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ピーター藤・和子

2015年4月27日月曜日

2015/4/27ネパールの地震



外務省からネパール渡航情報が出た▼大地震発生に伴う被害及び余震等に対する注意喚起についてだ▼多数建築物等倒壊と交通障害の発生で今後の治安も懸念される事、余震が断続的に発生し本震で弱くなった建物の倒壊等という二次被害を含め更に被害が出る可能性がある点だ▼ベット危険情報も出されている


ネパールの首都カトマンズには邦人千人程がいるがある女性は「電気も止まり水も出ず、食料や飲料水がなくなってきている。衛生状況も心配だ」と取材に応じた▼この方の自宅周辺も多く建物が崩れひびが入り住民が家に戻れなくなっているので自宅の庭を開放。住民ら30~50人が常時集まっているという



ネパールの地震はマグニチュード7、8だったが震源の断層が最大で4、1mずれたようだ▼そのエネルギーは阪神大震災の30倍でカトマンズ直下だった▼カトマンズの北西80kmが震源地だがそれは丁度インマヌエル教会のある辺りだ▼読者の祈りと支援を切に求め
たい



ネパール大地震の死者は8千人を超える見通しになった▼主要病院はすでに満杯。一部の病院では屋外に仮設の手術室を設けている。医薬品不足や感染症流行が懸念される中、ワクチンを冷却保管する倉庫の発電機を動かす燃料は10時間分も確保できていない▼ネパール政府は寄付や献血を訴えている。



日本の国際緊急援助隊がカトマンズに到着した▼同空港は数千人の人々が出国の順番を待っており離発着が大幅に遅れたり余震や天候悪化で閉鎖されることもしばしば▼海外からの援助物資の航空機離陸が優先され一般のネパール入りを図る航空機は中継空港で隊状態だ▼私も今回の入国を諦めた次第だ。

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2015年4月26日日曜日

いのちの雫2015/4/26 ネパール地震


ネパールの地震の震源地近くにある地域のインマヌエル教会に来月12日に行く予定だ▼現地ではwifiも使えない状況で道路事情や被害の全容も捕らえられていない▼首都カトマンズで宿泊予定だったホテルもどうなっているか連絡もない▼神の子供達が栽培から守られ回復できるように祈ってもらいたい。







Emmanuel Church Ranishora Maidi-3 Dhading Nepalが現地の教会の住所だ▼今朝の時点で1400名の死者があり、道路は寸断され、通信も電気も不通となっている▼支援を乞う▼問合せはMissionJehovahJireh@yahoo.co.jp







震源地近くのに住む男性は「村はほぼ全滅だ。村人の半数は死亡したか行方不明だ」と述べた▼私が宿泊予定だったタメル地区はレストランや土産品店、ホテルがひしめく観光スポットだが、狭い路地に建物が並び瓦礫の中を車が通るのは困難で、救出活動は困難のようだ▼読者の心と祈りを切に求めたい。








日本政府は今日にも警察や消防など70人規模の国際緊急援助隊を派遣する▼死者は1800人に達している▼キリストの心を持つ者たちも支援の手を伸ばすのは自然のことだ▼日本も東日本大震災や阪神大震災の時多くの国から支援を受けてきた▼折も折丁度ネパールに宣教で行く私共を用いてもらいたい。






米国は甚大な地震被害のネパールに対し1億2千万の緊急援助を決め、中国も60名の国際援助隊を派遣し、イギリスやフランスなど各国も支援を表明▼地震による負傷者は47百人になった▼ネパール政府は、カトマンズなどに非常事態を宣言した▼良き事をするのに手をこまねいていてはならない。





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2015年4月21日火曜日

いのちの雫2015/4/21



先週フィリピンから帰り予定をこなし休みを取らず風邪気味になった。咳が酷く頭に響き辛かったが充分寝たら随分回復した▼今夜は来月行くフランスのTGVの切符と宿の確保をフランス語で手続きした。手間をかけた分安く買えた▼何でも手間をかけることを惜しまず挑戦することこそ若い証拠だと私は思う

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2015年4月15日水曜日

2015/4/15いのちの雫


比ミンダナオでの教会指導者聖書セミナーを終え帰宅した▼2つの地方の中核教会で各々2日間のセミナーと礼拝とリバイバルナイトで説教をした▼セミナーでは牧師・牧師夫人・青年会リーダー百人超の参加があった▼アジア唯一のキリスト教国故か若者の多さと熱心さに感動した▼日本も見習いたいものだ。

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2015年4月2日木曜日

からし種の信仰

(2011/8/11)

東日本大震災の津波が約1万3600キロ離れた南極に到達し、棚氷を破壊してJR山手線内の面積に相当する巨大な氷山が現れたことを、米航空宇宙局(NASA)のチームが人工衛星で捉えた画像で確認した。崩れたスルツバーガー棚氷に、地震発生から約18時間後の3月12日午前9時ごろ(日本時間)津波が到達した。高さは30センチ程度だったが、連続して押し寄せたために棚氷を破壊する力が加わったらしい。氷山の大きさは最大で長さ9.5キロ、幅6.5キロ、厚さ80メートルという。

 東日本大震災で岩手県宮古市を襲った津波は40、5mだった。日本最大の津波は1771年4月24日に沖縄県石垣島を襲った八重山地震(明和の大津波で死者12000人)で85,4だった。その大津波で高さ8m推定700tもの岩も海底から島に持ち上げられ運ばれてきた。それに比べて30cmの津波と聞くと「なんだ、たいした津波ではないじゃない」と思う人が多いだろう。

 30cmの津波は信仰の乏しい私たちの祈りのようなものである。しかし毎日神の言葉を信じて祈る時に山も海に入るのである(ルカの福音書17章6節)。藤 和子は19歳の時に岸義宏先生にキリストを信じた二日目に「結婚の為に祈りなさい」と言われ10年間祈り私、藤 正信と結婚した。日蓮宗のお経を全て覚え葬儀もでき「私の目の黒いうちは絶対にキリストの話をするな絶対信じないから」といつも言っていた病気がちでいつ死ぬかもしれない父こそ滅びないで天国に行かねばと、使徒の働き16章31節の御言葉で父の救いのために20年間祈り父は救われて4年後に膵臓がんで天に召された。また「私は神も仏も信じない。自分の力で生きて行かなければだめなよの」と自分を神としていた強い母の救いの為にも40年祈り救いを得て7年後に天に帰った。

 神の約束を握りしめて祈るならば、からし種のような信仰しか持っていなくても神の業を見るのです。まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」』第一コリント2章9節。

ミッションあどない・いるえ
代表 伝道者 ピーター 藤 正信
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三つの法則

3つの法則
 スイスの村で、農家のミューラー一族が655年前に殺人罪を犯した祖先の犯罪を償うために毎年、教会に罰金として灯火用灯油代70スイスフラン(6700円)を忠実に支払ってきたが、裁判所が先日、支払い義務の無効を言い渡した。現在の農場所有者が油代の支払いを拒否、訴訟になって判明した。締めて4,388,500円。一つの敗北を認め続け謙遜になり誠実になり続ける事は難しい。

1:肉の法則。
 この世の法則。
門は広い。「滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。」(マタイによる福音書 7章 13節)
中国各地で発生した反日デモで、100元(約1200円)をもらってデモに参加した人がいるとの証言が浮上している。公安関係者がデモのリーダー格とみられる人物に「もっと人を集めろ」と話し掛ける姿が見られた。また参加者が「腐敗官僚を引きずり降ろせ」と記した紙を掲げると、当局者が直ちに奪い取る場面も。反政府、反共産党につながる動きは徹底的に取り締まる姿勢を鮮明にした。正に力ずくで何でもしようという共産主義中心主義のやり方である
肉体を支配している法則。
 罪の法則(ローマの信徒への手紙 7章 23節)「そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます」(ヤコブ1:15)
 御霊の賜物を熱心に求め預言していても富を得る事が魂の中心を占め富を主に求め富が与えられる預言ばかりし、それは御心だと信じている人は肉の法則に生きているクリスチャンである。


2:霊の法則。
 神の法則。
「なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである」(ローマ人への手紙 8章 2節)。
 神中心の生き方をする時にのみ得られる法則。
門は狭い。「狭い門から入りなさい。命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」(マタイによる福音書  7章13、 14節)。
 至聖所と霊を支配している法則。
 信仰の法則(ローマの信徒への手紙 3章 27節)。
イギリスのブリストルに孤児院を造り2000人もの子らを信仰だけで60年間運営した。何かあると祈り何と応えられた祈りは3万回とも言われる。状況に目を向けるのでなく状況を支配される全能の主に目を向け続け期待し続けていく時霊の法則の中に生きる事ができる。
 毎日聖霊に満たされ、朝に夕に聖霊の火に照らされた活ける命のパンである御言葉を食し、常に祈りと賛美と感謝を捧げ、主に主権を明け渡して従っていく時に持てる法則である。

3:魂の法則。
 勝利者は霊の法則を選び続け、この世的なクリスチャンは限りなく霊の法則を選び続けるのが難しい。
 常に霊の法則と肉の法則に影響を受けるもので「パウロの言うああ我悩める人なるかな」。
 常に両者択一的な有り様をなすもの。(ローマ7章)「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」(マタイによる福音書
 6章 24節)。
 クリスチャンなら常に葛藤し戦っていて今日は勝利した(霊の法則に従った)と言い、昨日は敗北した(肉の法則に従ってしまった)と言う。
 毎日、毎時間、毎分、毎秒大祭司なる主に聖所に来てもらい助けて貰い従う時得られる法則であり、そうでないときは自ずと肉の法則に従っているのである。
 ペテロは主の言葉に従って信仰の法則を選んでいた時湖の上を歩いていたが、主から目を反らし世界の法則を見た時信仰の法則は失せ水に沈んだ
 サムソンは士師として選ばれた者であったが、肉の法則に従って生きたので敗北して敵に捕らえられ目をえぐり取られたが、悔い改め謙遜になり主に祈り主を求めた時神の法則の中で輝かしい勝利を得ながら生涯を閉じた。
 ダビデは部下の妻を奪ったり、高慢になって民の数を数えたりしてこの世の法則に従ったが、真に悔い改めて生涯「主の目にかなう正しいことを行い、父祖ダビデの道を歩み、右にも左にもそれなかった」(歴代誌下
34章 2節)と主に言われるような勝利者の生涯を送った。

ミッションあどない・いるえ
代表 伝道者 ピーター 藤 正信
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恵みの雨原稿4月号

「恵みの雨」4月号3月10日発行。1/31(金)原稿締き

「命のために働くーいたんだ葦を折ることなく」
新しい命を主から与えられた存在として、クリスチャンが世に
出ていく時、特別なはたらきが与えられます。今している働き
について、なぜそのはたらきが与えられたのか、また命に関わ
っていくはたらきをとおして教えられていること等を分かち合
ってほしいです。ですます調。4000字。起承転結にわける
。それぞれに小見出しを付ける。「彼は痛んだ葦を折ることも
なく、くすぶる灯芯を消すこともない」(マタイ12:20)
クリスチャンの霊的成長のため、超教派の信仰誌。読者が「恵
みの雨」を通して生きた神の言葉を受け取り、信仰を生活の中
で具体的に活かしていくことを考えて誌面つくりをしています
。金子麻美様担当。
起 例話 あすかの嘘と万引きによる和子の起 いと小さき者
への働き
 お菓子を一日中食べ続ける子、毎晩おねしょする中学生など
。私達が伝道・牧会をしながら数日から数年の関わりで家庭に
迎えた子らです。養護施設にいたそれらの子はいずれも愛に餓
え乾いていました。異なった表現でそれを表し無意識のうちに
自分を受け入れてくれと主張するのです。
 特にA子は大変でした。勉強はできず、宿題をこなすのに夫
婦かかりで五時間近く教えた事が多くありました。それだけで
なく、彼女のどの言葉を信じたらよいのか分からなくなる程嘘
をつき、また万引きを続けるのでした。疲労困憊してゆく妻を
見ながら何回も「主よ、あなたの愛をもっとください。私たち
はこの子を愛する事ができません」と泣きながら祈りました。
なんとか良い子になってほしいとお尻も叩きました。叩く方も
叩かれる方も泣きながらでした。そんな彼女が我が家を離れる
時「別れたくない」と言って大泣きしたのです。後日、次の里
親とうまくやっていけず覚醒剤に手を出したり、オートバイ窃
盗に手を貸したりして、教護院に入りました。ところが「私が
悪い事をしたのだから当然」と彼女の心は素直になっていき、
今は温泉旅館でまじめに働いています。「私の親は藤さんしか
いない」と休みの日には土産を持って我が家に来ています。
 一九九五年には「宣教」と「身寄りのない者に家庭を与え
る」ことを使命として”ミッション・あどない・いるえ”を創
設しました。フィリピン・ミンダナオでは一ヘクタールの土地
を得て聖書学校を開設し二五名を超える卒業生を送りだし、教
会も十八になりました。文盲の人が多くいる山岳の村にも聖書
学校の分校ができました。九七年七月からは「あどない・いる
え・チルドレン・ホーム」の運営を始め現在四十名をお世話し
ています。あの山岳の村からも孤児達を受け入れました。貧し
い三十八の家庭から三十八名の子らを学校に送る足長おじさん
の働きもしています。
 クリスチャンも人ですからもっと愛されたいと願うのが自然
です。しかし受ける事を求めるばかりではなく、キリストから
受けた愛を少しでも与えていくことによって魂は満足できるの
です。自立していった里子が教会にいっており、その教会で奉
仕をさせていただき、
1本の缶ジュース代が一人の孤児の1回の食事代に、あなたの
1回分のディナー代(二千円)でフィリピンの貧しい家庭から
1ケ月1人の子を学校に送ることができるのです。「あなたが
たが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちの
ひとりにしたのは、わたしにしたのです」(マタイ二五章四節
)。

承 あわれみの業についての神の定め
 聖書はあわれみの業について多くを述べています。
 「みなしごや、やもめのためにさばきを行い、在留異国人を
愛してこれに食物と着物を与えられる」(申命記10:18)、「
在留異国人や、みなしごの権利を侵してはならない。やもめの
着物を質に取ってはならない」(申命記24:17)、「在留
異国人、みなしご、やもめの権利を侵す者はのろわれる」(申
命記27:19)、「<主は>みなしごと、しいたげられた者をか
ばってくださる」(詩編10:18)、「みなしごの父、やも
めのさばき人は聖なる住まいにおられる神」(詩編68:5)
、「主は在留異国人を守り、みなしごとやもめをささえられる
」(詩編146:9)、「みなしごのために正しい裁きをなし
、やもめのために弁護せよ」(イザヤ1:7),「やもめ、みなし
ご、在留異国人、貧しい者をしいたげるな」(ゼカリヤ7:10),
「在留異国人、みなしご、やもめを苦しめたり、いじめたりし
てはならない」(エレミヤ22:3)、「みなしごに食べ<させよ
>」(ヨブ31:17),「あなたがたのうちの在留異国人、みなし
ご、やもめとともに主の前で喜びなさい」(申命記16:11,14)
、「もめを素手で去らせたりみなしごの腕を折ってなならない
」(ヨブ2:9),「みなしごのろばを連れ去り、やもめの牛を質
に取<ってはならない。>」(ヨブ24:3),「みなしごの畑に
入り込んではならない」(箴言23:10)とあります。「父なる
神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困
っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることで
す」(ヤコブ1:27)として聖潔であるべきことと並列に求めら
れています。
 やもめや孤児のような人々に対する働きをあわれみの業(Mercy
Ministry
)といいます。キリストのいのちと愛の中に生きていくクリス
チャンはキリストの似姿にへと成長していく存在だからあわれ
み深くあるよう求められています。疑似の親子の関係を持って
いく里親という立場は自分の子でない者を約束によって自分の
子として関係を持っていくものです。里親は大きく分けて自分
に子がいないため気に入った子がいたら養子にするという目的
で里親になる方のことをいいます。これに対して養育里親は児
童相談所から示された子を条件を付けずに家庭に受け入れ裏切
られてその関係を破棄することができてもその者を受け入れ、
赦し、信じ、期待し
庭に恵まれない子」となります。ひどい場合はトイレで産み落
とされたり、コインロッカーの中から見つかったり、乳児院の
玄関に置かれていたりする嬰児です。
 元厚生省の統計によると日本には四万三千人の家庭に恵まれ
ない子供がいます。乳児院や養護施設、そして里親の家庭で世
話を受けている、親と共に生活できない子供の数です。また、
数知れない中絶・堕胎が行われ、国の将来を担うべき子供の数
は毎年減少しています。今や毎二分間に一組の夫婦が離婚をし
てその犠牲となる子供の数は増えています。加えて、親に暴力
を振るう児童、十万人もいる高校中退児、自立できない子供な
ど児童相談所が扱う子供の事案件数は年を追う毎に増えている
のです。「シオンの娘の城壁よ。昼も夜も、川のように涙を流
せ。 ぼんやりしてはならない。目を閉じてはならない。夜の
間、夜の見張りが立つころから、立って大声で叫び、あなたの
心を水のように、主の前に注ぎ出せ。主に向かって手を差し上
げ、あなたの幼子たちのために祈れ。彼らは、あらゆる街頭で
、飢えのために弱り果てている」(哀歌二章十八、十九節)。
 
て働きは実にキリストの愛でなければできないものです。

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安息についての説教要旨

1:弟を交通事故で34年前に亡くした。内臓破裂で即死だった
。遺体を病院から抱いて家まで運んだ。涙だけが溢れ出ていた
。その状況で天国で会えると言う希望が腹の底から湧いていた
。弟もキリストを信じていた。今苦しみも痛みもない完全な憩
いと安息との中にいる。

2:キリストは全人的な憩いと安息をくださる方である。「す
べて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来
なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」このマタ
イ11章28で 主・イエスはすべての人に招かれている霊のいこ
いを語られている。29節の「わたしは心優しく、へりくだっ
ているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしか
ら学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」は魂
に与えられるいこいと安息を語られている。人は土から造られ
命の息(霊)を吹き入れられ生きる存在(魂)となった。霊は
神に属するもの。信者になる時キリストの霊を宿す(第一コリ
ント3:16)。魂は感情と意志と理性を司り不安定な要素が
ある人の存在の中心だ。キリスト信者は死ぬと天国で霊も魂も
体も完全な安息と憩いに入る。

3:霊・魂・体について与えられるいこいと安息を見よう。
A:主の許に最初にき た時に与えられるいこい(安息)。
 すべての神の御業は安息から始まる。ここに言う安息とは心
に平安があるという以上の深 いもの(へブル3:7~4:11)
。小羊の血に覆われたため裁きから救われたという人生 の最
も深く大きないこいと安息。。亡びからの安息。霊に与えられ
る安息。主の名を呼ぶ ことだけで与えられる安息。恵みによ
り与えられる安息。無条件で与えられる安息。教会 に行って
なくても与えられる安息。十字架の主の右側に架けられた人に
与えられたもの。 永遠の刑罰・滅び亡びからの安息。主を信
じ受け入れた時に頂くいこいと安息。
B:魂(心とも精神とも言われる)部分に与えられるいこい。
 主・イエスと共に歩む時に与えられるいこい。条件付きの安
息。信者が信仰の導き手であ るキリストと一緒に歩む時に与
えられるいこい。自分勝手に生きていく時には持てないい こ
い。神の御心に従う時に与えられる安息。主が進む方向に主と
共に歩む時与えられる。 瞬間的に与えられるものではなく、
自我を捨てるというプロセス。毎日持ついこい。自由 意志に
よりもついこいと安息。
C:体に与えれれるいこい
 「また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしる
せ。『今から後、主にあって死 ぬ死者は幸いである。』」御
霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休
 むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからであ
る。」(黙示録14:13)体は この地上では苦しみ、痛み、不
調がある。天国には完全ないこいと安息が用意されている。 
罪の存在するこの世からの解放。

4:先行きの不安が多い社会の中で今こそ憩いと安息と安らぎ
に満ちた人生をあなたのものとしよう。主・イエスは命をかけ
てその為のすべてをなしてくださった事を信じよう。

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代表 伝道者 ピーター 藤 正信
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モーセの幕屋の教理

幕屋の真理:キリストの住まい(教会)に関する神の定め
私たちが神の家 
  「しかし、キリストは御子として神の家を忠実に治められ
るのです。もし私た ちが、確信と、希望による誇りとを、終
わりまでしっかりと持ち続けるならば、 私たちが神の家なの
です。」(へブル3:6)

神が住まわれる所
  「彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの
中に住む。」(出25: 8)黙示録3:20、ヨハネ14:
20

神の御住まいとなる 
 「このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御
霊によって神の御住まいとなるのです。」(エペソ2:22)エ
ペソ4:1-21

どうして今日の教会が力がないのか敗北しているのかそれはデ
バインオーダーがない、あるいはそれに従っていないからであ
る。どうして教会に悲しみが満ちているのかそれは教会が神の
秩序と定めを破っているからである。神の定めに従っているか
否かが全く大きな差を生むのである。それを知り従うとき教会
は勝利と繁栄と前進がもたらされるのである。あなたは山で示
された定めのとおりに、幕屋を建てなければならない。出26
:30

幕屋の型と幕屋のすべての用具の型とを、わたしがあなたに示
すのと全く同じように作らなければならない。出25:9

よく注意して、あなたが山で示される型どおりに作れ。出25:40

燭台の作り方は次のとおりであった。それは金の打ち物で、そ
の台座から花弁に至るまで打ち物であった。主がモーセに示さ
れた型のとおりに、この燭台は作られていた。民8:4

私が、きょう、あなたに、あなたの神、主を愛し、主の道に歩
み、主の命令とおきてと定めとを守るように命じるからである
。確かに、あなたは生きて、その数はふえる。あなたの神、主
は、あなたが、はいって行って、所有しようとしている地で、
あなたを祝福される。申命記30:16

 <荒野の幕屋は型>
示された型に従って 
 「その人たちは、天にあるものの写しと影とに仕えているの
であって、それらは モーセが幕屋を建てようとしたとき、神
から御告げを受けたとおりのものです。 神はこう言われたの
です。『よく注意しなさい。山であなたに示された型に従っ 
て、すべてのものを作りなさい。』」(へブル8:5)

昔書かれたものは私たちを教えるために書かれた 
 「昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれた
のです。それは、聖 書の与える忍耐と励ましによって、希望
を持たせるためなのです。」(ローマ15:  4)

戒めのため教訓とするため
 「これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、
それが書かれたのは、 世の終わりに臨んでいる私たちへの教
訓とするためです。」(1コリント10:11)

 出エジプト25章~28章
 へブル5章~8章

神の定めを教える、神の道を教えるものである。
 
 神は教会のためのデバインオーダーも定めておられる。礼拝
に関する、教会に関する、職務、聖霊の賜物に関する定めてお
られる。どうして今日の教会が力がないのか敗北しているのか
それはデバインオーダーがない、あるいはそれに従っていない
からである。どうして教会に悲しみが満ちているのかそれは教
会が神の秩序と定めを破っているからである。神の定めに従っ
ているか否かが全く大きな差を生むのである。それを知り従う
とき教会は勝利と繁栄と前進がもたらされるのである。
 
 「今、もしも、私があなたのお心にかなっているのでしたら
、どうか、あなたの道を教えてください。そうすれば、私はあ
なたを知ることができ、あなたのお心にかなうようになれるで
しょう。この国民があなたの民であることをお心に留めてくだ
さい」(出エジプト33:13)。「主は、ご自身の道をモー
セに、そのみわざをイスラエルの子らに知らされた」(出エジ
プト33:13)。主の道を教えるために見せられたのが幕屋
である。いかに罪人は神の近づくことができるか、いかに神の
臨在の中にはいることができるか、奉仕者はいかに奉仕すべき
か、神の家はいかに建てあげられるべきか、神のパンはいかに
して提供されるべきなのか、神の家はいかに治められるべきか
、どんな礼拝が捧げられるべきか、神の栄光はどこに宿るか、
等を教えるのが幕屋である。青銅の祭壇、青銅の旋盤、幕屋と
いう建物、供えのパンの机、黄金の燭台、金の香壇、至聖所の
契約の箱である。

神の定めと秩序
 今や世界中は、物事の根源を見いだしたいと切に願っている
。科学者たちは原子の世界を既に開いている。「主はおのれの
道をモーセに知らせ、おのれのしわざをイスラエルの人々に知
らされた」(詩編103:7)。モーセは祈った。「どうか、
あなたの道を示し、あなたをわたしに知らせ、あなたの前に恵
みを得させてください」(出33:13)。神は、主の至聖所
の型(パターン)を与えるための、主の様々な道をモーセに示
された。「主の様々な道」とは主を知るためのいくつかの支流
のようなものである。
 パウロは、幕屋は新約の教え(レッスン)を明らかにするも
のであると繰り返し語っている。「山で示された型通りに、注
意してその一切を造りなさい」(ヘブル8:5)。この型につ
いてよく見てみよう。テモテは「私から聞いた健全な言葉を模
範にしなさい」とパウロから言われた(第二テモテ1:13)
。ここでは、我々は限られた部分しか詳しく見ることができな
いが、その中に一つの型を見るためには十分である。そしてそ
の一つ一つは「神の聖なる秩序」の様々な側面を示してくれる

A:青銅の祭壇 B:青銅の洗盤 
C:幕屋 D:供えのパン E:燭台 F:香の壇 G:契約の箱


 これらは、「神の聖なる秩序」をどのように示しているのだ
ろうか?
A:青銅の祭壇は、「個々人の訓練」のための「神の秩序」(
ディバイン・オーダー)  を示している。(出27)。我々
はそれぞれ主の御心に自らを訓練する必要があ  る。どのよ
うにしてか?
1:我々が神の御心の中に入るためにはどうしなければならな
いかを表す。我々は  自分勝手に神に近づくことはできない
。いかに大きな犠牲を払い、いかに熱心  に自分の方法でな
そうともである。罪人は必ず幕屋の入り口に入り、青銅の祭 
 壇と血の海を見る。祭壇はあたかも血の池の真ん中にある心
臓のように見えた。  それはカルバリーの十字架とそこで流
された主の血潮である。主の十字架以外  に主に近づくこと
はできない。この世の宗教は金や瞑想や修行を要求する。外 
 から見ると、祭壇は血の海だったであろう。なぜなら、罪人
がその入り口で燔  祭をささげると、祭壇の周囲には血が飛
び散ったからである(十字架上で両腕  を広げたように)。
そして、祭司が幕屋の入り口近くの洗盤の水で体を洗うま  
では、その血の跡は脚から払われなかった(レビ1:3)。祭
壇はカルバリを  表している。カルバリに行くときに、一人
一人は神のただ中に行くのである。

2:罪人は身代わりの犠牲なくしては神の臨在に近づくことは
できない。我々もま  た、我々の身代わりとしてのキリスト
なくして神の御前に行くことはできない。

3:青銅の祭壇は2つのものからなっていた。格子がが土台に
あり、固く渇いた木  材(アカシヤ)で造られ、青銅で覆わ
れた祭壇がその周りにある。格子は「カ  ルバリの十字架」
を表している。すなわち、真の犠牲であるキリストを表して 
 いる。キリストの人性の面において、主は渇いた木材として
描かれている。す  なわち「かわいた土から出た根のよう」
であった。主は我々の裁きを担ってく  ださったので青銅は
裁きを象徴している。カルバリの十字架である。犠牲を表  
す格子は、祭壇の高さの半分に達していた。祭壇の高さ(3キ
ュビト)の真ん  中に格子の網がある。それは姿勢所の購い
の蓋の高さ1、5キュビトと同じで  ある(出25:10、
出27:1、5、ローマ3:25)。我々自信という犠  牲
はキリストと同じ高さ義を持った者とみなされる。旧約の聖徒
ノアやヨブも  そんな高い義を持つてはいなかった。祭壇は
格子の上あってそこに犠牲を置い  た。いけにえを捧げる時
はいけにえは見えず、炎のみがみえる。我々が主を受け入れた
時主にあって我々は隠されている。キリストの中にある者とみ
られる。  捧げた犠牲の中に我々を見てくださる時、キリス
トが義であられるように神は  「キリストの義の中に」我々
を見てくださる。契約の箱は「贖い」としてのキ  リストの
型である。

4:日ごとの犠牲が捧げられた。犠牲は毎日捧げられた。我々
は自分の体を生ける  供え物として差し出すべきである(ロ
ーマ12:1)。

5:火は決して消えることがなかった(レビ6:13)。この
ことは我々は聖霊の  火を消してはならない(第一テサロニ
ケ5:18~20)。つぶやきばかりで  賛美がないと聖霊
の火は消されてしまう。

6:傷のない捧げものだけが受け入れられた。この祭壇の上で
ささげられるものは  傷ある者は受け入れられなかった。神
は聖霊の火を我々に下して受け入れてく  ださるのだから、
我々の祈りと我々自身と、我々の務めが悪意と私欲と汚れか 
 ら離され清められなければならない。妨げられる祈りがある
。自分の願望や利  益は汚れたたものとなる。

7:灰を清いところに運び出すために灰皿がある。この業は旅
に出る前に葬られな  なければならなかった。我々は過去の
献身の上に生きることはできない。過去  の献身は将来のた
めには不十分である。日々新たな献身が必要だ。

8:その他にも祭壇の用具があった。神は十字架の用具を持っ
ておられる。あるも  のは十字架の裁きであり、あるものは
我々を絶えず訓練するのに助けとなる裁  きである。

9:祭壇は4角形であった。神の愛の十全性を意味し、我々か
らも同じ愛を求める。  カルバリは神の愛を完全に表す。我
々のための主の全き放棄は、我々の主に対  する全き明け渡
しをも意味すべきである。そうでなければ神の主権はどこにあ
  ろうか。

10:様々な祭具を伴う祭壇は旅の間覆われ、祭司たちの肩に
担われた。「さあ、十  字架を背負ってわたしに従いなさい
」(マルコ10:21)。我々は自らの十字  架を伝えるの
ではなく、神の栄光だけが現れるよう、主に預けるのである。
自  分の十字架を誇るな。見せるな。青銅の祭壇は十字架を
象徴しそのいけにえは  我々であり、我々が十字架に架かっ
たとみなされる。
B:青銅の洗盤は、「祭司の生き方の聖めと主への奉仕」のた
めの神の秩序と定めを表す(出30:18)。今の時代は我々
自身が祭司である。(第一ペテロ2:15、黙示録1:6)。
<ポイントは3つ。いかに聖められなければならないか。>

1:青銅の洗盤は、旋盤が造られた材料は婦人の姿見である。
女性たちの鏡から造  られた(出38:8)。我々にとって
は御言葉、御言葉は我々の鏡であり(ヤ  コブ1:23)、
自分を見て生き方を清め(エペソ5:26)、主への奉仕を行
  うためのものであった。主の奉仕者は聖くなければならな
い。洗盤は手と足の  ためのものである。「主の器を担うも
のよ、己を清く保て」(イザヤ52:11)。  体全体が御
言葉で聖められなければならない。

2:水で洗わずに仕える者は死ななければならなかった。水の
洗いはギリシャ語で  旋盤と同じ意味。御言葉と同じ。死な
ないために洗う。洗わないと死が来る。  奉仕者が聖められ
ないで奉仕を行うと死が来る。もし神の前で聖くなければ、 
 我々は、死ななければならない(出30:20)。

3:青銅は裁きを表す。洗いは聖める。青銅の洗盤は我々の内
に成就されることを  待ち望んでいる「御言葉」がそれが成
就される時まで我々の生き方を試みよう  とすることを表し
ている。ヨセフの生涯の中に見ることができる。その言葉が 
 ヨセフを裁いた。御言葉が与えられるとそれが実現するまで
我々を聖め試され  る。プライドなど。神の御言葉だけに信
頼するように。(詩編105:19)。
C 幕屋:教会という建物を建てあげのための神の秩序と定め

<4つのポイント>
1:正しい(御心の・神の)ことか。神の住まわれる聖所を建
てる
2:正しい(御心の・神の)時か。イスラエルがシナイ山で新
しく国家として形成されたとき。3:正しい(御心の・神の)
方法で。詳細にいたるまで神の御心に従って。
4:正しい(御心の・神の)助け手と。ベツァリエルはオホリ
アブ(キリストの型、助け手、聖霊)と共に、すべてのイスラ
エルのために「体への務め」を監督した。
 この原則は、テーブルの4本の脚のようなものである。もし
どれか1本でも欠けるならバランスを崩し不安定になる。言い
換えれば、その脚が片側に不均等になれば、テーブルの上の花
瓶は安定することができない。バランスは安定へと向かう。途
中で壊れた場合は足が1本2本足らなかったかもしれない。
 実際、これらは「聖霊」と「真理」の二つに分けられる。も
し、神のみ言葉、すなわち神の真理に仕えようとするなら、そ
れは「正しいこと」をしようとしている。聖霊に導かれようと
しているなら、「聖霊」は「正しい神の時」を正しくつかむよ
うにしてくださる。聖霊は「正しい神の助け手」を出現させて
くれる。
 賢い棟梁であるパウロは、これらの4つの生きた原則を、神
のガイドラインとして示している。パウロはその(非常によく
考えられた)計画を説明している(第二コリント2:11~1
3)。「私がキリストの福音のためにトロアスに行ったとき」
(2:12)。ここに「1本目の脚」「正しいこと」を行った
ということが見られる。「2本目の脚」は、「主は私のために
門を開いてくださいました」(第二コリント2:12)の中に
見られる「正しい神の時」である。「3本目の脚」はこれらの
ことの背景が使徒行伝16章にあり、そこでパウロはは「正し
い神の方法」をもって神の御心に従って行動していることが分
かる。ところが、「4本目の脚」である「正しい神の助け」は
見つけられない。「兄弟テトスに会えなかったので、心に安ら
ぎがなく、そこの人々に別れを告げて、マケドニヤへ向かいま
した」(第二コリント2:18)。神はピリピでの素晴らしい
働きを建てあげるためにも4つのポイントを持っておられた。
パウロはサタンによって陥れられる以上に、3本脚だけのテー
ブルを造ることはテーブルは倒れてその上に載せていたものを
失わせかねないことを知っていた。やがて、テトスはパウロに
会いにマケドニヤにやって来た。(第二コリント7:5~6)
。パウロは助け手であるテモテがこなかったとして開かれてい
る宣教地に向かわなかったのである。
 ローマ15章16章では「神は「正しいこと」をなさるとい
う教会という建物の基礎的なポイントを見ることができる。(
しるしと不思議の力によって)パウロはキリストの福音を満た
してきた(第二コリント15:9)と言っている。
 パウロは「正しい神の時」に、次の所に行こうとした。「で
すが、今は、聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ行こうと
しています。それで、私はこのことを済ませ、彼らにこの実を
確かに渡してから、あなたがたのところを通ってイスパニヤに
行くことにします。」(ローマ15:25、28)。いくつか
の節でパウロは「神の正しい方法」で行動しようとしているこ
とが分かる。それは、「他人の土台の上に建てるのではなく」
(ローマ15:20)、「キリストの満ちあふれる祝福をもっ
て」行くこと(ローマ15:29)を、とりなしによって慰め
られ(ローマ15:30)、「神の御心により喜びを持って」
(ローマ15:32)行くことができるようにであった。「4
本目の脚」すなわち「正しい神の助け」が既にローマにおいて
パウロを待っていた事実がローマの16章に述べられているす
べての素晴らしい助け手たちの内に見られる。
 「正しい神の助け手」を除く3本の脚を明確化するならそれ
は「正しい神の方法」という脚である。パウロは「正しい神と
の関係」が維持されるという「正しい神の方法」で行うことを
決めたのである。建築家はいくらかは自分で建てあげることが
できても、建ててあげる相手や一緒に建てる人との関係がうま
くいかなければそれは行き詰まるだろう。
 「キリストの満ちあふれる祝福をもって」(ローマ15:2
9)行くことは「正しい神の素材」を示唆する。建築家は「正
しい神との関係」をもっても、途中まで建てあげて、財政的に
も建てるための材料がなくなってしまったらその建築は行き詰
まりかねない。多くの教会はそのようにまさに途中でストップ
してしまっている。神の素材、神の恵み、そして9つの聖霊の
賜物が、建てあげる時に神が共に働けない、人間の能力や計画
によって取って換えられてしまっているからである。
 次にパウロが「私のためにともに力を尽くして神に祈ってく
ださい」(ローマ15:30)。と言っているように、我々が
様々な約束を要求すると言った「正しい神との契約の権利」が
ある。すなわち、建築家が途中までは建てあげられても、ある
者がやって来て、その権利が不正であると主張し、別人に所有
権が取って代わられることがありうる。
 最後に元気を回復することができるよう「神のみ旨により、
喜びを持って」(ローマ15:31)。建築家が「正しい神の
方法」で建てあげるのに十分熟練した技量をもっていないため
に「正しい神の結果」に失敗することを意味している。
 9つの実は「正しい神との関係」を表し、聖霊の9つの賜物
は「正しい神の素材」、9つの幸いは「正しい神との契約の権
利」の主張を表す。神の命令は「正しい神の結果」をもたらす
神の方法を我々を与えるものである。9つの「神の命令」はマ
タイ28章19,20節に示されている「あなた方は行って、
すべての国民を弟子として、・・あなた方に命じておいた一切
の事を守るように教えよ。見よ、わたしは・・いつもあなた方
と共にいるのである」。また、マルコ16:17,18の5つ
のしるしは、この「神の命令」を完成させる。「弟子たちは出
て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主も彼らと共に働き、
御言葉に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになっ
た」(マルコ16:20)。「神の命令」には「神の神の結果
」が自動的に伴うのである。
 幕屋は、神の至聖所すなわち「正しい神のことがら」であり
、神に対して聖別されるとき、それは「正しい神の時」に、そ
して「神がモーセに命じたように」、「正しい神の方法」と「
正しい神の助け手」によって建てあげられた。
 以上は教会という建物のための神の秩序の原則を示す一方、
どのようにして順次進められたかという「型」を示している(
第一コリント12:28)。先ず土台が据えられるために「使
徒」と「預言者」という土台を置くものが挙げられている。建
物が建つ前には手に測量計を持って周囲を回り、新しい一つ一
つの石がどこに据えられるべきを正確に見る「教師」が必要と
なる。次に壁をつけるが、これは「奇跡」と「癒しの賜物」を
求める新約の福音伝道を表す。それから、重い桁、梁、支える
ものなど、「助ける者と管理する者」を表す者がくる。そして
建物は住まうために仕上げられなければならない。聖霊の賜物
が「建てあげる」「品性」のためであるように、我々は聖霊の
賜物を必要とする。異言はその引き金であるから最後に挙げら
れる(必ずしもその重要性において最後である必要はない)。
エペソの教会はその型の実例である。
 教会は直角に順次進む層を持つミツバチの巣箱のようなもの
である。正常でない状況下でも、この秩序が損なわれたときに
、独特の機能美をこの巣箱が保ち続けるようにしてくださる神
は、同様に地域教会にも働いてくださる。教会がこれまで初代
の使徒的土台を積むことを知らずに来たが、格別の恵みをもっ
て教会を主の似姿に形作る事が主はおできになるのである。し
かし、仕損じた器をろくろの上で再び陶器師に形作られるよう
な教会グループは主の5役者に特別に従う必要がある(エペソ
4:11)。

D 供えのパンの台
幕屋の最初の部屋に東側から入ると右側にある。教えと教理を
教えるための神の定めと秩序を示している(出25:23~3
0、レビ24:5~9)。「机の上には供えのパンを置き、絶
えずわたしの前にあるようにする」(出エジプト25:30)。
<パンの意味は10掲げられる>
1 パン種を入れない純粋なパン「主の前にある種を入れない
パン」(出2    9:23、レビ8:26):我々の教理
も純粋な神の言葉を教えなけれ   ばならない(第一コリン
ト5:8)。自分の考えや思想を教えてはならな   
い。100%神のものを教えなければならない。パンは教え・
聖書の言葉で   ある。

2 12個である(11個でない「それで輪型のパン十二個を
焼く。」レビ2   4:5):「人は・・・神の口から出る
一つ一つのことばによる」(マタ   イ4:4)。全てのこ
とを教えなければならない。

3 順序よく並べられてある「一並び六個ずつ、二並びに置く
。」(レビ24:   6):「正しく教え」(口語訳第二テ
モテ2:15、正しく分けて<キン   グ・ジェイムス>)
。永遠の救いの真理や霊・魂体・を正しく分けてこなかっ  
 たために神の民(教会)の中で分裂が起こってきた。

4 4脚の机の上に置かれている「それを主の前の純金の机の
上に、」(レビ   24:6):机はキリストを表す。我々
はキリストを通して神の言葉を   頂く。パンは4つの足が
ある机の上に置かれた。机そのものがキリストで   ある。
パンの机も青銅の祭壇と同じようにアカシヤ材でできていた。
キリス   トの人性を指す。アカシヤ材に金で覆ってあった
。この金はキリストの神性   を表す。4人の福音書の著者
たちがキリストを支えている。

5 机の上の2つの金の飾り縁によって囲われてい「その回り
に金の飾り縁   を作り、その回りに手幅のわくを作り、そ
のわくの回りに金の飾り縁   を作る。」(出25:24、
25):金の机は金の飾り縁で覆われていた。   金の飾り
縁で形作られていた。聖霊と御言葉で覆われていた。我々の教
えも   聖霊と御言葉に留まっていなければならない。出て
はならない。聖霊と御言   葉の光が当たらない教理はどん
なものでも不健全な教えである。

6 純粋な乳香をぬられている(レビ24:7):乾燥から守
るものである。   礼拝と賛美が神の民の乾燥を防止する。

7 供えのパン(神の臨在がそこにあるパン:英訳)と呼ばれ
る(出25:30)   真理を悟るときキリストが我々の一部と
なる。「そして言は肉体とな    り、わたしたちのうちに
宿った」(ヨハネ1:14)。我々の教えも臨在   をもた
らすものでなければならない。

8 熱い状態に置かれる:「聖書は、すべて神の霊感を受けて
書かれたもの」   (第二テモテ3:16)。今も同じよう
に表される必要がある。焼きたての熱いパンが置かれた。我々
の教えも聖霊の新鮮な油注ぎによる新しい   ものを与えな
ければならない。

9 夜は燭台の明かりに照らし出されている:聖書を解釈する
とき油注ぎを   受けた務めを必要とする。聖所の北側にパ
ンの台があり、聖所の南側つま   りパンの台の向かい側に
ある燭台の明かりにいつも照らされていた。我々も   御言
葉を解きあかすときに聖霊の照明が必要である。

10 安息日に食される「彼は安息日ごとに、絶えずこれを主の
前に、整えて   おかなければならない。これはアロンとそ
の子らのものとなり、彼ら   はこれを聖なる所で食べ る
。」(レビ:24:8,9)。:パンは安息   日毎に備え
られた。古いパンは安息日に祭司たちが食べた。神が祭司たち
を   養われる事を意味する。安息日は安息「憩い」を意味
する。キリストが   青草の上で5000人に食物を与えら
れたように、我々も神の言葉を   食するのに安息の中にい
なければならない。パンは安息の中で食べなけ   ればなら
ない。

E 金の燭台
 教会統治のための神の定めを示す(出25:31~40)。
燭台は意思を表す。教会の方向付けは燭台が行う。教会の統治
は純金の燭台が表している聖霊の手に委ねられてきた。キリス
トは「わたしはぶどうの木、あなた方はその枝である」と言わ
れた(ヨハネ15:15)。全ての枝が出ている真ん中の幹・
支柱はキリストの主権を表す聖霊の働きを表している(ヨハネ
14:18)。燭台は7つの灯を表す。エペソ4:4によれば
「からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき
、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです」。7つ
の灯火は7つの霊を、(黙示録1:4,13,14)「また、
サルデスにある教会の御使いに書き送れ。『神の七つの御霊、
および七つの星を持つ方がこう言われる」(黙示録3:1)。
キリストを映し出す一つの主の霊の7つの現れを示す(イザヤ
11:2)。しかし一つの光。聖霊を象徴する。ローマ12:
6~8には各教会が必要とする7つの務めの代表的項目が挙げ
られている「私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜
物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応
じて預言しなさい。奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教
えなさい。勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しま
ずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は
喜んでそれをしなさい」。


<燭台の特徴は12である>
1 1タラントの純金で造られた。重さは示されているが高さ
、長さという大きさ   は示されていない。1は神を表し、
神は地域教会において同じように十分な   大きさとなれる
方である。聖霊をいかに受け入れるかによって大きさが決ま 
  るのである。

2 全体を構成する60の部分がある(出37:17~23)

   <燭台にあるもの>
    台座:1、
    支柱と枝:7、
    額:22、
    節:9、
    花弁:9、
    灯火皿:7/小計55
   <燭台の外にあるもの>
    火ばさみ:1、
    芯切りばさみ:1、
    芯とり皿:1、
    油の器:1、
    ともしびの油:1/小計5/合計60 
   
   60は神の義を表す。神の教会統治は神の義が働くとき
の型であり、それら   は神の恵みにより遂行される。60
=5×12 5は恵みの数であり、12   は教会の数を表
す。神の義を行いによって表す、恵みによって行うのである。

3 22個の額(出37:20):額はあめんどう(アーモン
ド)の花のような形   である。アーモンドの意味は見張る
、気をつける。アーモンドの花は春一番   に咲く。その花
は純白である。額は十全性を意味し、22個ある。新約の中 
  に我々を十分に満たしうる22の事柄がある。エレミヤ1
:11~12「次   のような主のことばが私にあった。「
エレミヤ。あなたは何を見ているのか。」   そこで私は言
った。「アーモンドの枝を見ています。」すると主は私に仰せ
ら   れた。「よく見たものだ。わたしのことばを実現しよ
うと、わたしは見張っ   ているからだ。」

4 9つのつぼみ・節(出37:21,22):支柱に3つ。
枝に6つある。聖霊   の賜物を表す(第一コリント12:
8~10)。節は装飾として上部の支柱   を支えるもので
あり、その賜物は天の御国の地位に我々を据えるためのもの 
  である(ローマ1:11)。ヘブル語では飾り物を意味し
賜物は花嫁を美し   く飾るためのものである「そうして、
このしもべは、銀や金の品物や衣装を   取り出してリベカ
に与えた。」(創世記24:53)、「第一コリント1:7)
。   教会を飾り強めるために与えられている。花嫁の教会
は9つの御霊の賜物を   持っている。

5 9つの花弁:節・つぼみと同様支柱に3つ。枝に6つある
。花びらは香りを放   つ。麗しい実。聖霊が治めている実
がある。節から花びらが出、がくは父、   子、御子。アロ
ンの杖もつぼみを付け花を咲かせ実を結んだ。父は全ての源、
   御子はこの世に花として表れ、人々に踏みにじられ、聖
霊が実を結ばせる証   をなす。キリストの香りを表してい
る。教会統治の9つの実の重要性を示し   ている。ガラテ
ヤ5:22,23に記されている実について見ていくと、そ 
  の文脈ではそれぞれの実をどう育ててゆくかが示されてい
る。たとえばガラ   テヤ6:2では愛をどのように培うか
を示している。その実全体をどう育て   てゆくかを知るた
めには”豊かな実り”と呼ばれる「隠れたるマンナ」の内  
 容を見ると良い。

6 全体が1つの金の塊:金の燭台は他のものに比べ多くの部
分があるが1つのも   のとして造られた。各部分は多種多
様であることは何ら問題ない。もし我々   がそれぞれ自分
のための王国を建てあげようとするなら、神の定めを壊して 
  しまう。我々の務めは我々のものではなく主のものである
。我々は全体と共   にまたキリストと共に一つなのである


7 金を打って造ってある(打ち物造り):教会が公に我々の
務めを受け入れる前   に試される必要がある。そこには木
や人による要素が何もない事に注意すべ   きである。10
0%人間的な要素を排除しなければならない。これが教会統 
  治についての神の定めである。

8 夜間のみ燃やす:7つの灯火は聖所を昼夜ともしていたと
考えられていた。し   かし光をともしたのは夜だけであっ
た。灯火は朝毎に燭台の灯火を整えると   きとある。芯を
切ったりして。夕方に火をつける。朝芯を整え。夕から朝ま 
  で灯火がたかれていた。「アロンとその子らは、あかしの
箱の前の垂れ幕の   外側にある会見の天幕で夕方から朝ま
で、主の前にそのともしびをととのえ なければならない」(
出27:21)。「アロンはその上でかおりの高い香を   
たく。朝ごとにともしびをととのえるときに、煙を立ち上らせ
なければなら   ない。アロンは夕暮れにも、ともしびをと
もすときに、煙を立ち上らせなけ   ればならない」(出3
0:7,8)。我々が灯火をともさなければならないと   
きは夜の時である。朝が来たら、暁の太陽であるキリストが来
られるからで   ある。新しい天地の夜明けが訪れるときに
は天においてともしびは必要がな   い。「もはや夜がない
。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはとも   し
びの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である」(黙示
録22:5)。   いつも新しい油が必用とされる。パウロ
は「あなたがたは、以前は暗やみで   したが、今は、主に
あって、光となりました。」(エペソ5:8)と言ったあ  
 と、「聖霊に満たされよ」(エペソ5:18)と警告してい
る。初代教会は日々   祈りを持って絶えず聖霊に満たされ
ているよう訓練されていた。

9 芯切りはさみと心取り皿:「また、そのともしび皿七つと
、その心切りばさみ   と、心取り皿とを純金で作った」(
出37:23)。毎日不要な部分を切り除   き清めた。不
要な部分は取り除かれなければならない。純金は神の愛。それ
   で我々を扱ってくださる。取り扱われたそのものも大切
に涙の革袋に大切に   


とっていてくださる。真の務めがなされるとき、我々の涙が天
において蓄え   られるように神はその試練を真実に心に留
めておられることを示唆する「あ   なたはわたしの嘆きを
数えられたはずです。あなたの記録にそれが載ってい   る
ではありませんか。あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてくださ
い」(詩編:   56:8)。芯を切り取ることは教会の訓
練の重要性を示している。

10 芯切りばさみは純金:「その心切りばさみも心取り皿も純
金である」(出25:   38)どんな芯が地面に落ちても
、人間の手ではそれらを拾い上げる事はで   きない。落ち
たものでも主には尊い。試練や訓練の間、神の愛という純金の
   芯切りばさみ以外のものを使って、聖徒を取り扱おうと
試みることによって、   人は神の秩序を破壊する。

11 油の器:「青色の布を取って、燭台とともしび皿、心切り
ばさみ、心取り皿お   よびそれに用いるすべての油のため
の器具をおおい、」(民数記4:9) 聖   霊の油を蓄え
るためのものである。祈りと賛美が神の貯水槽から油を引き出
   す油の器である。この油の器によって我々は聖霊の油注
ぎを蓄えていくこと   ができる。この油の器なくしてはと
もしびはすぐに輝きを失ってしまうので12 ジュゴンの皮に覆
われて運ばれた:イスラエルの荒野の旅では燭台と様々な  
 器は青色の布で覆われ、ジュゴンの皮の覆いで覆われ、さお
を差し入れて、   コハテの子たちの肩に載せて運ばれた(
民数記4:5~15)。この世はジュ   ゴンの皮を見るだ
けで、その中の美しさは見ない。あざらしの皮のような   
 じゅごんの皮に包まれて尊いものが運ばれた。夜に人が見る
とあざらしの皮、   鎚の器しかみえない。しかし、なんと
豊かなものが内にあることか。「私た   ちは、この宝を、
土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れな  
 い力が神のものであって、私たちから出たものでないことが
明らかにされる   ためです」(第二コリント4:7)。「
彼は主の前に若枝のように芽生え、砂   漠の地から出る根
のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もな  
 く、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。彼はさ
げすまれ、人々   からのけ者にされ、悲しみの人で病を知
っていた。人が顔をそむけるほどさ   げすまれ、私たちも
彼を尊ばなかった」(イザヤ53:2ー3)。しかし、「ま 
  つりごとはその肩にあり」(イザヤ9:6)。主も外見は
見栄えがなかった。   真の教会、本物の教会はしばしば外
側の美しさ大きな会堂、を欠如している。

F 香の壇
 礼拝のための神の定めと秩序を表している(出30:1~2
0、34~38)。
特徴は7つ
1 金で覆われたアカシア材でできている:アカシアは朽ちな
い乾いた木でキリス   トの人性を表す。金はキリストの神
性を示す。祭壇の上に薫香が置かれた。
   人の子であり、神の一人子であるキリストが我々の礼拝
の土台である。

2 血が振りかけられる:毎年、幕屋のその他のものと同様に
血が振りかけられた。   血によってのみ神の臨在への道が
造られる(出30:10)。

3 至聖所に最も近くある器具である:至聖所の中に入らなく
てもある意味で至聖   所に属しているものである。ヘブル
9:4の香炉は祭壇を意味する。「そこ   には金の香壇と
、全面を金でおおわれた契約の箱があり、箱の中には、マナ 
  のはいった金のつぼ、芽を出したアロンの杖、契約の二つ
の板がありまし    た。」これは礼拝におけるキリストを
中心性を表す。香の壇は契約の箱の前   にありその間には
垂れ幕だけがあったのである。



   
4 薫香は幕屋全体を満たす:青銅の祭壇からの新しい炭火に
粉の薫香が触れると   き、すぐにその香りは立ち上がり広
がっていき部屋中を満たした。「神は霊   ですから、神を
礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりませ 
  ん」(ヨハネ4:24)。教会という建物の全空気は聖霊
によって点火された   礼拝に満たされていなければならな
い。我々の霊をもって捧げる礼拝こそ主   が受け入れられ
る礼拝である。

5 夕に朝に焚かれる:アロンは金の燭台を朝整え夕から朝ま
でともすがその時    (朝・夕)に香をたいた。我々も整
えられてから礼拝しなければならない。
   我々がキリストの証人となり、、さまざなな試練によっ
て整えられていく時、   礼拝に多くの時間をかける必要が
ある。「こうしてペテロは牢に閉じ込めら   れていた。教
会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた」(使徒12:5
)。

6 正しい火だけが求められる:香壇にはどんな異なる火も熾
してはならなかった。
   立法主義、任意な感情だけとか誤った熱意から生じる礼
拝、感動だけとかの   礼拝は受け入れられない。どんな礼
拝も、聖霊による礼拝が与える神との神   聖なる関係に取
って代わることはできない。どんな誤った熱心さや、異なっ 
  た霊の火も礼拝する者が主の前に死ぬことなくして、真の
礼拝に加わること   はできない「さて、アロンの子ナダブ
とアビフは、おのおの自分の火皿を取   り、その中に火を
入れ、その上に香を盛り、主が彼らに命じなかった異なっ  
 た火を主の前にささげた。すると、主の前から火が出て、彼
らを焼き尽くし、   彼らは主の前で死んだ。」(レビ10
:1,2)。

7 4つの角がある:香の壇は他の祭壇と同様4つの角がある
。角は力を意味する。   真の礼拝はそこに力を持つ。神の
定めてない方法で礼拝した場合には神の裁   きが下ってい
る。
    幕屋の真理は神の定めと秩序の意味を確かめ定義する
のに助けとなるが、   聖書全体にこそこの真理が満ちてい
ることを覚えなければならない。例えば   申明記16章2
1節にはイスラエルが偶像礼拝者として振る舞うべきではな 
  いことが語られている。神の民に対する戒めである。神の
民がアシュラ像    (礼拝する者を引きつけるために飾り
付けられた木立・人集め、広告塔)を   建てる可能性、恐
れがあったからである。今日のキリスト教会にもこの誘惑  
 はある。人集めに有名人、芸能人を招き人集めすることはア
シュラ像を建て   ることである。神はただ純粋にイエス・
キリストだけを求めて集まる事を求   めておられる。イエ
ス・キリストだけが栄光を捧げられている。特別な演出   
は求められていない。神は定めに従って礼拝していない教会に
裁きを下され   る。 なぜなら、そうなったときには会衆
はもはや純粋な動機で神を礼拝し   ていないからである。

G 契約の箱栄光のための神の定めを示す。
 至聖所の中にある。「アカシヤ材の箱を作らなければならな
い。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半、高さは一キュビ
ト半。これに純金をかぶせる。それは、その内側と外側とにか
ぶせなければならない。その回りには金の飾り縁を作る。箱の
ために、四つの金の環を鋳造し、それをその四隅の基部に取り
つける。一方の側に二つの環を、他の側にほかの二つの環を取
りつける。アカシヤ材で棒を作り、それを金でかぶせる。その
棒は、箱をかつぐために、箱の両側にある環に通す。棒は箱の
環に差し込んだままにしなければならない。抜いてはならない
。わたしが与えるさとしをその箱に納める。また、純金の『贖
いのふた』を作る。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半。
槌で打って作った二つの金のケルビムを『贖いのふた』の両端
に作る。一つのケルブは一方の端に、他のケルブは他方の端に
作る。ケルビムを『贖いのふた』の一部としてそれの両端に作
らなければならない。ケルビムは翼を上のほうに伸べ広げ、そ
の翼で『贖いのふた』をおおうようにする。互いに向かい合っ
て、ケルビムの顔が『贖いのふた』に向かうようにしなければ
ならない。その『贖いのふた』を箱の上に載せる。箱の中には
、わたしが与えるさとしを納めなければならない。わたしはそ
こであなたと会見し、その『贖いのふた』の上から、すなわち
あかしの箱の上の二つのケルビムの間から、イスラエル人につ
いて、あなたに命じることをことごとくあなたに語ろう」(出
エジプト25:10~22)。
 「主はモーセに仰せられた。「あなたの兄アロンに告げよ。
かってな時に垂れ幕の内側の聖所にはいって、箱の上の『贖い
のふた』の前に行ってはならない。死ぬことのないためである
。わたしが『贖いのふた』の上の雲の中に現われるからである
」(レビ16:2)。
 契約の箱は神の栄光を表す。至聖所には神の栄光が満ちてい
た。主の栄光はとても偉大である。主の栄光を啓示するには4
重の時代・王国で表される。創造からシナイ山(族長時代)シ
ナイ山からカルバリの十字架(律法時代)カルバリから再臨(
恵み・教会時代)再臨から千年王国(王国時代)この4つの時
代に次に述べる4つの神の栄光に対比される。

   
       
1 契約の箱はどのようにして主の栄光をあらわすか:神の栄
光というと4つある。   1神の御名の栄光。2神の御言葉
の栄光。3神の命の栄光。4神の臨在・交   わりの栄光で
ある。契約の箱の中には十戒の2枚の石(御言葉の栄光)、芽
   を吹き実をつけたアロンの杖と壷に納められたマナ(神
の命の栄光)、箱自   体がケルビムに座しておれれる主と
呼ばれ(御名の栄光)、その上を臨在の   雲の柱が(神の
臨在・交わりの栄光)ケルビムの間から立ち上っていた。

2 キリストの姿(コロサイ2:3、ローマ3:25「神は、
キリスト・イエスを、   その血による、また信仰による、
なだめの供え物として、公にお示しになり   ました。それ
は、ご自身の義を現わすためです。」なだめの供えものは契約
   の箱の購いの蓋である。契約の箱自体がキリストを表す
。)である契約の箱   はイスラエルの旅の宿営の真ん中、
そのもっとも奥にあった。旅の導き手で   あった。全ての
移動はこの先頭にゆく契約の箱に従った。我々が主に中心に 
  なって頂き、導き手とな

ミッションあどない・いるえ
代表 伝道者 ピーター 藤 正信
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