ブログ表紙

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ピーター藤・和子

2013年2月26日火曜日

恵みの雨原稿4月号

「命のために働くーいたんだ葦を折ることなく」

 新しい命を主から与えられた存在として、クリスチャンが世に出ていく時、特別なはたらきが与えられます。今している働きについて、なぜそのはたらきが与えられたのか、また命に関わっていくはたらきをとおして教えられていること等を分かち合ってほしいです。
 ですます調。
 4000字。
 起承転結にわける
 それぞれに小見出しを付ける。
「彼は痛んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともない」(マタイ12:20)
クリスチャンの霊的成長のため、超教派の信仰誌。読者が「恵みの雨」を通して生きた神の言葉を受け取り、信仰を生活の中で具体的に活かしていくことを考えて誌面つくりをしています
K様担当。


 
例話 A子の嘘と万引き いと小さき者への働き

 お菓子を一日中食べ続ける子、毎晩おねしょする中学生など。私達が伝道・牧会をしながら数日から数年の関わりで家庭に迎えた子らです。養護施設にいたそれらの子はいずれも愛に餓え乾いていました。異なった表現でそれを表し無意識のうちに自分を受け入れてくれと主張するのです。
 特にA子は大変でした。勉強はできず、宿題をこなすのに夫婦かかりで五時間近く教えた事が多くありました。それだけでなく、彼女のどの言葉を信じたらよいのか分からなくなる程嘘をつき、また万引きを続けるのでした。疲労困憊してゆく妻を見ながら何回も「主よ、あなたの愛をもっとください。私たちはこの子を愛する事ができません」と泣きながら祈りました。なんとか良い子になってほしいとお尻も叩きました。叩く方も叩かれる方も泣きながらでした。そんな彼女が我が家を離れる
時「別れたくない」と言って大泣きしたのです。後日、次の里親とうまくやっていけず覚醒剤に手を出したり、オートバイ窃盗に手を貸したりして、教護院に入りました。ところが「私が悪い事をしたのだから当然」と彼女の心は素直になっていき、今は温泉旅館でまじめに働いています。「私の親は藤さんしかいない」と休みの日には土産を持って我が家に来ています。
 
 一九九五年には「宣教」と「身寄りのない者に家庭を与える」ことを使命として”ミッション・あどない・いるえ”を創設しました。フィリピン・ミンダナオでは一ヘクタールの土地を得て聖書学校を開設し二五名を超える卒業生を送りだし、教会も十八になりました。文盲の人が多くいる山岳の村にも聖書学校の分校ができました。九七年七月からは「あどない・いるえ・チルドレン・ホーム」の運営を始め現在四十名をお世話しています。あの山岳の村からも孤児達を受け入れました。貧しい三十八の家庭から三十八名の子らを学校に送る足長おじさんの働きもしています。
 クリスチャンも人ですからもっと愛されたいと願うのが自然です。しかし受ける事を求めるばかりではなく、キリストから受けた愛を少しでも与えていくことによって魂は満足できるのです。自立していった里子が教会にいっており、その教会で奉仕をさせていただき、1本の缶ジュース代が一人の孤児の1回の食事代に、あなたの1回分のディナー代(二千円)でフィリピンの貧しい家庭から
1ケ月1人の子を学校に送ることができるのです。「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです」(マタイ二五章四節)。

 あわれみの業についての神の定め

 聖書はあわれみの業について多くを述べています。
 「みなしごや、やもめのためにさばきを行い、在留異国人を愛してこれに食物と着物を与えられる」(申命記10:18)

在留異国人や、みなしごの権利を侵してはならない。やもめの着物を質に取ってはならない」(申命記24:17)

「在留異国人、みなしご、やもめの権利を侵す者はのろわれる」(申命記27:19)

「主はみなしごと、しいたげられた者をかばってくださる」(詩編10:18)

「みなしごの父、やもめのさばき人は聖なる住まいにおられる神」(詩編68:5)

「主は在留異国人を守り、みなしごとやもめをささえられる」(詩編146:9)

「みなしごのために正しい裁きをなし、やもめのために弁護せよ」(イザヤ1:7)

「やもめ、みなしご、在留異国人、貧しい者をしいたげるな」(ゼカリヤ7:10)

「在留異国人、みなしご、やもめを苦しめたり、いじめたりしてはならない」(エレミヤ22:3)

「みなしごに食べ<させよ」(ヨブ31:17)

「あなたがたのうちの在留異国人、みなしご、やもめとともに主の前で喜びなさい」(申命記16:11,14)

「もめを素手で去らせたりみなしごの腕を折ってなならない」(ヨブ2:9)

「みなしごのろばを連れ去り、やもめの牛を質に取ってはならない。」(ヨブ24:3)

「みなしごの畑に入り込んではならない」(箴言23:10)
とあります。

「父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです」(ヤコブ1:27)

として聖潔であるべきことと並列に求められています。

 やもめや孤児のような人々に対する働きをあわれみの業(MercyMinistry)といいます。キリストのいのちと愛の中に生きていくクリスチャンはキリストの似姿にへと成長していく存在だからあわれみ深くあるよう求められています。疑似の親子の関係を持っていく里親という立場は自分の子でない者を約束によって自分の子として関係を持っていくものです。里親は大きく分けて自分に子がいないため気に入った子がいたら養子にするという目的で里親になる方のことをいいます。これに対して養育里親は児童相談所から示された子を条件を付けずに家庭に受け入れ裏切られてその関係を破棄することができてもその者を受け入れ、赦し、信じ、期待し庭に恵まれない子」となります。ひどい場合はトイレで産み落とされたり、コインロッカーの中から見つかったり、乳児院の玄関に置かれていたりする嬰児です。

 元厚生省の統計によると日本には四万三千人の家庭に恵まれない子供がいます。乳児院や養護施設、そして里親の家庭で世話を受けている、親と共に生活できない子供の数です。また、数知れない中絶・堕胎が行われ、国の将来を担うべき子供の数は毎年減少しています。今や毎二分間に一組の夫婦が離婚をしてその犠牲となる子供の数は増えています。加えて、親に暴力を振るう児童、十万人もいる高校中退児、自立できない子供など児童相談所が扱う子供の事案件数は年を追う毎に増えているのです。「シオンの娘の城壁よ。昼も夜も、川のように涙を流せ。 ぼんやりしてはならない。目を閉じてはならない。夜の間、夜の見張りが立つころから、立って大声で叫び、あなたの心を水のように、主の前に注ぎ出せ。主に向かって手を差し上げ、あなたの幼子たちのために祈れ。彼らは、あらゆる街頭で、飢えのために弱り果てている」(哀歌二章十八、十九節)。
 
この働きは実にキリストの愛でなければできないものです。

ミッション・あどない・いるえ
代表伝道者 ピーター藤 正信
MissionJehovahJireh@yahoo.co.jp
ブログ http://missionjehovehjireh.blogspot.com/
Titter : http://twitter.com/#!/MJJ_PeterFuji

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