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ピーター藤・和子

2012年10月17日水曜日

安 息

1:弟を交通事故で34年前に亡くした。内臓破裂で即死だった。遺体を病院から抱いて家まで運んだ。涙だけが溢れ出ていた。その状況で天国で会えると言う希望が腹の底から湧いていた。弟もキリストを信じていた。今苦しみも痛みもない完全な憩いと安息との中にいる。

2:キリストは全人的な憩いと安息をくださる方である。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」このマタイ11章28で 主・イエスはすべての人に招かれている霊のいこいを語られている。29節の「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」は魂に与えられるいこいと安息を語られている。人は土から造られ命の息(霊)を吹き入れられ生きる存在(魂)となった。霊は神に属するもの。信者になる時キリストの霊を宿す(第一コリント3:16)。魂は感情と意志と理性を司り不安定な要素がある人の存在の中心だ。キリスト信者は死ぬと天国で霊も魂も体も完全な安息と憩いに入る。

3:霊・魂・体について与えられるいこいと安息を見よう。

A:主の許に最初にきた時に与えられるいこい(安息)。
すべての神の御業は安息から始まる。
ここに言う安息とは心に平安があるという以上の深いもの(へブル3:7~4:11)
小羊の血に覆われたため裁きから救われたという人生の最も深く大きないこいと安息。
亡びからの安息。霊に与えられる安息。
主の名を呼ぶことだけで与えられる安息。
恵みにより与えられる安息。
無条件で与えられる安息。
教会に行ってなくても与えられる安息。
十字架の主の右側に架けられた人に与えられたもの。
永遠の刑罰・滅び亡びからの安息。
主を信じ受け入れた時に頂くいこいと安息。


B:魂(心とも精神とも言われる)部分に与えられるいこい。
主・イエスと共に歩む時に与えられるいこい。
条件付きの安息。
信者が信仰の導き手であるキリストと一緒に歩む時に与えられるいこい。
自分勝手に生きていく時には持てないいこい。
神の御心に従う時に与えられる安息。
主が進む方向に主と共に歩む時与えられる。
瞬間的に与えられるものではなく、自我を捨てるというプロセス。
毎日持ついこい。
自由意志によりもついこいと安息。

C:体に与えれれるいこい
 「また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである」(黙示録14:13)。
体はこの地上では苦しみ、痛み、不調がある。天国には完全ないこいと安息が用意されている。 
罪の存在するこの世からの解放。

4:先行きの不安が多い社会の中で今こそ憩いと安息と安らぎに満ちた人生をあなたのものとしよう。
主・イエスは命をかけてその為のすべてをなしてくださった事を信じよう。


ミッション・あどない・いるえ
代表牧師 ピーター 藤 正信
栃木市倭町11−16〒328-0037
MissionJehovahJireh@yahoo.co.jp
ブログ  http://missionjehovehjireh.blogspot.com/

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