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ピーター藤・和子

2014年5月18日日曜日

初代教会の使徒と使徒の教え

<初代教会の使徒と使徒の教え>

 「彼のことばを受け入れた者はバプテスマを受けた。その日三千人ほどが弟子に加えられた。彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれた。信者達は皆一緒にいて一切の物を共有にしていた。資産や持物を売っては各々の必要に応じて皆に分配していた。毎日心を一つにし宮に集まり家でパンを裂き喜びと真心をもって食事を共にし神を賛美しすべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった」(使徒2:41~47)。初代教会に学ぼうとこれらの聖句が開かれ、説かれ、学ばれてきましたが、殆ど取り上げられず光が当てられなかったのが「使徒たちの教え」です。しかも初代教会の当初に出てくる大切な部分です。「使徒たちの教え」がミルクの真理とそれに続く大人のための義の教えなのです。

 ところで素朴な質問ですが、今聖書的意義の使徒とはどういう存在なのでしょうか。今日使徒と名乗っている教役者がいますが、それは「使徒たちの教え」を持っているかによって試されなければなりません。試された後に分かることは彼は使徒ではないということなのです。使徒と自称している方々の多くは牧師であったり伝道者です。使徒は主なる神によって遣わされる者であり(マルコ6:7、ルカ11:49、使徒8:14、13:3)、多くの不思議な業とあかしの奇蹟を行ない(使徒2:43、5:12、第二コリント12:12)、教会の土台を据える者です(エペソ2:20)。パウロはいわゆる十二使徒ではないのですが、聖書は明確に使徒であることを言明しています(エ ペソ1:1他)。彼は異邦人への使徒でした(ガラテヤ2:8)。使徒職は父なる神により与えられるものです。「使徒となったパウロー私が使徒となったのは、人間から出たことでなく、また人間の手を通したことでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によったのです」(ガラテヤ1:1)。ある大教会の牧師は有名な預言の務めをする人から「貴方は使徒的な働きをするようになる」と言われたことを引用して自分は使徒であるかのようなことを言われます。しかし、彼に使徒の教えがなければ使徒ではありません。世界一の教会の牧師と言われる方でも同じです。管理の賜物や信仰の賜物が発揮されているだけと言える場合もあります。

 使徒の働きで言われている「使徒たちの教え」こそ初代教会の土台になったものです。現代の日本のキリスト教会では、世界中から様々な教えや、ムーブメント、流れ、波が押し寄せて来ており、新しい教えが来る度に多くの教役者が風見鶏のようにあちらこちらへとなびいています。何が最も大切なのか心定まらない教職者や教会のリーダー達が少なからずおられるように感じます。

 このような時こそ、初代教会の使徒の教えを見直すべきかと感じます。何故なら使徒の教えとは使徒が主・キリストから受けた教えに他ならないからです。1940年代にテキサスはウエイコで起こったリバイバルの中心的存在であったロバート・ユーインに与えられた聖書の教えは非常に秩序整然と体系的に現代の神の子どもたちと教会が勝利者またキリストの花嫁として整えられる為に有用なのです。

ミッション・あどない・いるえ
代表伝道者 ピーター藤 正信
MissionJehovahJireh@yahoo.co.jp
ブログ http://missionjehovehjireh.blogspot.com/
Titter : http://twitter.com/#!/MJJ_PeterFuji

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