少なく、コレステロールがなく、低カロリーである。主要な栄養成分は糖で、その殆どがブドウ糖や果糖で、ショ糖が少ないことが知られている。有機酸は0.3%前後と低く、その殆どがクエン酸だ。無機成分はカリウムが最も多く、次いでカルシウム、リン、マグネシウム、ナトリウム、鉄などの順だ。このうち、カルシウムはほかの果物に比べて多く含まれている(生果200グラム当たり52ミリグラム、乾果同260ミリグラム)。果物を食べる動物の多くは他の果物が豊富にあっても、イチジクを好んで食べることが知られている。これは鳥類が産卵したり、動物が成長するために必要なカルシウムを摂取するためと推定されている。カリウムは身体からナトリウムを出す働きがあるため、高血圧予防に効果がある。

6  その他
葉の根元を折ると、そこから白い乳のような液が出てくるが、この粘り気のある液体には、皮膚や筋肉をやわらげたり、なめらかにしたりする効果がある。
塗布薬として、痔の患部に直接この汁を塗ると、傷の治りが早くなる。
また、手足の荒れやひじ、かかとが角質化して硬くなったときは、いちじくの汁を塗ると良い。1週間もすると、ガサガサ、ゴワゴワしていた皮膚に潤いが出てくる。いちじくの汁は、実をしぼり器でつぶして取る。ウオノメやタコは、1日に数回、2週間ほど塗り続ける。ウオノメなら芯が自然に落ち、タコもやわらかくなって治る。水虫にも、この汁を日に数回塗ることで症状が改善される。ただし、かなり根気よく続けないと、完治させるのはなかなか難しい。

「ついに彼らはエシコルの谷に行って、そこで一ふさのぶどうの枝を切り取り、これを棒をもって、ふたりでかつぎ、また、ざくろといちじくをも取った。」(民数記13:23)

「また彼らはほしいちじくのかたまり一つと、ほしぶどう二ふさを彼に与えた。彼は食べて元気を回復した。彼は三日三夜、パンを食べず、水を飲んでいなかったからである。」(サムエル記上 30:12)
市原市の若枝家庭集会は毎週火曜日に、所属する教会が違う七つの家庭の姉妹たちが集い神の恵みを分かち合い祈り合うもので30年ほど前から始まった▼かつては私と妻が数年間毎週栃木から片道3時間半かけて通ったが、全国の巡回奉仕が始まってからも年に一度は伺っている▼ご主人を亡くされ障害を持つお子さんを持つ姉妹、癌の病床でキリストを信じ私が洗礼を授けた姉妹、四人のお子さんのうち三人が障害者の姉妹、昨年のベンジャミン・グラハムの集会に余ったチケットで参席しキリストを信じ受洗を待っている息子と信仰を守っている姉妹、事業の関係で訴えられ保護観察を無事終えたご主人と引きこもりの息子さんと祈りながら前進している姉妹、癌のご主人と支え合っておられる姉妹、学習塾を営みながら肺の病のご主人のために祈り続けておられる姉妹などがメンバーである▼問題の真ん中で主を意識しながら他の方々のためにも私達たちのミッションのためにも祈り続けてくださる、皆祈りの勇士である。
カナダはトロントのオープン・ドア・チャーチのハワード・キャッツ牧師は、ユダヤ人でスイスはベルンの新約教会神学校で教鞭をとっているが、以前はユダヤ教の厳格な律法主義に基づいて生きていた。

    メシアニック・ジューになってキリストに仕えたいと願っていたが、17年目にロバート・ユーインに出会った。

    ロバートは神の恵みだけが人を変えると教えたがハワードは非常な用心深さを覚えた。なぜなら、いまだしっかりとユダヤ教に基づく律法主義が根付いていたからだ。じつに、恵みと律法主義は油と水のようなものである。

    ロバートはハワードの心の中で律法主義と神の恵みが戦っているのを知り、次に会うまでの一年間続けてハワードのために祈った。

    ロバートは律法主義について聖書から詳しくハワードに説明し教えた。ついに、ハワードの心に神が照らし出された多年に渡って築きあげられてきた律法主義を、注意深く粉々に粉砕することができた。

    律法主義は人を追い出すが、恵みは人を抱きしめるのである。神の恵みだけにより人が変えられていくことが教会の存在目的である。
神の守り

    今日の昼、某道の駅で車の暴走があり駐車していた車5台が次々とぶつけられ、私の従兄弟の新車フリードも写真の通り悲惨な状態になった。警察の現場検証での加害者の話によるとバックで駐車しようとして最初の車にぶつけて頭が真っ白になり、ブレーキと思い違いをしてアクセルを思い切り踏み込みさらに4台の車に物凄い勢いでぶつかった。その勢いで3台の車は横方向に大きく動かされた。その一台の動かされた車にぶつけられたのが、従兄弟の車だ。2台には人が乗っていて人身事故になった。私の車はというと、従兄弟の車のすぐ後ろに留めていたが神の守りでぶつけられなかった。従兄弟には悪いが、神はご自分の子を特別に扱われるのである。
大正初期から新潟県村上で製糸工場を始めた藤房吉は、秋田県や山形県からの200名を超える女工さん達に支えられて順調に営みが進んだ。しかし、昭和初期の世界不況の影響をもろに受け悲しくも首を吊って自殺し心ない人々に財産を奪われ、16歳を筆頭に8人の子供と妻ウメは路頭に迷った。房吉には信頼できる相談役やブレーンがいなかったからと、末っ子の房徳は語る。彼を囲んで藤家いとこ会が開かれた。様々な労苦を通ってきた兄弟達の子なのでいとこも仲が良い。いつくしみ深い友が祖父房吉にいたらとしみじみ思う。
生活陶器の王者、茶道具として有名な焼き締めと呼ばれる高級陶器の材料である粘土に求められる4つの性質

1 可塑性   作者の意図する形に作られやすい性質

2 粘性    形作られた土が元に戻らずその形を保つ性質

3 耐火性   焼き締めは1200度以上で3日程焼かれるのでそれに耐えられる土であること

4 土味   釉薬を塗らない焼き締めは炎と熱と薪が焼けて飛び散る火花が作る灰によって模様となるのでそれに相応しいと作者が求める土の性質

   陶器の個性は粘土で決まる。焼き締めで有名な備前焼の陶工は自分の作品のために最良の土を求めて山奥深く分け入り探し求める。目当てを付け、掘り返し、手で確かめ、味見をする。酸かったり、苦い土は扱いにくく割れてしまうことが多いからだ。

    陶工は時に様々な性質に優れている産地の土を混ぜ合わせる。例えば伊賀黒蛙目粘土は耐火度のある荒目の粘土で、瀬戸本山木節粘土は鉄分が少なく白く粘性のある粘土で、東美濃黄土は酸化土だが1180-1200度で明るい赤色に発色する。作品のために最高の個性を出すために最も適した原土を混ぜて調合するのである。勿論、陶工は自分が探した産地の粘土だけを使用して作品を作ることもある。

    神の器も一つづつ神の作品として7つの工程を経て作り上げられる。その最初の過程で土の性質が整えられ備えられる。(詳しくは、筆者の「神に器が造り上げられる七つの工程」を参照されたい)
Παντα δυνατα παρα τω θεω .

Παντα δυνατα παρα τω θεω .
(パンタ  デュナタ    パラ    トオ  セオウ)

神には何でもできないことはない。

With God all things are possible.

神学校でギリシャ語を学んだ時この短い文章にメロディを付けて覚えた。家族にも覚えさせて、里子も一緒に歌った。信仰が沸々と湧いてくる御言葉である。
モーセの幕屋の聖所にある金の燭台に学ぶ教会政治

    教会の政治ないし統治は聖霊なる神の手に委ねられている。幹から六つの枝が出ているが、キリストが頭であり私たちが枝であることを示す。頭なるキリストの権限を執行されるのは聖霊の働きだ。7つの燭台は7つの霊を表す。ロマ12章6-8節は教会の務めの代表的なリストが各教会に必要なものであることを思い浮かばせている。神の現実の統治は、地域教会で召命を受け心を込めて聖霊なる神の支配に服従する教役者を通して、私たちが見ることができるようになされる。

1 : 燭台の寸法は定められておらず、1タラント(34.2kg)の重量でつくられた。地域教会がいかに神の偉大さを受け入れるに応じてその大きさが決まる。

2: 燭台は60の部品から成る(出エジプト25:31-40)。台座(1個)、支柱と枝(7個)、萼(22個)、節(9個)、花弁(9個)、灯火皿(7個)、火皿(1個)、芯切鋏(1個)、芯取り皿(1個)、油の器(1個)、油(1個)だ。聖書で60は神の義を表し、クリスチャン生活を支えるものだ。幕屋の外庭は60の支柱で支えられていた。パウロは書簡の中で義という言葉を60回使っている(ストロング1934年版)。60は5に12を乗じて導き出されるが5は幕屋を覆う幕の組み合わせ数(出エジプト26:3)で12は統治を表す。

3: 燭台はアーモンドの花の形が付けられていた。アーモンドは冬に咲く開花の先駆けの花だ。アーモンドは見張ることを意味し、その22個の萼は充填を意味する。聖霊なる神が私たちを満たしたいと望まれることが22あることを示す(エペソ5:18-20)。

4: 節が9つあるがそれは聖霊の9つの賜物を表す(第一コリント12:8-10、1:7)。節は上にある飾りを支えるもので魂の中に神の王国を立てあげるものだ(ロマ1:11、7)。

5 : 9つの花弁はキリストの香りを表し、9つの御霊の実とその重要性を示す(ガラテヤ5:22、23、6:2)。

6: 燭台は多くの部分から成るも一つの金の塊から作られた。教役者が自分の為の王国を立てあげると、教会統治の神の定め破ることになり霊の一致を壊す。教役者の務めは教役者自身のものでなくキリストのものであり、教役者はキリストにあって全体でひとつなのだ。

7: 純金が打ち叩かれて作られた。そこには、他の器具のような木と言った人的要素は存在しない。教会で神の統治もたらすために聖霊なる神に用いられるためには教役者は自分自身に死ななければならないことを意味する。

8: 燭台は夜間だけ灯されていた(出エジプト27:20,21、30:7.8)。祭司たちは継続的に新しい油を必要とした。パウロはクリスチャンが主にある灯火であると言った後で聖霊に満たされなさいと勧めている(エペソ5:18)。

9: 燭台は芯を整えるために芯切り鋏と芯取り皿が備えられていた(出エジプト37:23)。これは、私たちの涙が神の前に覚えられ、私たちの務めの真価が試される時も神はその涙を保つのも忠実であられることを示唆している(詩篇56:8)。芯の整えは教会の訓練の重要性を示す。

10: 純金の鋏があった(出エジプト25:38)。燭台の燈心が整えられ、燃え尽きた芯が切られ地に落ちるときは、肉体の手でそれを拾うことはなかった。教役者が神の愛を表す純金の鋏以外で神の子どもたちに訓練や試験を行うと神の定めを壊すことになる。

11: 油を入れる器があった(民数記4:9)。祈りの集いや賛美は神の容器から引き出された聖霊の油を蓄えておくことである。油の蓄えがなければ燭台の輝きはすぐに無くなってしまう。

12 : イスラエルの約束の地への旅では、燭台や器具は担ぎ台の上に置いて青い布とじゅごんの皮で覆われコハテ族の肩に担われ運ばれた(民数記4:10)。この世は外側のじゅごんの皮だけを見ることになるが、その中には聖なる尊いものがあったのだ。真の教会は多くの場合外向きの美しさを欠いているものである(第二コリント4:7イザヤ53:2)。
ナツメヤシのフルーツケーキを作ってみた

久しぶりにフルーツケーキを作った▼今回は普通のレシピに材料を一部変更した▼ナツメヤシをふんだんに使い、バターの代わりにオリーブオイルを使い、仕上げに焼きあがったところにラム酒を注いで香り高く仕上げた▼妻が食べると「美味しい」と言ったので合格としよう
2016年の巡回奉仕受付しています!

今日辺りに到着するはこぶね便に、私どものミッションレポートが入っています。
自己紹介などを参照ください。
確定している予定は一部です。
順次書き入れていきます。

・3/8(火)市原若枝集会
・3/15(火)栃木市文化協会でコンサート
・3/22(火)-27(日)ネパール 教会リーダー聖書セミナー
・4/17(日)勝利教会渋川チャペル
・5/21(土)サンライズ杉戸教会献堂式
・5/28日(土)~29日(日)
                カリスチャペル名張

東北地方:6月11日(土)~26日(日)
・6/11(土)福島ニューホープチャペル
・6/12(日)青森キリスト教会
・6/16(木)-17(金)盛岡福音宣教教会
・6/18(土)-19(日)原町聖書教会
・6/21(火)夜越山祈りの家キリスト教会
・6/23(木)気仙沼聖書第一バプテスト教会
・6/24(金)大船渡教会
・6/25(土:午前)ハレルヤチャペル滝沢
・6/25(土:夜)盛岡月が丘キリスト教会
・6/26(日:午前)盛岡みたけチャペル
・6/26(日:午後)盛岡チャペル

北陸・関西・東海・中部 地方: 7月8(金)~24(日)
・7/8(金)コミテッド・ジャパン浜松教会
・7/9(土)-7/10(日)美濃ミッション
・7/16(土)-17(日)入善キリスト教会
・7/22(金)神戸今井家家庭集会
・7/23(土)飯盛野教会
・7/31(日:午後)サンライズ杉戸教会

北海道地方: 9月10日(土)~25日(日)

中国・四国地方: 10月8日(土)~23(日)
・10/8(土)-10(月)高知ペンテコステ教会
・10/15(土)-10/17(月)土佐清水キリスト教会
・10/16(日:午後)中村福音キリスト教会
・10/17(火)高知鏡川病院
・10/22(土)岡山福音教会
・10/30(日:午後)サンライズ杉戸教会
・11/6(日)さいたまキリスト教会

九州地方: 11月12日(土)~12日(日)
・11/13(日)カリスチャペル福岡

沖縄地方:  12月4日(日)~12日(日)
・12/10(土)沖縄シャローム教会
・12/23(金)栃木市キャロリング
・12/25(日:午前、午後)東大阪福音教会

関東地方は随意の日です。

ハープやオカリナ、ピアノ、ソプラノ、サックス、などで賛美や一般曲をご要望に応じてコンサートや礼拝、賛美集会、聖書研究会、子育て講演会と演奏会、修養会など承ります。

お問い合わせ、申込みはミッション事務所
☎︎  080-6562-1427
あるいは
MissionJehovahJireh@yahoo.co.jp
にお願い致します。
毎日少しずつ食べたい乳と蜜の流れる地の果物   (アーモンド)

ビタミンE,ポリフェノール、不飽和脂肪酸、カルシウム・マグネシウム・亜鉛などのミネラル、鉄分、食物繊維が多い。

ドロドロ血液のもとになる悪玉コレステロールの減少効果、血栓予防効果、活性酸素除去作用、抗酸化作用、貧血予防、精神安定効果、安眠効果、便秘解消効果、ダイエット効果、脂質代謝促進効果、女性ホルモンの正常化作用、冷え性解消効果、老廃物排泄促進効果、美肌効果、アンチエイジング効果に優れている。
数ヶ月前ある著名な牧師にアポをとって遠距離を時間かけてお会いした▼その方はよほど私共の来訪が気に入らなかったのか、気分が悪かったのか、終始これ以上ない不機嫌で無愛想な表情をされていた▼今まで数知れない程の牧師にお会いしたがそのような方は初めてであり、その方の人柄を疑いながら去った▼暫くその事柄を思い出しながら、神は何を教えようとされているのかを求め続けた▼すると、かの牧師はこの上なく素直で正直に自分の感情に従って対応したのだということが示された。普通はどんなに苦境でも気分が悪くてもそれを神に委ねて表面は笑顔で気持ちよく対応してくださるのが牧師である。しかし、自分が忙しく、余裕もなく、気分も悪い時に訪問を受けたら表面上だけ取り繕って笑顔で気持ちよさげに対応してなかっただろうかと自問した▼それを、主は偽善者と責められたのだ。私たちの主は、ご自身を裏切り奴隷の値で敵に売り渡すイスカリオテのユダにさえも足を洗われ真心から愛され悔い改めを期待されて接しられた▼私も魂の全てに於いて、真心からどんな人にも主の愛を持って、主の見られるように、主が感じられるように、主が語られるように接する者であらねばならないと強く教えられて、この上ない感謝となった。
今年も確定申告時期が近づいてきた▼若い頃、長年会計事務所勤務していて何件ものお得意先の年間会計処理を徹夜でやったが期限の3月15日に終わらない夢をよく見た▼教会の会計処理も会計原則に従い、正規の簿記にのっとり複式簿記で財務諸表を作成している教会は多くはないようだ▼私は経験を生かして教会の会計組織を立てあげたり、会計規則を作るのを手伝ったり、教会会計セミナーも開催した▼今でもそのような必要がある教会があれば喜んで支援をしたい。
韓国の教会殆どが借財あり返済に大変で本来の働きに金を使えてないと大きな社会問題になっている▼互いに愛し合う事の外は何人にも借りがあってはならない(ロマ13:8)と神は定めている▼その原則は個人生活にも教会の運営にも変わらない▼霊により始めたものを肉により仕上げてはならないのである▼韓国の教会が健全に成長し世界の模範となるように祈ろうではないか。
今度の日曜日に奉仕するソウルのビジョン教会でのメッセージの草稿です。

肉の人と霊の人

題  目:  肉の人と霊の人

テキスト:Ⅰコリント3:1〜3

起:「やった。1年無事故無違反の証明書が自動車安全運転センターから来たよ。主よ、賛美します。これまで毎日毎日いや、毎瞬毎瞬を守って頂き心から感謝します。」私が数年前に起きた出来事に対する反応である。しかし、それを見た妻が「あと4年無事故無違反で頑張らないとゴールド免許にはなれないのよ。できるの?」と水を差した。

 我が家の巨峰の刈り込みをした時のことである。巡回奉仕旅行中に大量の実が大きくなり始め昨年に続いて黒とう病が出始めていたからである。ほぼ全ての房を切り落としながら「主よ、私にも存分に刈り込みをしてください。そして、大きく立派な見事で美味しい実を結ぶことができるようにしてください。」と祈れた。昨年は「少し刈り込みの時期が遅れただけなのにどうして全ての房が黒とう病になったの?」と不満で一杯だった。

 同じ事柄に直面しても片や神の方に姿勢が向かっている人は感謝と賛美をし主に栄光を帰している。しかし、同じキリスト信者でありながらもこの世の方に姿勢を向けている人は不安と不信仰と疑いを投げかける。

 パウロは同じキリストを受け入れた人でありながらも肉の人がいて霊の人もいると述べている。成長していないこともさることながらその人の姿勢が大事だと示される。今日の聖書の箇所は第一コリント3章1節から3節である。

「兄弟たち、わたしはあなたがたには、霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまり、キリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました。 わたしはあなたがたに乳を飲ませて、固い食物は与えませんでした。まだ固い物を口にすることができなかったからです。いや、今でもできません。相変わらず肉の人だからです。お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか。 」

承:パウロは肉の人は乳飲み子すなわち成長していないクリスチャンであると語っている。ヘブル人への手紙5章12節から6章2節では
「実際、あなたがたは今ではもう教師となっているはずなのに、再びだれかに神の言葉の初歩を教えてもらわねばならず、また、固い食物の代わりに、乳を必要とする始末だからです。乳を飲んでいる者はだれでも、幼子ですから、義の言葉を理解できません。固い食物は、善悪を見分ける感覚を経験によって訓練された、一人前の大人のためのものです。だからわたしたちは、死んだ行いの悔い改め、神への信仰、種々の洗礼についての教え、手を置く儀式、死者の復活、永遠の審判などの基本的な教えを学び直すようなことはせず、キリストの教えの初歩を離れて、成熟を目指して進みましょう。 」
と述べている。

 キリストを信じるとその瞬間に人の霊に主の御霊が来てくださり宿られるようになる。その時、霊は主の持っておられる全ての良いもので満たされる。永遠の命・永遠の救い・永遠の希望・神の至高の愛・永遠の安息・神の信仰などある。しかし、魂は本来人のもの人がその意志を持って支配する場所である。霊と魂の隔ての幕は、至聖所と聖所の幕がキリストが死なれた時人の手によらず裂かれたように、キリストを信じた時に神によって取り除かれ場所は違ってもあたかも部屋続きで主が自由に働かれる場所となるのである。

 しかしながら、とにかく彼らの魂はキリストにあっては幼子なのである。聖書を読んでも多くは硬い食物であり、義の教えを食することはできないのである。例えば神の定めを破っては悔い改めをし続けるのである。しかし、成長すると御父の心を理解し解るのでいつまでも定めを破ることはしないようになり、御父の御心の中に留まれるようになる。また、魂のある領域で自己中心という牙城をキリストに明け渡すとそこは自我に死にキリストが支配されることになる。その部分において霊の人になるのを見るであろう。

 乳を飲んでいる神の子は柔らかな全く骨も皮もない魚の身を食べているとも例えられる。その人は系図などは骨に該当しそこから神の恵みは得られない。しかし、少しずつ内なる人がキリストにあって成長してくるとかつては得られなかった御言葉からの恵みを系図のような骨の部分からも得ることができるようになる。

 一例としてマタイによる福音書の1章にはイエス ・キリストの系図がある。そこに5人の女性が出てくる。皆特別な困難を通った女性であって魂の5感を教えている。タマルはユダに印を求めそれを手にして正しい裁きを得たので、記憶を表している。ラバブはエリコをイスラエルが攻め取ると考え赤い紐を吊るし希望を置いたので想像を表している。ルツは姑との契約を重んじ姑を一人にしなかったことから良心を表している。ウリヤの妻バテシバは夫を殺したダビデ王を愛したので愛情を表している。そしてマリヤは御霊によって主・イエスを身ごもり思い巡らしたので思索を表しているのである。

 魂の五感について明確になったところで固定的メッセージを見てみよう。
 魂が成長することによって肉の人ではなくなり霊の人になるということも言いうる。
しかし、神の子どもたちもこの世で生かされているのであるから、常にこの不信仰でサタンの誘惑と攻撃にさらされる信仰の戦いの日々において明確に知っておかなければならないことがある。

 
転:
1:神の子どもが肉の人と呼ばれる状態があるのはその人が罪の法則の中に生きているからである。「それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです 」( ロマ人への手紙7章21節、23節、25節)。
 
 罪の法則は敵であるサタンがこの世界を通して働くものであるからこの世の法則ということもできる。神が全能主であると知っていてもこの世の方に魂が向いているので、主の守りを求める代わりに保険に入ったり、癒しを求める代わりに病院に行ったり、薬や健康食品を買ったりしようとするのである。誤解しないで欲しいのは、病院に行くことや薬を買ったり保険に入ることが不信仰だと言っているのではない。

   ペテロの例を見てみよう。マタイ14章で主・イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせご自身は山で祈られてから、湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。 舟は既に陸から離れており、逆風のために波に悩まされていた。弟子たちは、主・イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。主・イエスが「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」と話されるとペトロが「主よ、あなたでしたら私に命令して水の上を歩いてそちらに行かせてください。」と願い、主が「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり沈みかけ「主よ、助けてください」と叫んだ。   イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。

 ペテロは最初は信仰の法則の中で主・イエスだけに姿勢を向け、主・イエスの言葉にのみ従い、主の御顔だけを見て波の上を奇跡のような一歩一歩を歩んでいった。これが真の信仰の歩みである。しかし、暫くして意識を主から逸らして、耳を風に向け、目を波や自分の足元を見たのである。その瞬間ペテロはこの世の法則に一瞬にして支配されてしまい、沈みかけたのである。

 肉の法則は我々がこの世界に生きている限り、我々に圧倒的な力を持って勝ち誇っているのである。しかし、「私は既に世に勝っている」(ヨハネ16:33)と言われた主にのみ目を向け、主の御言葉にのみ従って行くときに信仰の法則に生きることができるのである。

2:神の子どもが霊の人でありうるのは、その人が霊の法則の中を生きているからである。
 たとえ肉体がこの世界の法則にどっぷりと支配され、味覚・触覚・視覚・聴覚・嗅覚の全てが圧倒されていても、その魂の姿勢を主の方に向け、主を意識しているならば霊の法則の中に留まることができるのである。

 至聖所で務めをされる大祭司は聖所でも外庭でも祭司を助けて務めをされるのである。そのことは神の子どもたちの霊に住まわれている主が魂は勿論、肉体にも働かれ支配されたいと言うことをはっきりと覚えておかねばならない。

 霊の法則は主・キリストにあって既に与えられているものである。「キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです」(ロマ8:2)。

3.霊の法則の中で生きるか罪の法則の中で生きるかは各々の神の子どもたちに与えられている自由意志に託されている。言い換えれば、すべての神の子どもたちは魂の中でいつでも命の法則を選ぶことができ、また罪の法則も選ぶことができるのである。自らがその瞬間瞬間にどちらを選ぶかを自分の意思で決めているのである。

 既に魂の五感について触れたが、別の魂の機能は感情と意思と知性である。これは聖所の金の燭台とパンの備えの台と香の壇によって教えらるものである。金の燭台は教会を治める御霊なる神の意思を示し、香の壇は神への礼拝についての神の定めを表すので感情を示し、パンの備えの台は神を知る知性を表している。魂の機能について啓示している。ここでは意思について注目している。

 注意しなければならないのは誰も神のせいにしてはならないことである。「誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです。むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。」(ヤコブ1:13、14)。同様に悪魔のせいにしたり人のせいにしたりという責任転嫁をしてはならないのである。

 
結:
1.いつも主だけを見、主だけを意識し、主の言葉にのみ信頼し、主と共に霊の法則の中を歩む霊の人になろう。

2.責任転嫁をせず与えられた意思を持って、命と御霊の法則を選び続けるようにしよう。
三つの思い違い

題     目  :  三つの思い違い
テキスト : マタイ22:29
「イエスは答えて言われた、「あなたがたは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。」

起:
  「信仰を持っているたと言っても自殺したら地獄に行くのか?」、「申告告白して洗礼を受けたが信仰を捨ててしまった人は天国に行けないのか?」、などという信仰者の難問に牧師はどう答えるべきか?神の言葉である聖書は何と定めているか。聖書を読み違いしたり、様々な思い違いをすることがある。その結果、多くの方々が「私は本当に救われているのだろうか」、「天国に行けるのだろうか」と不安をもたらすことになる。

    「思い違い」を辞書で調べると、うっかり間違えて思い込むことは勘違いで、誤った解釈をして心得違いしていることが思い違いと言われる。勘違いはより単純なもの影響が軽度なものを言い、思違いはより質の悪い影響が大きいものを言うようだ。思い違いの方が勘違いより重度ということになる。端的に言うと教義や教理について、信徒のレベルでは勘違いといえるが、教師や牧師や説教者のレベルでは思い違いとなるのだ。

承:
     聖書は霊と魂と体の救いを明確に分けて定めている。霊に与えられる救いは義認であり、魂に与えられる救いは聖化であり、体に与えられる救いは栄化である。自制で言うと霊はキリストを信じてキリストにある永遠の命を受けた過去のしかし天に名が記された救い、魂には復活のキリストの命に日々満たされキリストの霊に満たされ続け従い続ける現在、そして死んで体は土に戻ってもやがてキリストの軽挙の時に栄光の体を頂くという将来のものだ。モーセの幕屋の聖所の中にあるパンの備えの台には12のパンがあった。それは神の教理はいかに分かち合われるべきかについて教えています。ごちゃまぜでなく正しく分けて教えられなければならないのだ。

転:
1.霊と魂の思い違い
     神が与えられた救いをどこで誰が保っているかについの思い違い

   思い違いは、神が与えられた救いをどこで誰が保っているかについてである。聖書は明確に人は霊を持つものに造られ(創世記 02章 07節、伝道の書12章 07節)、キリストを信じた時霊は神にあって生きるようになり(エペソ人への手紙 02章 05節)、そこにキリストの御霊が住んでくださるようになる(ガラテヤの信徒への手紙 02章 20節、ヨハネの黙示録/ 03章 20節)と教えている。霊は本来人のものでなく神ご自身の領域である。モーセの幕屋の至聖所を学べば分かる。だから「その証しとは、神が永遠の命をわたしたちに与えられたこと、そして、この命が御子の内にあるということです。 」(ヨハネの手紙一5章11節)と記されている。救いと永遠の命はキリストを信じた者の霊の中でキリストにあって保たれているのだ。私たちの罪や失敗や信仰生活の如何に関わらずです。魂は人間本来の場所です、ですからいくら心(聖書では心を魂という)の中で「聖い信仰生活を全うするぞ」という強い意志があっても、自分や他人の思いや言葉や振る舞いにより信仰を失い、信仰を捨ててしまう場合もありうるのだ。そういうわけですから聖書は次のように記している。

「人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからである。 」
   (ガラテヤ2章16節)

「しかし、恵みによるのであれば、もはや行いによるのではない。そうでないと、恵みはもはや恵みでなくなるからである。」(ローマ人への手紙11章 06節)

「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。 」
   (エペソ人への手紙02章 08節、9節)

行いによるのではなく、ただ信仰によって義認・救いが与えられると語っている。キリストが受けられた7重の苦しみにより、また私たちが行くべきゲヘナに主が行ってくださった故に与えられた恩寵の救いの御業が人の不完全な行いによりその有効性が左右されることはあり得ない(ヘブル人への手紙 13章 05節)。

2.義認と聖化の思い違い

 また別の思い違いは、義認と聖化を混同している。聖化は魂に対するもので、義認は霊において受けたものだ。つまり義認はキリストを信じた時完成した。聖化は現在形で死ぬまでキリストの姿に向かって成長していくものである。日々自分に死にキリストだけを見続けてキリストの言葉に従い続けていくものだ。この聖化は救いとは別だ。義認は霊に受けるもので聖化は魂に受けるものだ。義認はただ一度だけ受けるものですが、聖化は毎日受け続けていくものだ。義認は過去のものだが、聖化は現在進行形のものである。義認は全く神の恵みによるが、聖化はあなたと私が自分自身の意志で受け取っていくものだ。言い換えると、義認は神ご自身が全てを完成してくださいましたが、聖化は私たち一人一人の神との共同作業です。至聖所は霊について教えるが、聖所は魂について教えている。
     丁度聖所で祭司たちが毎朝毎晩、香を炊き、夜には灯火をともし、朝には灯火を消して芯切り鋏などで燈心を整えたように、またいつも新鮮さを保つ乳香を備えの台にあるパンに塗り毎週取り替えそのパンを食したように、魂は毎日新鮮な神の言葉を食し、祈りと感謝と礼拝を捧げ、香の芳しい香りが聖所を満たしたように神の霊に満たされなければならないのだ。しかし、至聖所は贖いのために大祭司が一年に一度だけ入る所である。一年に一度とは文字通りの意味でなく、私たちにとっては一生に一度という意味である。ペテロの第一の手紙 2:9には「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。」とある。

3.救いと報いの思い違い

    救いと報いも違う。地上で主に全く従い主の御心に生き、主の業を行い通した人には天においてその報いがある。しかし、木・草。わらで築くような人生を生きた人にはやがて火でその仕業が試されすべてが焼け落ちて報いはないかも知れない。しかし、キリストにある永遠の救いの土台は残るのである。(第一コリント3章10〜15節)。

    キリストの贖いである義認という救いは人の思惑や思考により定められたものではなく神御自身が神の権威と秩序により定められているものである。この救いはキリストを信じることであるが、それは御子キリストの血による新しい(贈与)契約書に印を押していただくことである(ルカ22章20節、第一コリント11章25節、ヘブル9章15節)。そしてこの救いは人の生き方に左右されない(酬いとは別のものである)からいつまでも失うことはない御子にあって与えられる永遠の贈物である。加えて誰も(悪魔も悪霊も本人も含まれる)父と御子の手から救われた者を奪うことはできないのである(ヨハネ10章28ー29節)。ヨハネ伝10章28節の原文は二重の否定の言葉をもって断じて決して滅びることはない、しかも永遠にまでもという言葉が加えられているのである。更に「主の御名を呼び求める者は、誰でも救われる(ローマ10章13節)」とある。かつてベトナム戦争の激戦地である従軍牧師が多くの死に瀕している兵士に極めて簡潔な福音を語りキリストを受け入れる様促したと言う。「イエス・キリストをあなたの救い主として信じなさい。そうしたら天国にいけるよ」と。そんな僅かの時間にでもキリストを信じた者は最後の息が終わった時天使が彼を連れて昇っていくのを、信じなかった者は黒い霊がその魂を連れて下に降りていくのを見たと語っている。そんな死ぬ瞬間とでも言えるような時にでも主を信じる者は義とされ天国にいけるのである。世界で20億以上とも言われるクリスチャンによって今や限りなく多くの人々が福音に接しているのである。人生に一度や二度は聖書の言葉や主・イエスの十字架の話を聞いたと言えるように先に救われた者たちは様々な方法で伝道や証しをしているのである。しかも、たとい魂を悪魔に売り渡してしまったり、罪の奴隷となってしまったり、自殺をしたり、全く聖書も読まず祈りもせず、教会にも行かず敗北的なクリスチャン生活を送ったとしてもそのキリストにあって頂いた永遠の命は決っして失うことはなく天国に行けるのである。ただ酬いは別のことである。聖書はキリストくを信じた者すべてが必ず天国に行くことを約束しているのである。


1.霊・魂の違い、救いと報いの違い、義認と聖化の違いをよく整理しておこう。

2.思い違いしないために、啓示と理解を与えられる御霊の助けを求めながら、聖書全体をよく読もうではないか。
韓国ではかつて多くの方々が貧しく主よ、と叫びながら、断食や徹夜や早天の祈りをして偉大な供給者である神に祈り求め、そして今ある繁栄を得たのだ。
    しかるに、今は立派な会堂を作るために、神にではなく銀行に願い込み、何とか建てた後は借金の返済で自分の教会の礼拝にも出れず、癌で死んでいく程苦労している牧師が少なからずいると二人の副牧師が語った。ジョージ・ミュラーはお金の為に銀行回りはしなかった。そういう時は自分の部屋に入って偉大な供給者に祈ったのだ。聖書は借金をするな(ローマ13:8)と戒めているが、この神の定めはこの国でも蔑ろにされているようだ。
    博士号を持つ牧師が求められ、大きな教会こそ素晴らしいとされ、宣教活動の評価は2,3年間で結果を出すことが求められ、成果の見えない国への支援は打ち切られていくらしい。
     神への信仰ではなく、経済力と名誉と人の数が基準になるのは神の心と願いとはかけ離れているのではなかろうか。「主の目はあまねく全地を行きめぐり、自分に向かって心を全うする者のために力をあらわされる」(第二歴代16:9)。真の教会を建て上げるためには反面教師として写って仕方がない一日であった。韓国の教会が真の世界の模範的な教会となっていくように祈ろう。
昨日韓国に来た。今日午後2時からは仁川大学で教鞭をとっておられるチェ紗玉先生の基督教大韓監理会日本宣教教会で特別賛美と説教の奉仕をした。午前はチェ先生のご主人が長老をしておられチェ先生もかつて長老だった母教会のメソジスト教会で礼拝に出席した。この礼拝堂は一回の参席者が3000名入り5回礼拝をしている。韓国では中規模の教会であろう。日本にもやがて10000人教会が中規模だよと言われるようなリバイバルを信じ思い描いた。
ノンクリスチャンの霊は死後どこに行くか

    「ノンクリスチャンの霊は死後どこに行くか」明確に理解していないキリスト信者が多い。これは、霊と魂と肉体をはっきりと分けて理解せずにそれぞれについての神の定めを思い違いしているからである。

    先ず、霊と魂を区別して考えることが大切である。その区別は医者も心理学も哲学者もできず、ただ神の言葉だけが分けることができる。「というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる」(ヘブル4章12節)とあるが、新改訳聖書では「霊と魂の分かれ目」としてより明確である。魂は知・情・意を司るところで所謂自我である。しかし、霊はキリストを受け入れるまでは死んだものであって、信じた時に初めて神にあって生きるようになる所である。「 さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって(エペソ2章1節) と書かれ、また「罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし―あなたがたの救われたのは、恵みによるのである―」(エペソ2章5節) と記されている。以上で分かるように霊は神ご自身だけが住まわれ占有される場所である。これは至聖所と聖所の違いを学ぶとよく理解できる。

    肉体は土から作られそこに魂が据えられ、更に命の息(霊)が吹き込まれて生ける者となった(創世記2章7節)。しかし、神に似せて人は霊・魂・体を持つ統合体として創造されたが、悪魔は人に罪を犯させたことによりその統一体を破壊した。人は死ぬ存在となった。そこで神は永遠の救いの計画を立てられた。御子の全存在を通して罪の贖いを完成なされたのだ。御子の体は生贄として屠られ血を流された。御子の魂は私達罪人が死後行くべきゲヘナに行かれ苦しまれた。レビ記16章のアザゼルの山羊がそれを教えている。キリストの霊は屠られたご自身の流された血を天の至聖所に携え真理の完全な贖いを完成されたのである。「かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである。」(ヘブル9章12節)であるから、信者はその霊に義認という救いを、魂には聖化という救いを、肉体には栄化という救いを与えられる。それはキリストを信じ救われた過去、キリストの復活の命を受け続け信じ続けて生きている現在の救い、死後軽挙の時に栄光の体に変えられる未来の救いと分けて理解することもできる。しかし、キリストを受け入れることなくして死んだ人は救いがない。あるのは悪魔のために備えられた滅びと永遠の死のみである。やがて白いみ座の裁きの時に海も死も黄泉もその中にいる死人が出されて命の書に記されていない者は行いに応じて裁かれるとあるから、本来の人の中心である自我即ち魂と肉体が裁きのために復活させられ永遠の死に向うと聖書は記している。(黙示録20章13〜15節)。

    聖書は 人の死について「ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る」(伝道の書12章7節)と述べている。信者かそうでないかを区別していない。従って不信者の霊も神の元に帰るのである。つまりキリストを受け入れず救いを得なかった人の霊・魂・体は悪魔が破壊した分裂状態になってしまうのである。即ち、霊は神の元へ、魂はゲヘナに行き次に第二の死である永遠の滅びへ、体は土に帰るが白いみ座の裁きの時に復活して裁きを受け第二の死へ入ると。であるから、キリストの救いを不信者に伝えることは信者の急務であり、宣教は重大な使命である。
モーセの幕屋セミナーのご案内

「この祭司たちは、天にあるものの写しであり影であるものに仕えており、そのことは、モーセが幕屋を建てようとしたときに、お告げを受けたとおりです。神は、「見よ、山で示された型どおりに、すべてのものを作れ」と言われたのです。」(ヘブル8章5節)

 エリの子らが供物についての定めに反した時、神の定めと秩序は破られました。そのように今日も少なからず神の秩序と定めは教会の中で破られています。私たちは今一度神の定めと秩序を神のことばから確認する必要があります。

 幕屋を通して7つの神の定めを学ぶことができます。7つの用具はそれぞれ重要な神の定めを指し示しています。青銅の祭壇は個々人の訓練のための神の定めを、青銅の祭壇は祭司の歩みと務めについての神の定めを、幕屋は建て方についての神の定めを、備えのパンの台は神の言葉はいかに提供されなければならないかについての神の定めを、金の燭台は教会統治についての神の定めを、香の壇は礼拝についての神の定めを、契約の箱は栄光についての神の定めを学ぶことができます。

 「不正を行う者には、なお不正を行わせ、汚れた者は、なお汚れるままにしておけ。正しい者には、なお正しいことを行わせ、聖なる者は、なお聖なる者とならせよ。」(黙示録22: 11節)と言われる末の時代に私たちは生きています。この学びを通して主の聖なる者と言われるに相応しい者と教会も教役者もなっていきましょう。

    今年10月中旬に香川県で開催を計画しています。

ミッション・あどない・いるえ 
代表 伝道者 ピーター藤 正信
MissionJehovahJireh@yahoo.co.jp
http://missionjehovahjireh.blogspot.com/
毎朝少しづつ食べたい、乳と蜜の流れる約束の地にある七つの果物の一つナツメヤシの効能。

    ー"ミネラルの宝物庫" とも呼ばれているほど、豊富なミネラルとビタミンを含んでいる。女性に嬉しい美容と健康とダイエット効果のある食材である。

   鉄分が牛乳の5倍あるので貧血予防、代謝向上に良い。

   活性酸素を除去するカロチンやポリフェノールを含んでいるので抗酸化作用とアンチエイジング効果が期待できる。

    亜鉛はアルコールの分解を促進し、また、精子を増やす。免疫細胞を活性化する働きを持っているので、さまざまな病気に対する免疫力がアップする。アトピーや喘息、花粉症といったアレルギーの抑制にも効果がある。

    豊富な食物繊維が通便を即す。

    マグネシウムもあり、脳に満腹感を与えて食べ過ぎを防ぐ働きがあり、ダイエット食材である。

    食物を消化すると最終的に生命エネルギーが産出されるが、デーツはこれをたくさん与えてくれるとても優れた食物である。それは、若さを与え、皮膚には光沢を与えので、輝いて見える。

    肺病、気管支炎、咳などの胸に関することに良く、また焼けるような感覚、胃炎などにも良い。

    脳の神経に滋養を与え、心を穏やかにするので、うつ病の人にも良い。

    一晩、水に浸したデーツをミキサーでかくはんしたものを飲むのは心臓の弱い方にとってとても良い。

    腹部のがんを予防するのにも効果がある。

    骨粗しょう症予防の効果が期待される。

    イラクでは戦争時に海外からの食料物資が途絶えたが、国民はこの栄養価の高い食物で乗り切ったそうである。
内容があって、簡易印刷機と折機、製本用ホッチキス、製本用裁断機があれば本を作れます!

     昨年「いのちの雫」を印刷、製本して出版しました。写真は、その印刷機と折機、製本用裁断機、製本用ホッチキスです。
    原稿を書き校正を妻にしてもらい、A4の図書用紙をネットで安い紙店を調べて購入し、自分で印刷します。サイズはA5ですから、A4が左右見開き2項、裏表で4項です。表紙は自分が撮った写真に息子に必要な事を記入して貰い印刷会社にフルカラーで頼みました。表紙以外は項が順番になるよう、また、4で割り切れる数にして印刷します。
    印刷終えたら乾かしてから、折機で半分に折り揃えて、順番に並べます。順番に一枚ずつ合本し、表紙を当てて2箇所ほどホッチキス製本します。更に製本用裁断機で3方を少しづつ切り落とし完成です。
    時間と忍耐と人力があれば格安で本がつくれます。
台風や地震・竜巻対策に、理想的な教会の礼拝堂や住居の形であるドームハウスの勧め。

    ドームハウスは、サッカーボール⚽️の様に正五角形と正六角形を組み合わせて限りなく球状に造る建物です。それは全て三角形のパネルを組み合わせていきます。

    ドームハウスの特徴は、風や竜巻に強いことです。気象庁の富士山頂のレーダー棟として25年も風速100メートルもの風に耐えてきたのは有名な事実です。

    次に最小限の表面積になるので、外壁や屋根の表面積も最小限の材料で、最大限の空間を作ることができます。表面積を四角い建物と比べると1/3になります。熱の逃げる壁面積が少ないため、建設後の冷暖房費も少なくて済むのです。

    地震にも強いのです。ドームハウスは球状で構造が安定していますので、柱や梁がなく軽く、パネルは全て三角形で地震に強いのです。

    今後更に強大な台風、竜巻、地震にも耐えられる礼拝堂や住居が求められます。そのためにはドームハウスは最強なのです。

    アメリカはワシントン州のポートランドにあるシティーバイブルチャーチは付属学校も含めて二つの大きなドームハウスで作られています。

    建築費ですが、海外からの宣教チームなどの協力を得て、労働費を抑えて格安でできる方法があります。この記事は木での三角パネルで造る事に焦点を当てていますが、設計をし三角パネルでのログキット作り、様々な相談や建築指導してくれる良心的な会社もあります。

     実は私は今、栃木駅前で行うキャロリングの風雨対策の為のハーフドームを自作しています。下記のDome Projectの小林様の設計とご指導の下で、直径7メートル程で半円形です。中には音響機器と照明機器、そしてクワイヤが30名程入るものです。今年のクリスマスにはお目見えします。下の写真のものより大きく更にエクステンションで張り出し屋根があります。その青写真風の完成予想図も付けてありますので参照ください。

ドームハウス関連ホームページ

Dome Project 
http://www.domekoba.org/

手作りドームハウス関連
http://www.geocities.jp/papa_prints/diy/diy.html
建築基準法関連
http://www.yourutopia.info/mysite4/tatemonowoseigensuru.html
ドームハウスのデザイン
http://www.google.co.jp/search?q=ドームハウス&hl=ja&rlz=1G1GGLQ_JAJP344&noj=1&prmd=imvns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=W92PUMnTNezPmAWknoHYAw&ved=0CEAQsAQ&biw=981&bih=575
建築基準法の各種申請ダウンロード
http://www.icba.or.jp/shinprodl/dl/H19ShinseiYoushiki.html
セルフビルド関係
http://www5.ocn.ne.jp/~kaitaku/zyuu/ie/zyunbi/sekkei.html
日本健工のドームハウス
http://www.nihon-kenko.co.jp/006_1.php
ボールキャビン関係
http://www10.plala.or.jp/siretoko/bowlcabin/bc.htm
ドームハウス建築日記
http://www.geocities.jp/bsteenjp/dome1.htm
ドームハウス建築記録
http://mydome.blog135.fc2.com/blog-category-1.html
ドームハウス価格表
http://www.domelife-d.com/about/price/index.html
ドームハウス自力建築
http://ironwork.jp/monkey_farm/studio/studio.html
ドームハウスの設計関係
http://www.wb.commufa.jp/fonjo/plan/plan_01.html
ドームハウス奮戦記
http://www8.ocn.ne.jp/~jikantei/d_sekei1.htm
ドームハウスの展示をしていて無料でカタログをくれる会社
http://www.bess.jp/products/dh/?utm_source=google&utm_medium=keyword&utm_term=dome
ドームハウスの概観
http://www.f-domenipon.co.jp/
ドームハウスの専門店
http://www.kscraft.com/?gclid=CJaHvuLP_rQCFQFKpgod_wsAfw
ドームハウスのセルフビルド
http://kigokolo.com/dome/
ドームハウスの理論と応用
http://www.dfk01.net/domehouse/
セルフビルド応援会社
http://www.domekoba.org/セルフビルド応援します/
朝食に毎日少しづつ食べたい、乳と蜜の流れ出る約束の地にあった7つの果物の一つくるみの効能です。

   くるみは、血液をさらさらにし、血行を良くし、血圧を下げ、動脈硬化を予防・改善し、高血圧の予防・改善、心筋梗塞の予防、脳卒中の予防、糖尿病の改善の補助栄養源となり、肥満予防・改善、メタボよぼう・改善、ダイエット、滋養強壮・虚弱体質改善、疲労回復促進、不眠症改善、集中力記憶力の向上、認知症予防・緩和、便秘解消、美肌促進、美髪促進、老化防止、癌予防効能があります。

    神の賜るものは何と素晴らしいことか。
風吹きすさぶ栃木市総合運動公園を妻と一緒に運動がてら散歩した。ジョギングコースの一角に梅の樹が多く植えられていて、白梅と紅梅が咲いていた▼思わず亡き母が好きで詩吟でも唄っていた新島襄の漢詩を思い出した▼庭上の一寒梅   笑って風雪を侵して開く  争わずまた力めず   自ら百花の魁を占む▼何と奥深く、またキリストの復活の力に自分自身を委ねて生きる姿を語っているのであろうか。
隣の銀行が改築し、我が住居側に二階屋が立つ▼苦労して設置したソーラーパネルに陽が当たらなくなると交渉したら30cmずらしてくれた▼弁護士に話すと凄い事だと言う▼しかし、山が動き出して海に入る(マタイ21:21)程の信仰を持ちたいものである。
Renovated bank next door, to my residence side stand is a two-story store ▼Light of the sun will not hit the solar panel, and said. It's that I installed a hard time.▼   I will report to the lawyer, he said it is a great ▼ However, the mountain started to move into the sea (Matthew 21: 21) are those that want to have faith enough.
塩釜港で猛禽が強風に向かい飛んでいた▼神に希望を置く人は鷲のように翼を張って嵐の風に上る事ができると聖書は約束している(イザヤ書40章31節)▼今年も気象に経済に政治に信仰に色々な嵐がやってきそうだが真に歴史を手中に持ち王の心も水の流れの如く変えるお方に魂を据えていこうではないか
I saw, that the bird of prey is flying toward the high winds in the Sendai Shiogama Port. ▼ When a person to put the hope in God can be up to stretched wings storm of wind like an eagle Bible promises to have (Isaiah 40 Chapter 31 Section) ▼ Weather in, in economy, in politics, faith, likely came a variety of storm this year. However, truly history have in the hands, or not let's laid the soul to the One who the king of the mind to change as the water flow.

いのちの雫2/8

今朝、日光連山は雪で真っ白だった▼男体山の汚く見える砂防の谷も美しく見える▼「たとえ、お前たちの罪が緋のようでも雪のように白くなることができる。たとえ、紅のようであっても羊の毛のようになることができる」(イザヤ1:18)▼キリストの流された血による贖いは何と素晴らしいことか。

This morning, Nikkou mountain range was white with snow. ▼ always dirty look erosion control of the Valley of the Nantai mountain today is look beautiful. ▼ "For example, can you sins also be as white as snow like a scarlet. For example, even as red can be as wool" (Isaiah 1:18) ▼ what a wonderful thing, it is redemption by the blood that has been shed of Christ.

テネシーワルツの替え歌

また、替え歌の賛美のご紹介です。私どものミッション・あどない・いるえからリリースしている「やすらぎコンサート1」の中に入っています。下のパティ・ペイジでヒットした懐かしい歌です。メロディは素敵ですが、歌詞の内容は大切な人が踊っている人に盗られてしまった、というもので悲しいものです。しかし、私達はキリストの花嫁として、間もなく再び主が来られるのを待っているのです。染みも皺もない傷もない主の花嫁になって、という内容です。
His coming soon.

1  間もなく再び主イエスは来られる  喜び迎えよ

    染みもしわも傷もない主の 花嫁我らは

    力ある王の王 主の主  栄光救い主

    間もなく再び主イエスは来られる  喜びむかえよ

2 He is coming , He  is coming,
          He is coming  again soon

   with joy we welcome his reterning

   He is coming , He is coming,
            He is coming  again soon

   with joy we welcome his reterning

   He shall  reain KIng of kings,  
             and Lord of lords

   we know our KIng is coming soon

  He is coming , He  is coming,
             He is coming  again soon

  with joy we welcome his reterning.

2/6いのちの雫

1953年五月テキサスを襲った竜巻は118名の命を奪い5千5百万$の財産を破壊した▼事前に神は預言者を教会に送り断食と祈りをさせられた▼結果教会員は誰一人怪我する事もなかった▼某信者がブロック造りの建物の隅にいた。屋根が飛び床の高さ迄ブロックが飛んだが彼は手を挙げ神を賛美していた。

The tornado that struck in May 1953 Texas Waco took the lives of 118 people, and destroyed 55 million $ of property. ▼ God in advance to send a prophet to the church, it was allowed to fasting and prayer. ▼ As a result, members of the Church did not hurt no one. ▼ some believers had seen the tornado in the corner of the building of the block building. Roof is blown off, until the floor height block went skipped. In the meantime, he was praising God raising  his hands.

奥山実先生からの推薦

ピーター藤の著書「いのちの雫」の紹介

     私は月に5つの原稿を仕上げているのですが、藤先生は毎日短い文章を日記風に書いておられるのを知り、このような文章創りもあるのだと教えられました。しかも信仰に裏打ちされた心からほとばしる雫の数々に、感動を禁じえませんでした。
    画家は絵を描かざるをえないように、詩人は詩を吟まざるをえないように、先生は信仰を語らざるを得ないのでしょう。読者方がその信仰に啓発されて、一層信仰の高嶺へとひきあげられるように切望します。
     先生の大胆さは、フィリピンのミンダナオ島に於ける宣教活動と社会福祉で、よくも今まで続いているものだと、つくづく感心させられています。
    と言うのは、フィリピンは全体的にカトリックですが、ミンダナオはイスラムの島で、教会やクリスチャンに対する迫害の多い所で、殉教者が絶えません。
    私のインドネシア奉仕中の教え子の一人が、宣教師としてミンダナオで、ラジオの福音放送を通してイスラム伝道を試みたのですが、その小さな放送局が襲撃され二人のフィリピン人スタッフが殺害されました。彼は、出張中で難をまぬがれましたが、これがミンダナオ伝道です。
    そのミンダナオで今も奉仕を続けている藤先生の信仰が生み出す雫の数々が、読者諸兄姉の信仰の糧となることを祈願し御推薦いたします。
     
                                      宣教師訓練センター所長 奥山 実

CGNTVの本の旅でも番組として取り上げられました。
japan.cgntv.net/newsub.asp?pid=2439
から番組を見るを選び更に「いのちの雫」で検索してくださると番組が見られます。
一冊税込みで1500円です。
お申し込み問い合わせはミッション・あどない・いるえ
tel 08065621427
missionjehovahjireh@yahoo.co.jp
にお願い致します。

2016年3月14日月曜日

思い出のグリングラスの替え歌

思い出のグリングラスの替歌

    この故郷を思い出すような素敵な歌は実は死刑囚のパットマンが死刑執行される直前に作ったものです。
     おそらく彼は獄中でキリストを信じたでありましょう。でも、この曲は天国の喜びや希望が全く感じられないのです。私はこの曲が大好きでサックスでよく演奏します。そこで、天国の希望に満ちた替え歌をつくりました。

懐かしいSweet , Sweet Home of Heaven

 この旅路終われば やがて天国
 もはや死もなく 悲しみもない
 子供の頃より夢見た イエス様共にいる
 懐かしい Sweet , Sweet Home of Heaven
 帰った私を迎えてくれるよ
 懐かしい Sweet , Sweet Home of Heaven

 その天国では母も 父も弟も 
 朽ちない体で 輝いていて
 手をふり「おかえりなさい」と迎えてくれるよ
 懐かしい Sweet , Sweet Home of Heaven

  しかし私はまだ地上で生きている
  死から復活されたキリストと共に
  福音を世界に満たすために働いている
    神の栄光が顕われるその日まで 

 信仰守り 通し 務め果たし尽くせば
 懐かしい Sweet , Sweet Home of Heaven
 帰った私を迎えてくれるよ
 懐かしい Sweet , Sweet Home of Heaven

いのちの雫2/6

元極道の中島哲夫牧師の実兄で住吉会幹部が亡くなった▼葬式打合せで中島師が「兄は洗礼受けた基督者です」と言い極道会で史上初のキリスト教式の葬儀になった▼全国の住吉会親分衆が参席しミッションバラバの四人の牧師が司式し福音も語られた▼式後某親分が「俺も死ぬ前にキリストを信じる」と言った
神から答えを得るための四つの道バイリンガル

Four way to get  answers from God

祈っている事柄について神からの答えを得ることを全ての神の子供達は待ち望んでいる。
All children of God are waiting to get an answer from God about what you are praying.

しかし、満額の神からの答えを得るものは少ない。
However, few of them get an answer from God of the full amount.

答えを得なかったとしてある者は神を疑い、不信に陥る。
Any person who is a suspect God did not get an answer,
and he fell into disbelief.

自らの生き方を回顧せず、高慢になり神を非難する。
Do not look back on his own way of life, condemn the Lord God is his own pride.

祈りが答えられる為の神の定めを正しく知る事が今神の子供達に必要である。
God's children need to know right now is that the ordinance of God for answered prayer.

「わたしの名をもってとなえられるわたしの民が、もしへりくだり、祈って、わたしの顔を求め、その悪い道を離れるならば、わたしは天から聞いて、その罪をゆるし、その地をいやす」(2歴代誌7:14)。
“ If My people who are called by My name will humble themselves, and pray and seek My face, and turn from their wicked ways, then I will hear from heaven, and will forgive their sin and heal their land.”(2 Chronicles 7:14)

第一の道 1:謙ること
The first way1:Condescension

高慢は最大の罪である。
Pride is the greatest sin.

天使長ルシュファーは神のようになろうとして高慢になり神により地に落とされた。
Rushufa archangel become pride as will become like God, was dropped on earth by God.

エジプトの王パロはモーセと主なる神の前で高慢になり目の前で自分の長子を失い、全てのより抜きの兵士と戦車を紅海で失った。
Pharaoh king of Egypt will be pride in front of Moses and the Lord God, lose in front of his firstborn, he lost in the Red Sea the strongest of all soldiers and Chariots.

ヘロデが王の服を着けて座に着き、演説をすると、集まった人々は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。するとたちまち、主の天使がヘロデを撃ち倒した。神に栄光を帰さなかったからである。ヘロデは、蛆に食い荒らされて息絶えた(使徒業伝12:21~23)。
Herod, arrayed in royal apparel, sat on his throne and gave an oration to them.  And the people kept shouting, “The voice of a god and not of a man!”  Then immediately an angel of the Lord struck him, because he did not give glory to God. And he was eaten by worms and died.(Acts12:21~23)

人の心の高ぶりは滅びにさきだち、謙遜は栄誉にさきだつ。(箴言18:12)
Before destruction the heart of a man is haughty,
And before honor is humility.(Proverbs 18:12)

「神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる」からです。」(1ペテロ5:5)
“God resists the proud,But gives grace to the humble.”
(1 Peter 5:5)

敵である悪魔は「神は偽り者だからお前の祈りを聞かれないのだ」と囁いて、神に不信の罪を犯させようとする。

The eneme Satan whispered to the children of God  "Because God is a liar, He does not hear the prayers of you," and trying to commit the sin of disbelief in God.

主イエスは疑い深いトマスに「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」「見ないのに信じる人は、幸いである。」

と言われた。(ヨハネ20:2729)
The Lord Jesus said to doubting Thomas “Do not be unbelieving, but believing.” ”Blessed are those who have not seen and yet have believed.”(John 20:27,29)

無条件にすべての事柄に神の主権を認めて身を低くする事が大切である。
It is important to recognize the sovereignty of God in all things unconditionally, to lower heart before God.

第二の道 2:失望しないで祈り続ける、祈り尽くし、祈りを貫徹すること
The second way 2:Do not be disappointed praying, praying that exhaustively, carry through the prayer

主イエスは失望せずに常に祈るべきことを人々に教えられた。「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わぬ裁判官がいた。ところが、その同じ町にひとりのやもめがいて、彼のもとにたびたびきて、『どうぞ、わたしを訴える者をさばいて、わたしを守ってください』と願いつづけた。彼はしばらくの間きき入れないでいたが、そののち、心のうちで考えた、『わたしは神をも恐れず、人を人とも思わないが、このやもめがわたしに面倒をかけるから、彼女のためになる裁判をしてやろう。そしたら、絶えずやってきてわたしを悩ますことがなくなるだろう』」。そこで主は言われた、「この不義な裁判官の言っていることを聞いたか。まして神は、日夜叫び求める選民のために、正しいさばきをしてく ださらずに長い間そのままにしておかれることがあろうか。あなたがたに言っておくが、神はすみやかにさばいてくださるであろう。」(ルカ18:1〜8)

Then He spoke a parable to them, that men always ought to pray and not lose heart, 2 saying: “There was in a certain city a judge who did not fear God nor regard man. 3 Now there was a widow in that city; and she came to him, saying, ‘Get justice for me from my adversary.’ 4 And he would not for a while; but afterward he said within himself, ‘Though I do not fear God nor regard man, 5 yet because this widow troubles me I will avenge her, lest by her continual coming she weary me.’”6 Then the Lord said, “Hear what the unjust judge said. 7 And shall God not avenge His own elect who cry out day and night to Him, though He bears long with them? 8 I tell you that He will avenge them speedily. (Luke18:1~8)

主は祈りの真髄を教えられたのである。新共同訳の5節は「あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない」とある。

The Lord has taught the essence of prayer.”Yet because this widow troubles me I will avenge her, lest by her continual coming she weary me.”

うるさくてかなわない祈り、御父の御前にひっきりなしにやって来る祈り手の祈りは答えられるのだ。

Persistent prayer noisy,prayers of those who pray keep coming all the time in the sight of the Father can answer it.

妻は結婚の為に10年、父の救いの為に20年、母の救いの為に40年祈り答えられた。

Wife for 10 years of marriage,20 years for the salvation of the Father,pray for the salvation of the mother 40 years, were answered.

一週間とか一ヶ月とか1年祈って諦めたというのは余りにも早計過ぎると言える。

I hope to give up one week or one month or one year is too premature.
朝も昼も夜も祈ろう。
We shall pray morning, noon and night.

「たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない。」(ハバクク 2:3)

Though it linger, wait for it; it will certainly come and will not delay.(Habakkuk 2:3)

「夕べも朝も、そして昼も、わたしは悩んで呻く。神はわたしの声を聞いてくださる。」(詩編55:17)

Evening and morning and at noon I will pray, and cry aloud,And He shall hear my voice.(Psalm 55:17)

神の約束を根拠に祈ろう。(詩篇  119: 147)

Let us pray that the basis of the promise of God.(Psalms119:147)

「だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。」(マルコ11:24)

Therefore I tell you, whatever you ask for in prayer, believe that you have received it, and it will be yours.(Mark 11:24)

「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。」(ローマ8:32)

He who did not spare his own Son, but gave him up for us all—how will he not also, along with him, graciously give us all things?(Romans 8:32)

何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。(ヨハネ5:14)

And this is the confidence that we have in him, that, if we ask any thing according to his will, he hears us:(1 John 5:14)

「見よ。わたしは、すべての肉なる者の神、主である。わたしにとってできないことが一つでもあろうか。」(エレミヤ32:27)

“I am the Lord, the God of all mankind. Is anything too hard for me?”(Jeremiah 32:27)
「主に不可能なことがあろうか。」(創世記18:14)

“Is anything too hard for the Lord?”(Genesis 18:14)

「わたしを呼べ。わたしはあなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる。」(エレミヤ33:3)

‘Call to Me, and I will answer you, and show you great and mighty things, which you do not know.’( Jeremiah 33:3)

「また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。」(マタイ18:19)

 “Again, I tell you that if two of you on earth agree about anything you ask for, it will be done for you by my Father in heaven.”( Matthew 18:19)

「信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。」(マタイ21:22)

“ If you believe, you will receive whatever you ask for in prayer.”(Matthew 21:22)


「あなたの口を広くあけよ、わたしはそれを満たそう。」(詩編81:10)

“Open wide your mouth and I will fill it.”(Psalm 81:10)

神は人ではないから、偽ることはない。人の子ではないから、悔いることはない。言われたことを、なされないことがあろうか。告げられたことを、成就されないことがあろうか。(民数記23:19)

God is not a man, that he should lie; neither the son of man, that he should repent: has he said, and shall he not do it? or has he spoken, and shall he not make it good?
(Numbers 23:19)

第三の道 3:主の御顔を慕い求めること

The third way 3:Yearn to seek the face of the Lord

心よ、主はお前に言われる「わたしの顔を尋ね求めよ」と。主よ、わたしは御顔を尋ね求めます。(詩編27:8)

When You said, “Seek My face,” My heart said to You, “Your face, Lord, I will seek.”(Psalm 27:8)

親は子供と真剣に話すとき子供の顔を見ながら話す。

Parents speak face to face children when speaking children and seriously.

子供の顔が他のものに向いていたら「私の顔を見て話しなさい」と言うことだろう。

Said the child's face was facing the others as "Tell me look at my face."

相手の顔を真剣に見ながら話すと相手の思いや考えや願いが判ってくる。

Talking seriously looking at the face of the opponent, the other party's thoughts and plans and wishes have been found.

また主が正しい事は何か、良いとされる事は何かを理解することができる。

Also, what is the right thing to see that God, something that God is good we are able to understand.

あなたは主が見て正しいとし、良いとされることを行わなければならない。そうすれば、あなたはさいわいを得、かつ主があなたの先祖に誓われた、あの良い地にはいって、自分のものとすることができるであろう(申命記 6章 18節)。

And you shall do what is right and good in the sight of the Lord, that it may go well with you, and that you may go in and take possession of the good land that the Lord swore to give to your fathers(Deuteronomy 6:18)

モーセは主なる神と顔と顔を合わせて話すことができた。

Moses was able to talk face to face with the Lord God.

モーセは主なる神のイスラエル人への思いや計画や願いが判ったから 神の御心に沿った正しい祈りと願いができた。

Moses could right wish and right prayer along the heart of God, because he was found God’s thoughts and plans and wishes to the people of Israel.

御顔を求める事は健全で礼拝に結びつく(申命記 31:11)。

Seek the face of God that leads to healthy and taken up a child of God worship(Deuteronomy31:11).

そして、その人の祈りは受け入れられる。

And his  prayer is accepted.

彼は神に祈って受け入れられ歓びの叫びの内に御顔を仰ぎ再び神はこの人を正しいと認められるであろう。(ヨブ33:26)

then he prays to God, and is accepted by him,he comes into his presence with joy,and God repays him for his righteo.(Job 33:26)

主の御顔を仰ぐとき魂は満ち足りる(詩編  16:11,17:15)

When the soul is contentment to seek the face of God.(Psalm 16:11,17:15)

なぜうなだれるのか、わたしの魂よなぜ呻くのか。神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう「御顔こそ、わたしの救い」と。(詩編43:5)。

Why are you cast down, O my soul?And why are you disquieted within me?Hope in God;For I shall yet praise Him,The help of my countenance and my God.(Psalm 43:6)

第四の道 4:悪い道から離れること

The fourth way4:Away from the road that bad

信じない事は大きな罪の一つに挙げられている(黙示録21:8)。

Unbelieving has been listed as one of the great sin (Revelation21:8).

主の手が短くて救えないのではない。主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。むしろお前たちの悪が神とお前たちとの間を隔てお前たちの罪が神の御顔を隠させお前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ。(イザヤ59:1,2)

Surely the arm of the Lord is not too short to save,
nor his ear too dull to hear.But your iniquities have separated you from your God;your sins have hidden his face from you,so that he will not hear.(Isaiah 59:1、2)

わたしのところに帰れ。そうすれば、わたしもあなたがたのところに帰ろう。―万軍の主は仰せられる―(マラキ3:7)

“Return to Me, and I will return to you,”Says the Lord of hosts.(Malachi 3:7)

虚構は神に嫌われる。

Fiction is disliked by God.

純粋で真実な心を神は求められる。

God is asked to mind the pure truth.

パン種は実質を膨らませるものでその中は空気だ。

Leaven in it with what is real is to inflate the air.

「だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか。」(1コリント5:8)

Therefore let us keep the feast, not with old leaven, nor with the leaven of malice and wickedness, but with the unleavened bread of sincerity and truth.(1 Corinthians 5:8)

正しい動機で祈っているかどうか確認しよう。

Let us check whether or not pray at Right motivation.

願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。(ヤコブ4:3)

When you ask, you do not receive, because you ask with wrong motives, that you may spend what you get on your pleasures.(James 4:3)

「わたしの戒めに耳を傾けるならあなたの平和は大河のように恵みは海の波のようになる。あなたの子孫は砂のようにあなたから出る子らは砂の粒のように増え」(イザヤ48:18、19)

“Oh, that you had heeded My commandments!
Then your peace would have been like a river,
And your righteousness like the waves of the sea.
Your descendants also would have been like the sand,
And the offspring of your body like the grains of sand;(Isaiah 48:18,19)

「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:5、6)

”Trust in the Lord with all your heart and lean not on your own understanding;in all your ways acknowledge him,
and he will make your paths straight.”(Proverbs 3:5,6)


ミッション・あどない・いるえ 
代表伝道者 ピーター藤 正信 
Email: MissionJehovahJireh@yahoo.co.jp
http://missionjehovehjireh.blogspot.com/

2/5いのちの雫

私の霊父ロバート・ユーインはどもりだった▼彼が神学生の時、学部長に「私が君なら説教者にはならないよ」との言葉に「私も同感です。が、神には人が不可能なこともでき、道のない所に進路を作られます」と努力し5分要して答えた▼4年後、神の務めに召された彼は瞬時に癒され以後どもらなくなった。

1898年バド・ロビンソンは車にぶつけられ、医者から「複数の骨折があり助からない」と言われた▼友人の葬儀屋が家族に出費がかからないように葬式の世話をすると申し出ると「死にそうなのは私ではない」とバドは答えた▼彼の信仰の告白に神が完全に癒され、それからも長く生きて宣教の働きをした。

2/4いのちの雫

ジョージ・ミューラーが孤児院建築用の広い土地を見つけ地主に売るよう願った▼すると「お前なんかには買えないよ」と言われ「判りました」と言い去った▼見ていたミュラーの知人が地主に「彼が誰か知らないの?彼は祈りに行ったんだよ。あんたの土地は取られるよ」と告げた▼事実土地はミュラーが得た

今求められている教会の姿

今求められる日本の教会の姿

    超高齢化社会が進む日本で様々な職分野に於いて外国人の方々にますます来て頂かなくてはならない状況だ。平成26年末現在、中長期在留者数は212万人である。その国籍と地域の数は193に上る。その上位10カ国は、中国、韓国・朝鮮、フィリピン、ブラジル、ベトナム、米国、ペルー、タイ、ネパール、台湾である。
   
    実際に働かれている外国人労働者は日本での生活に様々な問題を抱え、そのようなことからクリスチャンになる人も少なからずいる。ところが、日本の教会では英語くらいは通訳があるところがあるが他の言語での礼拝をしている教会はまれである。あるのは、ブラジルや韓国やインドネシアといった国から教職者が来て、その国の言葉で礼拝をささげている。しかし、日本で生きているのであるから様々な生活における問題の手助けは十分ではないと思われる。

   聖書によれば、教会は全ての国民の祈りの家でなければならず(マルコ11:17)、また、すべての国民を弟子としてたてあげなければならない場所である(マタイ28:19)。そうすれば主の大宣教命令の「全世界に出て行って、すべてのつくられた者に福音を宣べ伝え(マルコ16:15)」ることは自ずと果たされていくというものである。何となれば全世界から日本にすべてと言っていいほどの国民が来ているからである。

    今、日本の教会への大きな挑戦はこの機会を捕まえ、多言語の働き人を備え、多種の国民がそれぞれの国の言葉で、共に祈り、共に礼拝し、共に宣教し、共に愛し合い仕えあっていく教会を建てあげることである。そのような教会が日本中に建てられてくるように祈ろうではないか。

思違い

「信仰を持っていると自認していても、その行いが伴っていなければ、救いに預かれるかどうかははなはだ疑問です。信仰には必ず行為によって第三者に証明されるものだからです。礼拝をささげるわけでもなく、聖書の教えに忠実に歩むわけでもなく、ただ「イエスさまを信じています」と言うだけではいけません。」「昔洗礼を受けた記憶はありますが、今は全く関係のない人に信仰による救いがあるかどうかは私は疑問です。」と私のセカンド・チャンスへの反論に対して菅原亘先生から上のようなコメントをいただきました。

 多くの方々がそのように思い、また「私は本当に救われているのだろうか」、「天国に行けるのだろうか」と不安を持っておられます。それは「聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている(マタイによる福音書22章 29節)のです。

 思い違いは、神が与えられた救いをどこで誰が保っているかについてです。聖書は明確に人は霊を持つものに造られ(創世記 02章 07節、伝道の書12章 07節)、キリストを信じた時霊は神にあって生きるようになり(エペソ人への手紙 02章 05節)、そこにキリストの御霊が住んでくださるようになる(ガラテヤの信徒への手紙 02章 20節、ヨハネの黙示録/ 03章 20節)と教えています。霊は本来人のものでなく神ご自身の領域です。モーセの幕屋の至聖所を学べば分かります。ですから「その証しとは、神が永遠の命をわたしたちに与えられたこと、そして、この命が御子の内にあるということです。 」(ヨハネの手紙一5章11節)と記されています。救いと永遠の命はキリストを信じた者の霊の中でキリストにあって保たれているのです。私たちの罪や失敗や信仰生活の如何に関わらずです。魂は人間本来の場所です、ですからいくら「聖い信仰生活を全うするぞ」という強い意志があっても、自分や他人の思いや言葉や振る舞いにより信仰を失い、信仰を捨ててしまう場合もありうるのです。そういうわけですから聖書は次のように記しています。

「人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからである。 」
   (ガラテヤ2章16節)

「しかし、恵みによるのであれば、もはや行いによるのではない。そうでないと、恵みはもはや恵みでなくなるからである。」(ローマ人への手紙11章 06節)

「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。 」
   (エペソ人への手紙02章 08節、9節)

行いによるのではなく、ただ信仰によって義認・救いが与えられると語っているのです。キリストが受けられた7重の苦しみにより、また私たちが行くべきゲヘナに主が行ってくださった故に与えられた恩寵の救いの御業が人の不完全な行いによりその有効性が左右されることはあり得ないのです(ヘブル人への手紙 13章 05節)。

 また別の思い違いは、義認と聖化を混同しているのです。聖化は魂に対するもので、義認は霊において受けたものです。つまり義認はキリストを信じた時完成したのです。聖化は現在形で死ぬまでキリストの姿に向かって成長していくものです。日々自分に死にキリストだけを見続けてキリストの言葉に従い続けていくものです。この聖化は救いとは別です。それは報いと関係があります。

 救いと報いも違います。地上で主に全く従い主の御心に生き、主の業を行い通した人には天においてその報いがあります。しかし、木・草。わらで築くような人生を生きた人にはやがて火でその仕業が試されすべてが焼け落ちて報いはないかも知れません。しかし、キリストにある永遠の救いの土台は残るのです(第一コリント3章10〜15節)。

  私は今までに多く「魂と霊の区別」「永遠の救いの契約」についてお分かちしてきました。それにより、「今やっと、どこで救いを持っているのかはっきり分かりました」と言われる方が少なからずおられます。

セカンドチャンスへの反論

セカンドチャンスへの反論

未信者の死後の救い(セカンドチャンス)についての久保有政師氏の執筆「死後のセカンド・チャンスは伝道の妨げではない。それはまた聖書の教えである」に対しての意見。

1、「死んだ未信者は今陰府(よみ、ハデス)にいるのであって地獄にいるのではない。陰府と地獄は全く別の世界である。その違いは留置場と刑務所の違いに似ている。裁判の前に入れられるのが留置場刑の確定後に入れられるのが刑務所である。」という点において黙示録20章14節、マタイ25章41節を挙げて説かれているが同意する。
 
2、「院府が慰めの場所と苦しみの場所の2つに分かれていた。神を信じる旧約の聖徒たちは死後天国ではなく慰めの陰府に行った。しかし、主・キリストが十字架の購いを成し遂げて天に帰られた時陰府の慰めの場所にいた聖徒たちを天国に引き連れて行かれた。」という点においてエペソ4章8節を論拠として掲げておられるがその通り同意する。

3、キリストの陰府下りの意味について第一ペテロ3章18節~4章6節から未信者として死んだ魂、陰府の苦しみの場所にいる人々に対して福音宣教するためとするのは同意できない。
その理由は次の通りである。
 第一に主・キリストが陰府の苦しみの場所に行かれたのは主の魂であり、アザゼルの山羊(スケープ・ゴート)としてあくまでも我々の罪と呪をその身に負われて身替わりの故である。レビ記16章5節~22節は人々の罪の購いのために2頭の山羊と大祭司が3つの役割をもっていることを述べている。これはキリスト御自身がその全存在をもって全時代の全人類の罪の購いをなされた事を予表しているのである。罪のためのいけにえ
として殺される山羊は全時代の全人類の罪のいけにえとして殺されたキリストの体を表し、民のすべての咎と罪を背負わされ不毛の地へ追いやられるアザゼルの山羊は全時代の全人類の罪を背負い陰府の苦しみに行かれたキリストの魂を(詩編103:12)、いけにえとして殺された山羊の血を携えて至聖所に入り購いの儀式を行う大祭司は真の大祭司であり御自分の血を携えて天にある真の至聖所に入りただ一度完全な購いを成し遂げられたキリストの霊を表している(ヘブル9章11~12節)。主の魂は陰府で神の怒りと裁きを受けられたのである(詩編88編)。

 第二に「その霊において、キリストは捕われの霊たちのところに行ってみことばを宣べられたのです。昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのことです」(第一ペテロ3章19~20節)。これは逃れの町の予表である。民枢記35章25ー28節は「会衆は、その殺人者を、血の復讐をする者の手から救い出し、会衆は彼を、逃げ込んだそののがれの町に返してやらなければならない。彼は、聖なる油をそそがれた大祭司が死ぬまで、そこにいなければならない。もし、その殺人者が、自分が逃げ込んだのがれの町の境界から出て行き、血の復讐をする者が、そののがれの町の境界の外で彼を見つけて、その殺人者を殺しても、彼には血を流した罪はない。その者は、大祭司が死ぬまでは、そののがれの町に住んでいなければならないからである。大祭司の死後には、その殺人者は、自分の所有地に帰る
ことができる」とある。逃れの町に逃げた人々のように罪人だが神を仰いだ人であった。ノアの洪水の時も同じことが言えよう。ノアはおそらく神の託宣を自分の周囲に住んでいた人々に伝えたことであろう。「主がこの地を洪水を持って裁かれるから悔い改めて私と一緒にこの箱舟に乗ろう」と。しかし人々はノアをばかにし、その主からの託宣を信ぜず、受け入れなかった。しかし、主家語られた通り大雨が降り、洪水が起こり、溺れそうになったり、自分達の身に死の恐れを感じるようになると、彼等はノアの語った主の託宣を思い起こし後悔し主に叫んだことであろう。「ノアの信じている神、主よ。赦してください。あなたの僕ノアをばかにしあなたの託宣を信ぜず、自分の生き方を悔い改めもせず、私たちはこの洪水の中で溺れ死のうとしています。でも今わたしは自らを悔います。どうかこの罪人を覚えてください。哀れんでください。」などと主に叫びながら多くの人々が死んでいったであろう。「主の御名を呼び求める者は、誰でも救われる(ローマ10章13節)のであるから彼等の体は罪のために死んだが魂は陰府の慰めの場所に行ったのである。さて、逃れの町から出れるのは大祭司が死んだときであった。それが完成したということを3日間、キリストの霊が宣べ伝えるために陰府の慰めの場所に行かれたのである。やがてキリストの霊はハデスで死を味わっているキリストの魂を救うために駆けつけそれが一つになり、やがては敵の軍勢に襲いかかり滅ぼし(詩編18編)、死と陰府の鍵を奪い取られその力を打ち破られたのである。キリストは旧約の聖徒たちから主・キリストが十字架にかけられた時に一緒に十字架刑により処刑されたが主を信じた犯罪人の一人までを引き連れて天に凱旋なされたのである。かくして陰府のパラダイスと呼ばれる慰めの所はもはや誰もいなくなったのである。キリストの魂が陰府にいた魂に良きおとずれを伝え天国に連れていったのではないのである。
 
4、久保氏はキリストを信じないで死後陰府に行った人が御座にいます方と小羊に讃美と礼拝を捧げると黙示録5章13節にあるから陰府にいる魂が義認の恵みを受けるセカンド・チャンスがあると言われるがそれは以下の理由で当たらないと理解する。
 なお、マタイ7章13節は主が生きている人々に対して語られているのであるが、これをもって死んだ人々が救われることもあるとの論拠にするのは当たらない。
 第一に全ての被造物は創造主なる主を讃美するべきものであることを詩編の記者は聖霊によって語っている(詩編149篇)。同時に聖書は「死人は主をほめたたえることがない。沈黙へ下る者もそうだ」(詩編115篇17節)と語っている。仮に陰府にいる魂が主を誉め讃えることがあるからと言ってそれをセカンドチャンスが陰府にいる者にもあるとするのは早計である。
 第二にルカ16章19節から31節は主が喩えとして話されたとは書いていないので実際の話をされたのだと考える。すると、主・キリストの購いがなされる前、つまり主が十字架にかけられる前であったので金持ちは陰府の苦しみの場所に行き、ラザロは陰府の慰めの場所に行ったのである。金持ちはアブラハムに何と訴えているだろうか。何が彼の願いであっただろうか。それは『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送
ってください。私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。」「父アブラハム。もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。」つまり「何とかしてこのような苦しみの所に家族や自分の兄弟たちが来ることのないようにしてください。死者の中からラザロが遣わされて言い聞かせたら悔い改めるに違いない
でしょうから」というものであった。金持ちは後悔はしていたが悔い改めのチャンスがあるとは言っていない。もしチャンスがあるなら陰府にいるすべての魂はその苦しみの場所から心から逃れたいと望んでいるのであるから天国に行くチャンスを必ず捕らえるに違いない。しかし前述の聖句は、悔い改める機会が生きている時にある事を明言しているのである。

5、久保氏は「死後に救いの機会があると説くことは、福音伝道にとって障害だ。人々は死後に改心すればいい、と考えてしまうに違いない」という立場に対して、死後に関する正しい理解を説けば生きている内に改心すべきことが人々の前により鮮明になり伝道上不都合とはならないという。けれどもキリスト教に触れながらクリスチャンにならなかった日本人が陰府にいる先祖を救い出す道はないと聞いてクリスチャンにならなかっ
たという記述があったからと言って死後に救われる機会があると言うのは以下の理由により当たらない。
 キリストの贖いである義認という救いは人の思惑や思考により定められたものではなく神御自身が神の権威と秩序により定められているものである。この救いはキリストを信じることであるが、それは御子キリストの血による新しい(贈与)契約書に印を押していただくことである(ルカ22章20節、第一コリント11章25節、ヘブル9章15節)。そしてこの救いは人の生き方に左右されない(酬いとは別のものである)からい
つまでも失うことはない御子にあって与えられる永遠の贈物である。加えて誰も(悪魔も悪霊も本人も含まれる)父と御子の手から救われた者を奪うことはできないのである(ヨハネ10章28ー29節)。ヨハネ伝10章28節の原文は二重の否定の言葉をもって断じて決して滅びることはない、しかも永遠にまでもという言葉が加えられているのである。更に「主の御名を呼び求める者は、誰でも救われる(ローマ10章13節)」
とある。かつてベトナム戦争の激戦地である従軍牧師が多くの死に瀕している兵士に極めて簡潔な福音を語りキリストを受け入れる様促したと言う。「イエス・キリストをあなたの救い主として信じなさい。そうしたら天国にいけるよ」と。そんな僅かの時間にでもキリストを信じた者は最後の息が終わった時天使が彼を連れて昇っていくのを、信じなかった者は黒い霊がその魂を連れて下に降りていくのを見たと語っている。そんな死ぬ瞬間とでも言えるような時にでも主を信じる者は義とされ天国にいけるのである。世界で20億とも言われるクリスチャンによって今や限りなく多くの人々が福音に接しているのである。人生に一度や二度は聖書の言葉や主・イエスの十字架の話を聞いたと言えるように先に救われた者たちは様々な方法で伝道や証しをしているのである。しかも、たとい魂を悪魔に売り渡してしまったり、罪の奴隷となってしまったり、自殺をしたり
、全く聖書も読まず祈りもせず、教会にも行かず敗北的なクリスチャン生活を送ったとしてもそのキリストにあって頂いた永遠の命は決っして失うことはなく天国に行けるのである。ただ酬いは別のことである。聖書はキリストくを信じた者すべてが必ず天国に行くことを約束しているのである。そんなにまでも手厚く救いを憐れみ深い主が備えておられるのにそれを受け取らなかった場合にまで、なお陰府でも救われるチャンスがある
と言うのは賛成できない。
 
 


ミッション・あどない・いるえ 代表伝道者 ピーター藤 正信 
栃木県栃木市倭町11-16 〒328-0037 
TEL:0282-25-1427
携帯:080-6562-1427 
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http://missionjehovehjireh.blogspot.com/

2/2非常時を意識した携帯品

非常時の為の携帯品

   東京での牧師会に出席した。

   いつも東京へ行く時は非常時の対応を意識した携帯品を持って行く。今日も同じである。

   チョコレート二種、ドライマンゴー、笛、手袋、レスキュー隊が持っている万能工具、耐熱アルミシート、缶入りお茶2個(ペットボトルの方が蓋ができてよい)、携帯電話用小型予備バッテリー、懐中電灯。それに軽いウォーキングシューズ風登山靴を履いている。家にあって、今日持って来なかった物は折り畳み式ヘルメットでタタメットと、折り畳み式傘である。

   あとは、日頃から神の守りを祈り、よく歩き、鍛えておくことである。

予行演習

大地震で東京から栃木方面に歩いて帰宅する予行演習を少しやってみた。
    フィリピンから帰国した夜、マニラからの便が遅れた。京成電車は最終電車に乗れたが、栃木への終電には乗れなった。それで、都内でサウナにでも泊まろうと思ったが、なかなかみつからなかった。
    それならと、始発電車迄歩いてみようと考えた。google mapで調べると東武伊勢崎線草加駅迄四時間足らずで行けることが分かった。休憩を入れても草加駅始発には必ず乗れると思い歩き出した。日光街道に出て千住宮元町から墨堤通りに入り、西新井橋南詰めから尾竹橋通り
入り荒川を渡り毛長川を渡ったら右折して東武伊勢崎線の線路沿いの道に進み谷塚駅を経て草加駅まで走破した。浅草駅から17.5キロメートル、電車なら25分で行ける距離だが実際にリュックと小さな軽い鞄を持って歩けたはいい経験になった。後半足の付け根やくるぶしが痛くなってきた。日頃そんなに歩いてはいないので当然だが、その日はダヴァオ空港までホテルから2.7キロメートル歩いていたので、自分の体力を知る上でも1日うちに20キロを歩くことになったが、良い経験になった。
    読者の参考になれば幸いである。備えあれば憂いなし。

下は浅草駅から草加駅までの地図です。

1/30いのちの雫

良い物を多く貰っても心から礼を言えない某国の国民性に辟易している▼み父は御子を賜り、御子は命を賜り、御霊は信者の内に住んでくださっている▼加えて、喜び.平安・愛・信仰・恵み・救い・希望・守り・永遠の命をくださっているお方にどれだけ心からの感謝を献げているだろうか▼私が辟易してるように、主も私を飽き飽きされているのではないだろうか。全ての事に感謝し続けたい。

/23いのちの雫

フィリピン航空の機内食を食べたところです。サーパーが最初にメニューのプレートを持って来て「肉と魚のどちらがいいですか」と問うので魚を頼んだ。するといかにもフィリピン風の魚のランチが出てきた。自分に出されたものだけを見ていたら良かったのだが、ふと1席おいた隣の方のランチを見たら日本風の弁当スタイルの内容で 、日本人の私にとっては比較できないほど魅力的だった。例のパーサーに「もっと解りやすい説明が欲しかったと」苦言を言おうとした程である。相手の身になっての気配りの一言は何と麗しいものかを思い知った。

教会が通過すべき7つのテスト

教会が通過すべき7つのテスト

黙示録に示されている7つの教会についてのメッセージを通して学ぶ

1:エペソの教会へのメッセージを通して
  服従のテストである。それをパスする為にはひたすら勝利者が神に徹底した従順が必要である。神は心を見られるので表面的な服従では満足されない。

2:スミルナの教会へのメッセージを通して
  この世からの分離のテストである。勝利者だけがこのテストをパスするのである。勝利者たちは酷い苦しみの時も純粋な信仰の証を守り、神を恐れない偽クリスチャン達の間で生活するも品格を落とす事は無かった。

3:ペルガモの教会へのメッセージを通して
  明け渡しの従順のテストである。このテストにパスしたものが勝利者になる。ヤコブ書4章7節は神に服従するだけが悪魔を追いやる事ができると述べている。これはサタンが住む所で生活している我々には非常に重要な原則である。殉教は全ての事について神に従順する事の別の表現である。

4:ティアテラの教会へのメッセージを通して
  整い・準備のテストである。この試みをパスしたものが勝利者と認められる。パウロは教会を整えて建て上げた。イゼベルが出現するのは聖徒たちが如何に姦淫から自分たちを守る事が整えているかを試みる為である。整えの期間が終わったら、神はご自身の真実の故に私達が建て上げる為に試みられる事を許される。

5:サルデスの教会へのメッセージを通して
  所有を明け渡すテストである。この試みも勝利者への道である。私達はローマの教会に教会の交わりから名前を削除される人々が出るような悪い事が起こっている傾向を見いだす。しかし、それはその除名される人々が内なる人が建て上げられて彼らの主が命の書に書かれる報いを得るためである。そうでなければこの地上で所有を主に明け渡したり主にある交わりは人々を欺くことになる。今日多くのクリスチャンは、神の神聖な秩序や真理よりも、多くの友人達の名前に囲まれた教会を自分のものとして選んでいる。

6:フィラデルフィアの教会へのメッセージを通して
  勝利者になる為に通過すべき3重の優先順位のテスト。
 ・安息のテストは、誰も閉じる事ができない扉が開かれているのを見る。
 ・我慢強い信仰のテストは忍耐して神に与えられた言葉を守るかというものである。
 ・恵みのテストは自分自身の力によるのでない謙遜が鍵である。神から受け取る全てのものの内で最も大きな報いがこのテストをパスした者に与えられる。

7:ラオデキアの教会へのメッセージを通して
  4重の信仰のテストは勝利者になる為の最後のテストである。ラオデキアの教会はこの”古風な信仰”を忘れてしまったのである。
 ・創造的な信仰のテスト ラオデキアの教会が混乱状態にあったという事を気づかせ(黙示録3:17)、神の創造の始めからいつまでも変わらない神の創造的な御言葉は金よりも尊いのである。
 ・御言葉の真理と教えに裏打ちされた信仰のテスト
 白い服がポイントである。御言葉の真理に裏打ちされた信仰に基づいた生活が私達の装いを聖めて染みも無い子羊の花嫁の衣装となる事を覚えるべきである。
 ・神を意識する信仰のテスト
 明らかに主の臨在が欠如しているご自分の教会の外に立ってノックされているキリストがおられる。神を意識する信仰は私達が主との親密な時間が必要な事を気づかせるよう助けるのである。丁度エマオの途上にあった二人の弟子が目の前でパンを割かれた時に主であると気づいたように。

1/21いのちの雫

J.J.グライアーは1930代にテキサスで癒しの伝道者として用いられた▼彼は古い校舎で集会をしていて、新しい建物建築企画が度々なされた▼しかし神が「わたしの富はレンガにでなく、多くの魂に注ぎなさい」と言われたのでそのまま使われている▼彼は偉大な信仰者で決して献金を求めなかった。

からし種の信仰

からし種の信仰

 

マタイによる福音書 17:20
するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。

ルカによる福音書  17:6
そこで主が言われた、「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われ』と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう。

マタイによる福音書  13:31、32
また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、一粒のからし種のようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる」。

マルコによる福音書 4:30、31、32

また言われた、「神の国を何に比べようか。また、どんな譬で言いあらわそうか。
それは一粒のからし種のようなものである。地にまかれる時には、地上のどんな種よりも小さいが、まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほどになる」。

ルカによる福音書  13:18、19
そこで言われた、「神の国は何に似ているか。またそれを何にたとえようか。一粒のからし種のようなものである。ある人がそれを取って庭にまくと、育って木となり、空の鳥もその枝に宿るようになる」。

   東日本大震災の津波が約1万3600キロ離れた南極に到達し、棚氷を破壊してJR山手線内の面積に相当する巨大な氷山が現れたことを、米航空宇宙局(NASA)のチームが人工衛星で捉えた画像で確認した。崩れたスルツバーガー棚氷に、地震発生から約18時間後の3月12日午前9時ごろ(日本時間)津波が到達した。高さは30センチ程度だったが、連続して押し寄せたために棚氷を破壊する力が加わったらしい。氷山の大きさは最大で長さ9.5キロ、幅6.5キロ、厚さ80メートルという。

 東日本大震災で岩手県宮古市を襲った津波は40、5mだった。日本最大の津波は1771年4月24日に沖縄県石垣島を襲った八重山地震(明和の大津波で死者12000人)で85,4mだった。その大津波で高さ8m推定700tもの岩も海底から島に持ち上げられ運ばれてきた。それに比べて30cmの津波と聞くと「なんだ、たいした津波ではないじゃない」と思う人が多いだろう。

 30cmの津波は信仰の乏しい私たちの祈りのようなものである。しかし毎日神の言葉を信じて祈る時に山も海に入るのである(ルカの福音書17章6節)。藤 和子は19歳の時に岸義宏先生にキリストを信じた二日目に「結婚の為に祈りなさい」と言われ10年間祈り私、藤 正信と結婚した。日蓮宗のお経を全て覚え葬儀もでき「私の目の黒いうちは絶対にキリストの話をするな絶対信じないから」といつも言っていた病気がちでいつ死ぬかもしれない父こそ滅びないで天国に行かねばと、使徒の働き16章31節の御言葉で父の救いのために20年間祈り父は救われて4年後に膵臓がんで天に召された。また「私は神も仏も信じない。自分の力で生きて行かなければだめなよの」と自分を神としていた強い母の救いの為にも40年祈り救いを得て7年後に天に帰った。

 神の約束を握りしめて祈るならば、からし種のような信仰しか持っていなくても神の業を見るのです。『まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」』第一コリント2章9節。

最近のいのちの雫

最近のコラム「いのちの雫」をご紹介します。

ロッキー2で主人公が息子に「生まれてきてくれてありがとう」と言った▼弟子に裏切られ真の後継者が息子だと悟り出た言葉だ▼この言葉はすべての人が親に言って貰いたい言葉だ▼どんなに明晰な頭脳の持ち主でも望まれなくて生まれてきたと言われたら生きる力を失う▼貴方は高価で尊く愛しいと神は語る

塩釜港で猛禽が強風に向かい飛んでいた▼神に希望を置く人は鷲のように翼を張って嵐の風に上る事ができると聖書は約束している(イザヤ書40章31節)▼今年も気象に経済に政治に信仰に色々な嵐がやってきそうだが真に歴史を手中に持ち王の心も水の流れの如く変えるお方に魂を据えていこうではないか。

ジョージ・ミューラーが孤児院建築用の広い土地を見つけ地主に売るよう願った▼すると「お前なんかには買えないよ」と言われ「判りました」と言い去った▼見ていたミュラーの知人が地主に「彼が誰か知らないの?彼は祈りに行ったんだよ。あんたの土地は取られるよ」と告げた▼事実土地はミュラーが得た。

私の霊父ロバート・ユーインはどもりだった▼彼が神学生の時、学部長に「私が君なら説教者にはならないよ」との言葉に「私も同感です。が、神には人が不可能なこともでき、道のない所に進路を作られます」と努力し5分要して答えた▼4年後、神の務めに召された彼は瞬時に癒され以後どもらなくなった。

1898年バド・ロビンソンは車にぶつけられ、医者から「複数の骨折があり助からない」と言われた▼友人の葬儀屋が家族に出費がかからないように葬式の世話をすると申し出ると「死にそうなのは私ではない」とバドは答えた▼彼の信仰の告白に神が完全に癒され、それからも長く生きて宣教の働きをした。

1953年五月テキサスを襲った竜巻は118名の命を奪い5千5百万$の財産を破壊した▼事前に神は預言者を教会に送り断食と祈りをさせられた▼結果教会員は誰一人怪我する事もなかった▼某信者がブロック造りの建物の隅にいた。屋根が飛び床の高さ迄ブロックが飛んだが彼は手を挙げ神を賛美していた。

ミッション・あどない・いるえ
代表伝道者 ピーター