ブログ表紙

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ピーター藤・和子

2011年12月29日木曜日

幕屋の真理の補足ーモーセの幕屋の7つのものに重ねてヨハネの福音書の記者が見た主・キリストの絵

ヨハネの福音書では主・キリストご自身が、命のパン(6:35)であり、世の光(9:5)であり、門(10:9)であり、良い羊飼い(10:11)であり、甦りと命(11:25)であり、道・真理・命(14:6)であり、真の葡萄の木(15:1)であると「私は〜である」という言い方で7回語られている。



1:「わたしがいのちのパンです」と主が言われた(ヨハネ6:35)。モーセの幕屋の聖所の備えのパンを祭司達は食した。それは主の聖餐において神の祭司とされた者である我々がキリストご自身の御体を見える御体として食することを表す絵を見る事ができる。


2:「わたしは世の光です」(ヨハネ9:5)と言われた主は「あなたがたは世の光です」(マタイ5:14)とも言われた。これらの言葉は矛盾しない。何故なら主が我々を通して輝かれているからだ。この絵はモーセの幕屋の金の燭台を描いている。


3:主・キリストは「わたしは門である」と語られ(ヨハネ10:9)、ヘブル10:20には「彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができる」とある。聖所と至聖所を隔てた幕を主ご自身が破られ、主ご自身が門となられた事を表す絵である。



4:「わたしは良い羊飼いである」(ヨハネ10:11)と主は語られ、ヘブル13:20には「永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエス」とある。我々羊の為に主ご自身が神に罰せられ、その血は大祭司に携えられ真の至聖所の贖いの蓋に注がれた。青銅の祭壇と至聖所の契約の箱を描いている。


5:「わたしはよみがえりであり、命である」(ヨハネ11:25)と主は語られた。

6:イエスは言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6)。
7:「わたしはまことのぶどうの木」とキリストは言われた(ヨハネ15:1)。

ミッション・あどない・いるえ
代表伝道者 ピーター藤 正信
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2011年12月22日木曜日

3回目のクリスマスキャロリング

 12月19日、日曜日16時半から栃木駅北口ロータリーで3回目になる「キャロリングイン栃木」を開催しました。東京新聞と朝日新聞に事前に記事が載り、栃木ケーブルテレビも最後まで取材してくれました。時間前から女子高校生達が始まるのを待っていました。私どものあどない・いるえ・クリスチャンセンターではユースウイズアミッションのチーム7名を助っ人とし
て迎え、時間前に新生宣教団から頂いたトラクトを個別配布や通行する方々に差し上げてもらいました。


 栃木市の福音宣教協力会が主催でした。カソリック、聖公教会、
福音派の教会、それにカリスマペンテコステの教会5つが協力してのなかなか見れない合同のキャロリングを行いました。3度目になります。聖歌隊が10曲を歌い、間にハープの弾き語り、サックス演奏、オカリナグループの演奏、カトリック教会のラファエル司祭が神にある平和という内容のメッセージで映像にもきちんと撮られました。



 私は始発電車で東京にチームを迎えに行き、礼拝前に交わりしながら教会近くにキャロリングの前に配って頂くトラクトに判を押してもらい、礼拝後食事をしてから配りに行ってもらいキャロリングに合流してもらいました。私は家具店のトラックを借りて来て音響機器、照明機器、看板なをを詰め込み設置リハーサル、音響の確認、照明の確認をしてケーブルテレビの取材があって本番の司会、終わってからは機材の片付け後運搬、トラックを戻してカトリック教会での反省会兼ねた交わりに参加し、チームを食事に連れて行き、再び東京まで送って行きました。東京に着いたら23時だったのでそこに泊まりまた始発で栃木に帰って来ました。


 忙しかったですが充実した喜びの一日でした。写真はカトリック教会での反省懇親会時の写真です。


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平成の独裁4天王

 フセイン、ビンラディン、カダフィ、金正日の平成の独裁四天王が死んだとの呟きtwitterを見た。


 聖書は「たとい、悪しき者は草のようにもえいで、不義を行う者はことごとく栄えても、彼らはとこしえに滅びに定められているのです」(詩編92編7節)と語っている。


 人を創造された神を恐れず圧政を続けて止めないなら神が終止符を打たれるのである。「神を恐れその命令を守れ。これはすべての人の本分である。」とも聖書は教えている。


 神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪ともにさばかれるからである。(伝道者の書12章14節)。


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2011年12月17日土曜日

教会が通過すべき7つのテスト

黙示録に示されている7つの教会についてのメッセージを通して学ぶ


1:エペソの教会へのメッセージを通して
  服従のテストである。それをパスする為にはひたすら勝利者が神に徹底した従順が必要である。神は心を見られるので表面的な服従では満足されない。


2:スミルナの教会へのメッセージを通して
  この世からの分離のテストである。勝利者だけがこのテストをパスするのである。勝利者たちは酷い苦しみの時も純粋な信仰の証を守り、神を恐れない偽クリスチャン達の間で生活するも品格を落とす事は無かった。


3:ペルガモの教会へのメッセージを通して
  明け渡しの従順のテストである。このテストにパスしたものが勝利者になる。ヤコブ書4章7節は神に服従するだけが悪魔を追いやる事ができると述べている。これはサタンが住む所で生活している我々には非常に重要な原則である。殉教は全ての事について神に従順する事の別の表現である。


4:ティアテラの教会へのメッセージを通して
  整い・準備のテストである。この試みをパスしたものが勝利者と認められる。パウロは教会を整えて建て上げた。イゼベルが出現するのは聖徒たちが如何に姦淫から自分たちを守る事が整えているかを試みる為である。整えの期間が終わったら、神はご自身の真実の故に私達が建て上げる為に試みられる事を許される。


5:サルデスの教会へのメッセージを通して
  所有を明け渡すテストである。この試みも勝利者への道である。私達はローマの教会に教会の交わりから名前を削除される人々が出るような悪い事が起こっている傾向を見いだす。しかし、それはその除名される人々が内なる人が建て上げられて彼らの主が命の書に書かれる報いを得るためである。そうでなければこの地上で所有を主に明け渡したり主にある交わりは人々を欺くことになる。今日多くのクリスチャンは、神の神聖な秩序や真理よりも、多くの友人達の名前に囲まれた教会を自分のものとして選んでいる。


6:フィラデルフィアの教会へのメッセージを通して
  勝利者になる為に通過すべき3重の優先順位のテスト。
 ・安息のテストは、誰も閉じる事ができない扉が開かれているのを見る。
 ・我慢強い信仰のテストは忍耐して神に与えられた言葉を守るかというものである。
 ・恵みのテストは自分自身の力によるのでない謙遜が鍵である。神から受け取る全てのものの内で最も大きな報いがこのテストをパスした者に与えられる。


7:ラオデキアの教会へのメッセージを通して
  4重の信仰のテストは勝利者になる為の最後のテストである。ラオデキアの教会はこの”古風な信仰”を忘れてしまったのである。
 ・創造的な信仰のテスト ラオデキアの教会が混乱状態にあったという事を気づかせ(黙示録3:17)、神の創造の始めからいつまでも変わらない神の創造的な御言葉は金よりも尊いのである。
 ・御言葉の真理と教えに裏打ちされた信仰のテスト
 白い服がポイントである。御言葉の真理に裏打ちされた信仰に基づいた生活が私達の装いを聖めて染みも無い子羊の花嫁の衣装となる事を覚えるべきである。
 ・神を意識する信仰のテスト
 明らかに主の臨在が欠如しているご自分の教会の外に立ってノックされているキリストがおられる。神を意識する信仰は私達が主との親密な時間が必要な事を気づかせるよう助けるのである。丁度エマオの途上にあった二人の弟子が目の前でパンを割かれた時に主であると気づいたように。


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2011年12月13日火曜日

4種類の信仰

信仰には4種類ある。
 1)創造的な信仰
 2)御言葉の真理・教えに裏打ちされた信仰
 3)粘り強い信仰
 4)神を意識する信仰
である。

1)創造的な信仰とは「神はこんな石ころからでもアブラハムの子たちを造り出すことがおできになる」と言ったバプテスマのヨハネや最も不利な状況や環境の中で想像力に富む神に働いて頂き豊かに生み出す神に信頼する生き方をいう。

2)御言葉の真理・教えに裏打ちされた信仰とは、パウロのように常に変わらない神の真理により建て上げられ偽りや敵の誘惑を明らかにする神に信頼する生き方である。

3)粘り強い信仰とは、無実の罪で投獄されても神を待つヨセフのように結実する生き方であり、敵に打ち勝つ助けとなる神の約束を告白しながらの辛抱強い働きをもたらす神の御言葉に信頼する生き方である。

4)神を意識する信仰とは、ライオンの穴に投げ込まれたダニエルや燃える炉に投げ込まれたシャデラク、メシャク、アベデネゴのように極限の苦悩や苦痛のある状況にもその苦痛よりも神を身近に感じ主の臨在を喜ぶ生き方である。
 以前妻と息子と長崎の殉教地巡りをした事がある。長崎の「国宝・大浦天主堂」と言えば、現存するわが国最古の教会として名高いのであるが1865年在留フランス人のために建てられたものである。正式には「日本二十六聖殉教者天主堂」と言い、二十六聖人殉教の地「西坂の丘」に向かって建てられているということは、意外に知られていない。日本国内のみならず、世界各国から巡礼者が訪れている。1597年(慶長元年)2月5日、西坂の丘で外人宣教師六名、日本人信者二十名が十字架で処刑された。この殉教者たちが日本二十六聖人と呼ばれている。この出来事は、キリスト教に対する弾圧の始まりに過ぎなかった。『日本二十六聖人殉教記』によれば、西坂の処刑場だけでも1599年から1671年までの間に、3792名の日本人殉教者がでた。その処刑の種類と人数は「斬首」2153名、「獄死」685名、「火刑」481名、「穴吊り」121名、「磔刑」60名、「溺没」24名、「水攻」22名、「寸断」20名、「地獄責めその他」226名という内訳だ。現在のところ分かっている日本の殉教者は名前が分からない人などを入れると26万人いると言われている。秀吉がキリシタン名簿を作った所30万人もいて仰天したそうである。何せ当時の日本の人口は2000万位だったのであるから。その西坂の刑場で殉教した26人で最年少だったのはルドビコ茨木という12歳の少年であった。父のパウロ・茨木と叔父のレオン・河津もともに西坂の丘で十字架にかけられた。この少年は修道院で宣教師に仕え、病人たちの世話に励んでいたのです宣教師たちが次々と引き立てられていくなか、ルドビコは宣教師を慕い、どんなに役人にたたかれても離れようとしなかった。根負けした役人は、ルドビコもいっしょに捕らえ、牢に押し込めた。捕らえられた者は、耳と鼻をそぎ落とされ(役人の情けで鼻はそがれなかったらしい)、そのみじめな姿を民衆にさらしながら都から長崎まで引きまわし、その長崎で磔刑にすることに定められた。長崎までの道中26人の多くは、裸足だったと伝えられている。寒風が吹きすさぶ冬のまっただ中、手を後ろに縛られ、粗末な衣をまとっての徒歩の旅は、現代の我々には想像もつかない。そのような辛い長旅にも、ルドビコはいつも快活さを失わなかったと言われる。いっしょに処刑されたブランコ宣教師が、道中、密かに友人にあてた手紙の中に、ルドビコの明るい姿に、同行の二十五人は何度も心を慰められ、力を与えられたと綴っている。ある日、若いルドビコを憐れんだ役人が、「信仰を捨てれば命を助けてやる」と言ったところ、「つかの間の命と永遠の命を取り替えるわけにはいきません」とはね返し、役人を驚かせた。長い旅も終わり、殉教の地、長崎へ到着し、西坂の丘に、二十六本の十字架が立てられその一本ごとに名前が記された。ルドビコは、自分の十字架が分からないで見渡してしていた。そして「あれがおまえの十字架だ」と役人が指差すやいなや、走りよってその十字架に抱きついた。二十六人の一人、ペテロ・バプチスタは、縄で十字架にくくりつけようとする役人に、「どうか私をキリストのように釘で打ちつけて下さい」と願ったが、許されなかった。パウロ・三木は、「人が救われるのはこの道しかありません」、「死刑を執行する人をうらみません」と、見物の群集に語りかけた。ルドビコは、賛美歌をうたい、黙祷をして最期を待っていた。執行人が槍を構えると、「天国! 天国!」と叫んで槍を受けた。この少年達が持っていたのがまさに神を意識する信仰である。


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2011年12月11日日曜日

2種類の祈り

 

「では、どうしたらよいのでしょうか。霊で祈り、理性でも祈ることにしましょう。霊で賛美し、理性でも賛美することにしましょう。」(1コリント14:15)。


祈りには2種類ある。知性あるいは理性の祈りと霊の祈りである。知性の祈りはサタン・悪霊も聞く事ができるので祈る人物に祈りを妨げたりその祈りに攻撃をされる可能性がある。ヨシュアはエリコの城壁の周りを回る民に「わたしが鬨の声をあげよと命じる日までは、叫んではならない。声を聞かれないようにせよ。口から言葉を発してはならない。あなたたちは、その後で鬨の声をあげるのだ」と命じた(ヨシュア記  6章 10節)。それは敵に戦い方を知られない為であった。

霊の祈りはサタン・悪霊に内容を知られずまた神と深く交わる事ができ「絶えず祈る」( 1テサロニケ5:17)事を実現でき素晴らしい「どんな時でも御霊によって祈り」(エペソ人への手紙 /6章 18節)。「わたしが異言で祈る場合、それはわたしの霊が祈っているのですが、理性は実を結びません。」(1コリント14:14)。かつてミンダナオの日系人フィリピン人牧師のタオ師が私共の教会に来た。いろいろ交わっている時に彼は「私は食事している時もどんな時も主と交わりをしている」と語った。これが霊により絶えず祈っている事である。異言の祈り、霊の祈りをもっとしていこうではないか。

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2011年12月8日木曜日

時代区分の真理 その1

神の栄光の恵みに神の主権と卓越性を与える真理である(エペソ1:6、ヘブル12:25〜28、13:8、使徒業伝3:21、黙示録1:19)。 

人の時代は族長時代、律法時代、恵みの時代(教会時代)、千年王国時代の4つに分けられる。族長時代はアダムからモーセの時期であり、律法時代はモーセからキリストの時期、教会時代はキリストの死から二度目の来臨まで、千年王国時代はキリストの二度目の来臨から白い御座の裁きの時までである。

全ての時代は神が治めておられる。族長時代では神の御名の栄光が現され、律法時代では神の言葉の栄光が現され、教会時代では神のいのちの栄光が現され、千年王国時代では神の臨在の栄光が現されるのである。

永遠の昔から神は大いなる予知をもって人類の時代を確固たる統治を意図された。各々の時代は神からの試される期間である。時代毎のいくつかの契約の下に民族を神は試される事を意図された。それらは全ての時代において7つの基本的な試みである。そして勝利を体験した人たちが勝利者になった。7つの基本的な試みは
1:神の言葉に従うかのテスト
2:この世からの分離のテスト
3:従順・服従のテスト
4:準備のテスト
5:所有のテスト
6:3重の優先順位の試み
a  安息のテスト
b ヴィジョンへの忠実さのテスト
c 恵みのテスト
7:4つの信仰のテスト
a 創造的な信仰のテスト
b 教えに基づいた信仰のテスト
c 粘り強い信仰のテスト
d  神を意識する信仰のテスト

である。これは勝利と成長の真理でも見てきたものである。
いずれの時代の終わりに多くの不信と堕落があるので裁きがある。

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2011年12月5日月曜日

マナセに見る人生回復のステップ

罪を犯し、失敗しあるいは主を裏切り、人ならぬ道に歩み、あるいは堕落した、神の子たち・神の僕・説教者・奉仕者・役員・長老・執事・レイマン・すべてのクリスチャン・主に愛されている全ての人に当てはまるメッセージである。

<マナセはどんな人物だったか>
アハズ王と並びユダの最悪の王であった。ユダ王国滅亡の原因は彼にあると列王記は明記する。「ユダを主の前から除くということは、実に主の命令によることであって、それは、マナセが犯した全ての罪のためであり、また、マナセが流した罪のない者の血のためであった。マナセはエルサレムを罪のない者の血で満たした。そのため主はその罪を赦そうとはされなかった」(2列王記24:3、4)。

<アハズの犯した罪>
1:主がイスラエル人の前から追い払われた異邦の民の忌み嫌うべき習わしをまねて
、主の目の前に悪を行った(2歴代誌33:2)。
2:父ヒゼキヤが取り壊した高き所を築き直し、バアルの為に祭壇を立て、アシュラ像を作  り、天の万象を拝み、これに仕えた。その偶像礼拝への傾斜は最も甚だしかった(2歴  代誌33:3)。
3:彼は主の宮の庭に、天の万象のために、祭壇を築き、自分が作った偶像の彫像を神の宮  に安置し、主の神殿を冒涜した(2歴代誌33:5、7)。
4:彼はベン・ヒノムの谷で、自分の子供達に火の中をくぐらせ、卜占をし、呪術を行い、  霊媒や口寄せをした(2歴代誌33:6)。
5:罪のない者の血でエルサレムを満たした(2列王記24:4)。
6:ユダとエルサレムの住民を惑わせて、主がイスラエル人の前で根絶やしにされた異邦人  よりも、さらに悪いことを行わせた(2歴代誌33:9)。
7:主はマナセとその民に語られたが、彼らは聞こうともしなかった(2歴代誌33:1   0)。

<マナセの人生回復のステップ>
1:苦しみに会う 
人々と敵の前にそして主なる神の前に低められ、卑しめられ、苦しめられる。「そこで主は、アッシリアの王の将軍たちに彼らを攻めさせられた。彼らはマナセを鉤で捕らえ、一対の青銅の足枷につないでバビロンに引いて行った」(2歴代誌33:11)。かつて賞賛や尊敬されていた人々の前で卑下され糞味噌に言われる事は辛い。敵である人々の前で罵声を浴びせられても何も言い返せない状況は悲惨であろう。しかし、父である神は子として見てくださるからこそ懲らしめ苦しみに会う事をあえて許されるのである(ヘブル12:7.10)。苦しみこそ真の人生回復への神がくださる祝福の第一歩である(詩編119:67、71)。


2:神の前にへりくだる
  マナセは主の前に大いに身を低くしへりくだった(2歴代誌33:12)。
主は高ぶる者には敵対し、主の前にへりくだる者に恵みを与えられる(ヤコブ4:6、1ペテロ5:5)。
人は言動で判断するが、主は魂をご覧になるから主の目に真剣にへりくだる事が重要である(1サムエル記16:7)。
アハブ王はマナセに比する横綱級の悪王であったが、主の言葉を聞くとすぐ、自分の外套を裂き、身に荒布を着て付し、また、打ちしおれて歩き、主の前にへりくだったので、彼の生きている間は災いを下さないと主に裁きの計画を変えていただいた(1列王記21:27、29)。
高慢は破滅に先立つが謙遜は栄誉に先立つ事を覚えよう(箴言18:12)。
主は心砕かれて、へりくだった人とともに住まわれ、へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かされるのである(イザヤ書57:15)。


3:神に祈り求め、切に嘆願する(2歴代誌33:13)。
 聖書の中の嘆願には他人の為の嘆願、と自分の為の嘆願がある。
 前者は
 モーセがイスラエル人の為にした嘆願(出エジプト記32:11)
 エステルがユダヤ人のためにした嘆願(エステル記8:3)
 を挙げる事ができるが、いずれも主に聞かれている。それは取りなしでもある。
後者は
 サウルがサムエルがくる前にしてしまった嘆願(1サムエル記13:2)
 マナセの悔い改めの嘆願(2歴代誌33:12)
がある。
 傷害罪に問われた場合、被害者が加害者の「・・・の行為を許す」と書いた嘆願書を提出すると執行猶予の可能性がきわめて大になる。減刑嘆願書は裁判所や検察庁に対して「実は・・・というエピソードがあり、本当は心の優しい人だから刑を軽くしてあげてください」とか「罪を犯した事を反省して今は・・・ように生活しているから刑を軽くしてあげてください」、「被害者の私は被告にこういう事をされたが、被告の当時の状況は理解できなくもない。また、被告はその後相当反省している。賠償金も受け取った。だからこれ以上被告に重い罰を科さないで欲しい」、あるいは、「その人の平素の人柄や社会的貢献度等を記載し、「普段はとても周囲から信頼を得ているにも関わらず魔がさしてしまってそういう罪を犯してしまった。本人も反省しているし周囲の友人達もそう願っているので、どうか刑を軽くしてくださるように、署名を添えて提出いたします」と書き、この趣旨に賛同する人たちが住所氏名を書くものであるが、嘆願書が出されても減刑になる場合もならない場合もある。
 マナセの嘆願は他人の為のではなく自分の為のもので通常は聞かれないもの、単なる命乞いであった。でも主はそれに応え聞き入れてくださった。朝でも昼でも夜でも嘆き呻く声を主は聞いてくださるのである(詩編55:17)。あなたの心を主の前に注ぎ出せ(1サムエル記1:15)。


4:主こそまことの神であることを知る(2歴代誌33:13)。エルサレムのユダ王国に戻された事を通して。
 イスラエル人は天から火が降りいけにえ等を焼き尽くしたのを見て「主こそ神」と知った(1列王記18:39)。
人々は偉大な主の栄光と御業を見て体験する事により主こそ真の神と知る。主を神としない事は罪である。天皇・自分・富・思想・自然・偉人・先祖などなど。
あなたはわたしの他になにものをも神としてはならない(出エジプト記20:3)。


5:主に悔い改めの実を見せる
 心から主以外の神々と偶像と、生活の場所から主が嫌われた祭壇を取り除き投げ捨てた(2歴代誌33:15)。悔い改めにふさわしい実を結ぶようバプテスマのヨハネは説いた(マタイ3:8、ルカ3:8)。


6:主の定められた方法で神に近づく
  祭壇を築き、和解の生け贄と感謝の生け贄(感謝・告白・賛美・感謝の歌・感謝の捧げもの)を捧げる。
 良い事であっても定められていない方法で行うと神の怒りを招く事がある。ダビデは神の箱をエルサレムに運び上ろうとした時、牛車に載せレビ人でない者にその車を御させた。その結果牛が神の箱をひっくり返しそうになり、ウザはそれを押さえたので死んだ。二度目はレビ人が神の箱を担いで主が定められた方法で運んだ時主は祝福された(2サムエル記6:1〜19)。


7:主に使え、奉仕し、主の仕事をする
  なくなる食物の為にではなく、いつまでも保ち、永遠の命に至る食物のために働く(ヨハネ6:27)。
 キリストは、あなたの神である主を拝み主にだけ仕えよと言われた(マタイ4:10)。
パウロは、勤勉で怠らず霊に燃え主に仕えよと言った(ローマ12:11)。


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2011年12月3日土曜日

永遠の救いの真理 その3 霊と魂の区別

黙示録9:11には「いなごは、底なしの淵の使いを王としていただいている。その名は、ヘブライ語でアバドンといい、ギリシア語の名はアポリオンという」とあるがその意味はサタンの名前の一つで破壊である。


 サタンは神が造られたものを破壊する。エデンの園で神がご自身の形に創造された人の神の形と姿を破壊した。人の中に死と滅びが入り、霊・魂・体は一体だったが破壊され別々の運命を持つ存在となった。生きているときは一体性を持っている。霊と魂の隔ての幕が下りていないかが信者と不信者の違いである。信者は生きているときから霊と魂はキリストにおいて一体になれる。アダムは善悪を知る木の実を食べたその時に死ぬと言われた。霊的に神との関係においてであった。そして900年後にアダムの体は死んだ。ノアの洪水の後には120年の齢とされた。体は80年、120年で死ぬが、魂は永遠に天国か地獄で存在し続けるのだ。霊は不滅である「だれが知るか、人の子らの霊は上にのぼり、獣の霊は地にくだるかを」(伝道者の書3:21)、「塵は元の大地に帰り、霊は与え主である神に帰る」(伝道者の書12:7)、「主は言われた。『わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。』こうして、人の一生は百二十年となった」(創世記6:3)人は死ぬまではその霊は生きていると言われるが霊が取り去られると死ぬ(ヨブ記34:14,15)。体に命を与えているのが霊である。しかし、不信者は霊的に死んでいる。聖所と至聖所に隔ての幕があったように隔ての壁がある。神が占有を予約されている部屋が霊である。人は何をしても空しいと言うことはその証拠である。




 霊魂という表現があるが、聖書は明確に霊と魂を分けている。霊が滅びるという記述はない。「しかし神はわたしの魂を滅亡から救い出された。わたしは命を得て光を仰ぐ」(ヨブ記33:28)、イザヤ書  38章 17節も魂の滅びについて述べている。「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」(マタイ10:28)は体と魂が滅びるのである事を語っている(不信者の場合)。


 肉体に5感(嗅覚、視覚、触覚、味覚、聴覚)があるように、魂にも5感がある。それは記憶、良心、想像力、理性、愛情である。不信者はそれらの5感を持ったまま黄泉に行くのである。しかし神にある新しい魂を持って霊と共に天国に行くのがキリスト信者である。魂も土から創られた。鼻から息を吹き込まれたのは人だけである。魂は体に属する存在である。


 天のパラダイスは「耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には、神の楽園にある命の木の実を食べさせよう」(黙示録2:7)楽園と呼ばれている。最初の楽園はエデンの園であり地上にあったが、罪を犯した後では死後の世界(黄泉)に移り、大きさは半分になり、キリストの贖いが完成した後は天に移ったのである。パラダイスには義人達もいたが不従順な者もいた。天国が報いによって階級があるように黄泉のパラダイスにもその生き方に応じての階級があったと考えられる。


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2011年12月1日木曜日

ロバート・ユーインはどんな人物だったか。

 ロバートユーインは1924年2月4日にテキサス州ウエィコで生まれた。
彼は5歳で信仰告白し、8歳で聖霊に満たされた。
どもりであった彼は幼児期から青年期までのいたる時期に卑しめられる体験をしたが、1946年22歳の時に瞬時に癒され、神の務めに召されたのである。

  多年に渡る地方教会での奉仕の後、
神はロバートを使徒職の務めに召された。
彼は世界中に多くの新しい働きを起こした。その中にはベルリンの壁崩壊前の共産圏諸国での働きが含まれている。彼は世界を駆け巡りイエス・キリストの僕として奉仕を続けた。
  グレンユーインと彼の息子ロバートは"テキサスグレイスカウンセラー"という新聞を発刊し、その中で教会に対する神の神聖な定めについての教えを連載した。ロバートは1966年には、"キャンパスフェローシップ"という学生を献身に導くための雑誌の刊行を始めた。ゴスペルソング「大いなる主」の作曲者でもある。

 彼の宣教活動は目覚ましく、共産圏にも根を張っていた。かつてのルーマニアの300以上の地下教会が彼のミッションの流れの中にあり、ブルガリアの5000人と言われる地下の福音的クリスチャンの殆どが彼のミッションの影響下にあった。旧ソ連、ハンガリー、東ドイツにも宣教の扉を開いた。共産圏以外では、スイス、オーストリア、イスラエルに独自の宣教を行い、教会形成の働きをして来た。アフリカのケニアではマウマウ族の長老である。村長を始め6家族を救いに導き白人で始めての地位に就いた。中南米ではグアテマラ最大の教会、メキシコ最大の教会を指導してきた。
 ロバートの伝道方法は、その時その場で主が示された方法を行うというもので、常に不思議なしるしと奇跡が伴っている。また、伝道し弟子化していくのみに留まらず、地方教会の形成を指導し、なおかつその成長を監督していくというものである。

  ニューヨークのツインタワーが攻撃された翌日の2001年9月12日、ロバートは主の臨在の中に召された。私達の教会にもロバートは何回も来てくれた。
その謙虚な仕える姿こそ真の使徒職と確信した。
彼が主にあって分かち合ってくれた教えは深く多いが少しずつ自分のものとし、更に神の子供たちに分けていきたいものである。彼の生き方と共に。


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ロバート・ユーイン恵みの雨インタビューに答える(1988/11)

Q:日本と日本のクリスチャンをどのように見ているか
ロバート:日本は日の昇る国である。神は、アジア、全世界に向けて神の光を豊かな栄光の内に表して行く為に日本を用いられる。
Q:世界の教会の人々はどのように日本のクリスチャンを見てるか。
ロバート:世界の教会の人々は日本に起こされた働き人について感謝している。日本のクリスチャンが直面している困難については詳しく知らないが、その困難の中でキリストの証をしていることを嬉しく思っている。世界中の教会は日本に注目し、日本で今後起こってくる神の御業に期待している。
Q:これから日本の教会はどのようになって行くか。
ロバート:日本に真の意味でのキリスト教が急速に発展して行く鍵は、日本人が神の栄光を見るようになれるかどうかである。教会は神の栄光の入れ物である。「教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が代々限りなくありますように、アーメン。」(エペソ3:21)。
Q:真の教会はどのように立てられるか。
ロバート:教会の回復の原則は、イスラエルの70年間の捕囚の後にイスラエルになされたことが、今日の教会を回復するためのパターンとなる。「これらのことが彼らに起こったのは、戒めの為であり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです」(1コリント10:11)。マルチン・ルターもその著書でこのことを比較している。イスラエルが70年の捕囚から解放されて行ったように教会もこの暗闇の時代から解放されて行くとルターは言っている。


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