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ピーター藤・和子

2013年5月24日金曜日

ミルクの真理前半(1、2、3、)

「だからわたしたちは、死んだ行いの悔い改め、神への信仰、種々の洗礼についての教え、手を置く儀式、死者の復活、永遠の審判などの基本的な教えを学び直すようなことはせず、キリストの教えの初歩を離れて、成熟を目指して進みましょう。」(ヘブル6:1)

この聖句には
1:キリストの教えの初歩
2:死んだ行いの悔い改め
3:神への信仰
4:種々の洗礼についての教え
5:手を置く儀式
6:死者の復活
7:永遠の審判

と7つの事柄が出てきます。これがミルクの真理です。
順序は7のキリストの初歩の教えが最初になります。


この7つの初歩の教えは大人の教え義の教えと密接に関係しています。


ミルクの真理に対して大人の真理、義の食物、固い食物は
1:幕屋の真理 
2:安息の真理
3:成長と勝利の真理
4:カルバリの7つの契約
5:7つの領域への支配・統治の真理
6:永遠の救いの真理あるいは霊魂体の区分の真理
7:時代区分の真理

となります。

1:幕屋の真理は神の子たちを神の御心の中に導き入れるもの
2:安息の真理は神の御心の中にいるという証拠を示すもの
3:勝利の真理は神の守りを与えるもの
4:カルバリの7つの契約は神の子たちに神の平安を与えるもの
5:支配統治の真理は神の子たちに神の御心の力を与えるもの
6:永遠の救いの真理あるいは霊魂体の区分の真理は神の子たちに三重の目的を与えるもの
7:時代区分の真理は神の卓越性を神の子たちに与え示すもの
と言い換えられます。



1:キリストについての初歩の教え

 1テモテ3:16「信心の秘められた真理は確かに偉大です。すなわち、キリストは肉において現れ、“霊”において義とされ、天使たちに見られ、異邦人の間で宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」  
 ピリピ2:5~11「「互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。」


あ:キリストの神性
  イエス・キリスト様は永遠の昔から三位一体の御子なる位格をもたれた存在として永遠の未来
  迄神であられます。また天地創造をなされました(ヨハネ1章3節、コロサイ1章 16節)。
い:キリストの人性
  モーセの幕屋の聖所、至聖所にあった契約の箱やパンの備えの机、香の壇はアカシヤの木に  金が覆われていました。アカシヤはキリストの人性を金はキリストの神性を表しています。初代
  教会時代にグノーシス派が現れ霊は善で肉は悪という考えに基づいてイエス・キリストの人性を
  否定しやがては三位一体を否定したのです。パウロはそのグノーシスの教えに対してコロサイ1  章で大いに指摘しています。イエス・キリストは礼拝の中心となるお方です。黙示録5:12、13   には「屠られた小羊は、力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美を受けるにふさわしい方   です。」また、わたしは、天と地と地の下と海にいるすべての被造物、そして、そこにいるあらゆ  るものがこう言うのを聞いた。「玉座に座っておられる方と小羊とに、賛美、誉れ、栄光、そして  権力が、世々限りなくありますように。」う:キリストの受難
  新約聖書の福音書にはイエス・キリスト様はメシアであり、救い主であると語られています。
  イエス・キリスト様が救い主と言う事は完全な神の子羊であられたが、私達の罪の対価として贖  いとして十字架の上で血を流され死んでくださった事です。そのイエス・キリスト様を通してでな   ければ誰も父の元に行くことはできません(ヨハネによる福音書 14章 6節)。
え:キリストの高揚
  キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わ ず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の 姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。こ のため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こう して、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、す べての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるの です。」(ピリピ2:6〜11)
お:キリストの力
  「あなたがたは、キリストにおいて満たされているのです。キリストはすべての支配や  権威の頭です。」(コロサイ2:10)
か:キリストの栄光
  天使たちは大声でこう言った。「屠られた小羊は、力、富、知恵、威力、誉れ、栄   光、そして賛美を受けるにふさわしい方です。」(黙示録5:12)く:キリストの永遠性
  またわたしは、天と地、地の下と海の中にあるすべての造られたもの、そして、それ  らの中にあるすべてのものの言う声を聞いた、「御座にいますかたと小羊とに、さん  びと、ほまれと、栄光と、権力とが、世々限りなくあるように」(黙示録5:13)
 
 
3:神への信仰   ローマ4:17~22
「わたしはあなたを多くの民の父と定めた」と書いてあるとおりです。死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。そのころ彼は、およそ百歳になっていて、既に自分の体が衰えており、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰が弱まりはしませんでした。彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。だからま
た、それが彼の義と認められたわけです。」
アブラハムは信仰の良い例 信仰の父と呼ばれている

あ:信仰への招き call
   主は「神の信仰を持て」とチャレンジされます。「信仰がなくては神に喜ばれる事があ
  りません」。「もし信じるなら神の栄光を見る」と主は言われました。私達は信仰を持ち
  続ける者として召されています。
い:信仰の格闘 confict
  神の子として信仰者としてこの世で生きているとこの世の常識や人々の声や反応や評
  価に目や耳や心が向いてしまいがちです。ここに葛藤があります。ペテロがガリラヤ湖
  上で主から「来なさい」と言われ湖の上を歩いていた時主を見ていた時は歩けましたが
  波や風に目や耳や心が向いた時沈みかけました。
う:信仰の思索 consideration
  「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」(ヘブル1
  1:1)。信仰とはその事柄を想像し考え実現した様を想い描くことです。創造主は人に
  魂の中に想像する力を与えられました。それを活用するのです。
え:信仰の持続 consistansy
  「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在してお
  られること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じて
  いなければならないからです。」(ヘブル11:6)。この信じていなければという言葉は信
  じ続けていなければと言うのが正しいです。主がご自身の約束を成し遂げられる迄そ
  の約束の上に立ち続け、見届けなければならないのです。
お:信仰の良心 conscience
  創造主はまた人の心に良心を与えられました。それは肉体に5感があるように魂にも
  5感がありますがその魂の5感の一つです。神を知らなくてもこの良心により何が正し
  いか何が正しくないのかが判るのです。神の子たちは尚の事神の御心か否かを聖書
  を通して知る事ができますが、聖書に書かれていない事であってもこの良心によって
  良し悪しを知ることができます。神に求めて良い事か否か、自分の人生に主に期待で
  きる事か否か、健全な事か、逸脱した事か、神の御心にそぐわない事かを知る事がで
  きるのです。
か:信仰の確信 conviction
  確信とは100%信じて疑う余地のない状態でいる事です。「信仰の薄い者よ、なぜ
  疑ったのか」と主は確信のない信仰は無いに等しいと迄言われました。「「はっきり言っ
  ておく。あなたがたも信仰を持ち、疑わないならば、いちじくの木に起こったようなこと
  ができるばかりでなく、この山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言っても、
  そのとおりになる。」(マタイ21:21)と確信ある信仰のすざましさを教えられました。
  「疑いながら食べる人は、確信に基づいて行動していないので、罪に定められます。確
  信に基づいていないことは、すべて罪なのです。」(ローマ14:23)。パウロは確信に
  基づかない行動は罪だとまで言っています。「いささかも疑わず、信仰をもって願いなさ
  い。疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。」(ヤコブ1:6)。ヤコブは
  確信のない信仰は揺れ動く波のようだとも言います。
き:信仰の確認 confirmation
  「だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれ
  ば、そのとおりになる。」(マルコ11:24)。主は信仰の確認とは既に得たと考える事だ
  と教えられます。アブラハムが歳老いたにも関わらず主が跡継ぎを与え子孫を天の星  のようにすると言われた時それがもう既に与えられたものと受け取った時主はよしとさ
  れたのです(創世記15:6)。


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ミッション・あどない・いるえ 代表伝道者 ピーター藤 正信
栃木県栃木市倭町11-16 〒328-0037 TEL:0282-25-1427  携帯:080-6562-1427
Email: MissionJehovahJireh@yahoo.co.jp
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