ブログ表紙

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ピーター藤・和子

2011年12月5日月曜日

マナセに見る人生回復のステップ

罪を犯し、失敗しあるいは主を裏切り、人ならぬ道に歩み、あるいは堕落した、神の子たち・神の僕・説教者・奉仕者・役員・長老・執事・レイマン・すべてのクリスチャン・主に愛されている全ての人に当てはまるメッセージである。

<マナセはどんな人物だったか>
アハズ王と並びユダの最悪の王であった。ユダ王国滅亡の原因は彼にあると列王記は明記する。「ユダを主の前から除くということは、実に主の命令によることであって、それは、マナセが犯した全ての罪のためであり、また、マナセが流した罪のない者の血のためであった。マナセはエルサレムを罪のない者の血で満たした。そのため主はその罪を赦そうとはされなかった」(2列王記24:3、4)。

<アハズの犯した罪>
1:主がイスラエル人の前から追い払われた異邦の民の忌み嫌うべき習わしをまねて
、主の目の前に悪を行った(2歴代誌33:2)。
2:父ヒゼキヤが取り壊した高き所を築き直し、バアルの為に祭壇を立て、アシュラ像を作  り、天の万象を拝み、これに仕えた。その偶像礼拝への傾斜は最も甚だしかった(2歴  代誌33:3)。
3:彼は主の宮の庭に、天の万象のために、祭壇を築き、自分が作った偶像の彫像を神の宮  に安置し、主の神殿を冒涜した(2歴代誌33:5、7)。
4:彼はベン・ヒノムの谷で、自分の子供達に火の中をくぐらせ、卜占をし、呪術を行い、  霊媒や口寄せをした(2歴代誌33:6)。
5:罪のない者の血でエルサレムを満たした(2列王記24:4)。
6:ユダとエルサレムの住民を惑わせて、主がイスラエル人の前で根絶やしにされた異邦人  よりも、さらに悪いことを行わせた(2歴代誌33:9)。
7:主はマナセとその民に語られたが、彼らは聞こうともしなかった(2歴代誌33:1   0)。

<マナセの人生回復のステップ>
1:苦しみに会う 
人々と敵の前にそして主なる神の前に低められ、卑しめられ、苦しめられる。「そこで主は、アッシリアの王の将軍たちに彼らを攻めさせられた。彼らはマナセを鉤で捕らえ、一対の青銅の足枷につないでバビロンに引いて行った」(2歴代誌33:11)。かつて賞賛や尊敬されていた人々の前で卑下され糞味噌に言われる事は辛い。敵である人々の前で罵声を浴びせられても何も言い返せない状況は悲惨であろう。しかし、父である神は子として見てくださるからこそ懲らしめ苦しみに会う事をあえて許されるのである(ヘブル12:7.10)。苦しみこそ真の人生回復への神がくださる祝福の第一歩である(詩編119:67、71)。


2:神の前にへりくだる
  マナセは主の前に大いに身を低くしへりくだった(2歴代誌33:12)。
主は高ぶる者には敵対し、主の前にへりくだる者に恵みを与えられる(ヤコブ4:6、1ペテロ5:5)。
人は言動で判断するが、主は魂をご覧になるから主の目に真剣にへりくだる事が重要である(1サムエル記16:7)。
アハブ王はマナセに比する横綱級の悪王であったが、主の言葉を聞くとすぐ、自分の外套を裂き、身に荒布を着て付し、また、打ちしおれて歩き、主の前にへりくだったので、彼の生きている間は災いを下さないと主に裁きの計画を変えていただいた(1列王記21:27、29)。
高慢は破滅に先立つが謙遜は栄誉に先立つ事を覚えよう(箴言18:12)。
主は心砕かれて、へりくだった人とともに住まわれ、へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かされるのである(イザヤ書57:15)。


3:神に祈り求め、切に嘆願する(2歴代誌33:13)。
 聖書の中の嘆願には他人の為の嘆願、と自分の為の嘆願がある。
 前者は
 モーセがイスラエル人の為にした嘆願(出エジプト記32:11)
 エステルがユダヤ人のためにした嘆願(エステル記8:3)
 を挙げる事ができるが、いずれも主に聞かれている。それは取りなしでもある。
後者は
 サウルがサムエルがくる前にしてしまった嘆願(1サムエル記13:2)
 マナセの悔い改めの嘆願(2歴代誌33:12)
がある。
 傷害罪に問われた場合、被害者が加害者の「・・・の行為を許す」と書いた嘆願書を提出すると執行猶予の可能性がきわめて大になる。減刑嘆願書は裁判所や検察庁に対して「実は・・・というエピソードがあり、本当は心の優しい人だから刑を軽くしてあげてください」とか「罪を犯した事を反省して今は・・・ように生活しているから刑を軽くしてあげてください」、「被害者の私は被告にこういう事をされたが、被告の当時の状況は理解できなくもない。また、被告はその後相当反省している。賠償金も受け取った。だからこれ以上被告に重い罰を科さないで欲しい」、あるいは、「その人の平素の人柄や社会的貢献度等を記載し、「普段はとても周囲から信頼を得ているにも関わらず魔がさしてしまってそういう罪を犯してしまった。本人も反省しているし周囲の友人達もそう願っているので、どうか刑を軽くしてくださるように、署名を添えて提出いたします」と書き、この趣旨に賛同する人たちが住所氏名を書くものであるが、嘆願書が出されても減刑になる場合もならない場合もある。
 マナセの嘆願は他人の為のではなく自分の為のもので通常は聞かれないもの、単なる命乞いであった。でも主はそれに応え聞き入れてくださった。朝でも昼でも夜でも嘆き呻く声を主は聞いてくださるのである(詩編55:17)。あなたの心を主の前に注ぎ出せ(1サムエル記1:15)。


4:主こそまことの神であることを知る(2歴代誌33:13)。エルサレムのユダ王国に戻された事を通して。
 イスラエル人は天から火が降りいけにえ等を焼き尽くしたのを見て「主こそ神」と知った(1列王記18:39)。
人々は偉大な主の栄光と御業を見て体験する事により主こそ真の神と知る。主を神としない事は罪である。天皇・自分・富・思想・自然・偉人・先祖などなど。
あなたはわたしの他になにものをも神としてはならない(出エジプト記20:3)。


5:主に悔い改めの実を見せる
 心から主以外の神々と偶像と、生活の場所から主が嫌われた祭壇を取り除き投げ捨てた(2歴代誌33:15)。悔い改めにふさわしい実を結ぶようバプテスマのヨハネは説いた(マタイ3:8、ルカ3:8)。


6:主の定められた方法で神に近づく
  祭壇を築き、和解の生け贄と感謝の生け贄(感謝・告白・賛美・感謝の歌・感謝の捧げもの)を捧げる。
 良い事であっても定められていない方法で行うと神の怒りを招く事がある。ダビデは神の箱をエルサレムに運び上ろうとした時、牛車に載せレビ人でない者にその車を御させた。その結果牛が神の箱をひっくり返しそうになり、ウザはそれを押さえたので死んだ。二度目はレビ人が神の箱を担いで主が定められた方法で運んだ時主は祝福された(2サムエル記6:1〜19)。


7:主に使え、奉仕し、主の仕事をする
  なくなる食物の為にではなく、いつまでも保ち、永遠の命に至る食物のために働く(ヨハネ6:27)。
 キリストは、あなたの神である主を拝み主にだけ仕えよと言われた(マタイ4:10)。
パウロは、勤勉で怠らず霊に燃え主に仕えよと言った(ローマ12:11)。


ミッション・あどない・いるえ
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