ブログ表紙

ブログ表紙
ピーター藤・和子

2011年11月30日水曜日

永遠の救いの真理 その2 大祭司が贖いの日に果たした役割

大祭司は先ず生け贄をほふり、その血を祭壇の内側に持って入り贖いの蓋に振りかける為に至聖所に入った。キリストの霊は息途絶えた瞬間にご自分の血を持って天の至聖所に携えられて全ての民の贖いを関係されたのである「キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう」(ヘブル9:14)。これはレビ記16章15〜19節の預言の実現である。

大祭司としての主の2番目の務めはご自分の魂を我々の全ての罪と咎、永遠の裁きを負わせてハデスに追いやられたことであった。キリストの霊が大祭司として葬られていた3日間、黄泉のパラダイス(ルカ23:43)に行きそこにいた御名を呼び求めて死んだ魂を神の身元に導かれたのである「その霊においてキリストは捕われの霊たちのところに行ってみことばを宣べられたのです。昔ノアの時代に、箱船が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、、従わなかった霊たちのことです(1ペテロ3:18〜20)。
民数記35:25〜28には「共同体は、人を殺してしまった者を血の復讐をする者の手から救い出し、共同体が、彼の逃げ込んだ逃れの町に彼を帰さなければならない。彼は聖なる油を注がれた大祭司が死ぬまで、そこにとどまらねばならない。大祭司が死んだ後はじめて、人を殺した者は自分の所有地に帰ることができる」とされ、逃れの町について述べている。黄泉のパラダイスにいた魂は逃れの町に逃げた人々のようであった。罪人だが神を仰いだ人たちであった。その逃れの町から出ることができるのは大祭司が死んだときであった。その罪の贖いが完成したということを3日間伝えに黄泉のパラダイスに行かれたのであった。主が低いところ(黄泉のパラダイス)に下られ、そこにいた人々があたかも捕虜のように天に携え上げられて行った「「高い所に昇るとき、捕らわれ人を連れて行き、/人々に賜物を分け与えられた」と言われています。「昇った」というのですから、低い所、地上に降りておられたのではないでしょうか」(エペソ4:8〜9)。黄泉のパラダイス(慰めの場所・楽園)は大祭司の死を待つ所であったが最早誰もいなくなったのである。もう誰も黄泉のパラダイスに行く必要はない。福音を聞いて救われなかったが神の御名を呼んだ人々の魂(ノアの時代の人々のように悔い改めの実を結ぶことはなくても)が皆黄泉のパラダイスにいた。「主の御名を呼び求める者はすべて救われる」という御言葉の通り主は哀れみ深いお方である。キリストの霊がハデスで死を味わっているキリストの魂を救う為に駆けつけそれが一つになり、やがて死と黄泉の軍勢に襲いかかって滅ぼし(詩編18)、死と黄泉の鍵を奪い取られその力を打ち破られた「わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている」(黙示録1:17、18)。


 「ところで、この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認められながらも、約束されたものを手に入れませんでした。神は、わたしたちのために、更にまさったものを計画してくださったので、わたしたちを除いては、彼らは完全な状態に達しなかったのです」(ヘブル11:39、40)。エノクやエリヤも空中に挙げられたが、キリストの贖いが完成していなかったので天に行くことはできなかった。旧約の聖徒は誰一人天に昇った者はいない。天は真の至聖所であるからそこに道が開かれない限り誰もそこに行くことはできなかったのである。エリヤやエノクが挙げられたのは掲挙の雛形であった。そしてその聖徒達全ては黄泉のパラダイスに行ったのである(マタイ11:9〜12)。これは信仰義認のことを言っているのである。エノクは死を通らないで黄泉のパラダイスに移されたということである。1コリント3:10、11の「わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません」は土台は神の恵みにより与えられるが、建物は魂のレベルで自分で決めることである。その評価はやがてなされる。


 「一度光に照らされ、天からの賜物を味わい、聖霊にあずかるようになり、神のすばらしい言葉と来るべき世の力とを体験しながら、その後に堕落した者の場合には、再び悔い改めに立ち帰らせることはできません。神の子を自分の手で改めて十字架につけ、侮辱する者だからです。土地は、度々その上に降る雨を吸い込んで、耕す人々に役立つ農作物をもたらすなら、神の祝福を受けます。しかし、茨やあざみを生えさせると、役に立たなくなり、やがて呪われ、ついには焼かれてしまいます」(ヘブル6:4〜8)は成長や聖化がテーマとされているのであって救いについて述べられているのではない。雑草が焼かれるのであって土地まで失うのではない。神の御心に従って有用でない者、実を結ぶことがないなら報いを失うと言うことである。「しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです」(1ペテロ2:9)によれば天国には王達もいるし(黙示録22:5)、ただの市民もいる。キリストの花嫁となる人もいる。天のあるエルサレムに主に会いに来る者もいる。


ミッション・あどない・いるえ
代表伝道者 ピーター藤 正信
ブログ http://missionjehovehjireh.blogspot.com/
email:MissionJehovahJireh@yahoo.co.jp
Titter : http://twitter.com/#!/MJJ_PeterFuji
いのちのことば社の紹介http://jpnews.org/adv/cont_messenger.html
栃木県栃木市倭町11-16 〒328-0037
携帯 : 080-6562-1427
TEL : 0282-25-1427



永遠の救いの真理 その1

米国のある教団の総裁が「あなたが一度救われたなら、あなたは救われている」という教理は偽りであり、悪魔からのものだ」と言って、イスカリオテのユダが滅んだ例を掲げて、救いは個人の信仰によって保たれ守られなければならないものであると語っている。

人は神の形のように三位一体を持つ存在として創造された。悪魔は最初の人アダムが罪を犯した事によりこの統一的一体生を壊したのである。キリストを信じなかった人の魂は黄泉に落ちて行くが神に与えられた霊・神の息(ヘブル語で息も霊もルーアッハ)は神の元に帰るのである(伝道者の書3:21)。贖われた魂は黄泉に行かない「神は私の魂を贖って黄泉の穴に下らせず、私のいのちは光を見る」(ヨブ記33:28)。不信者の魂と体はゲヘナ(地獄)に行くが霊は行かない「魂も体も、共にゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい」(マタイ10:28)。

神は魂中心の生き方でなく、霊中心の生き方を最初の人に与えられた。魂中心の生き方をすると勝利を得られなくなるからである。感情や思索が例えどうであっても神の語りかけに従うというのが霊中心の生き方である。

レビ記16章1〜22節では大祭司と2頭の山羊(アザゼルを含む)が贖いの為に必要であった。罪を犯した事により死と滅びという破壊された人間性をこの3者はキリストの霊・魂・体を予表している。山羊の1頭は罪の為の生け贄である。贖いのために殺され血が流される。キリストの体を象徴している。この血が真の至聖所に携えられていった。全人類の贖いとなられたのである。
アザゼルの山羊は、全ての罪咎を置かれ一人寂しく荒れ野に追いやられる。これはキリストの魂を予表している。キリストは生きたまますべての人の全ての時代の罪とその結果の咎と呪いを負われたのである。アザゼルの山羊はオリブ山と死海との間のヨルダンの荒れ野に追いやられ、あるいは暗い谷底に突き落とされて孤独の死を遂げるのであった。アザゼルが生きたまま不毛の地に追いやられるのは神の民から罪が離れた場所に遠ざけられる事を示す(詩編103:12)。「我が父」と呼ばれていた御子が御父からも見放され、そのキリストの魂が全ての罪を持ち去ってハデスに行かれ、そこで神の怒りと裁きを受け(詩編88)られたのである。

教会は黄泉・ハデスの苦しみの中で身ごもられ産まれたのだ(詩編139:15、16)。キリストがハデスに行かれ、裁かれ、呪われたからには私達が地獄に行き、裁かれ、呪われる事はあり得ないのである。


ミッション・あどない・いるえ
ブログ http://missionjehovehjireh.blogspot.com/
email:MissionJehovahJireh@yahoo.co.jp
Titter : http://twitter.com/#!/MJJ_PeterFuji
いのちのことば社の紹介http://jpnews.org/adv/cont_messenger.html
栃木県栃木市倭町11-16 〒328-0037
TEL : 0282-25-1427
携帯 : 080-6562-1427

2011年11月26日土曜日

キリストにある統治と支配の真理

キリスト信者はキリストと共に7つの世界(1悪霊の世界、2自我の世界、3動物の世界、4科学の世界、5病気の世界、6空中と宇宙の世界、7天使の世界)を統治ないし支配する事を聖書は語っている(ローマ5:17、創世記1:26、ルカ10:19、ヘブル11:33〜35)。 

私達をキリストにある7つの世界の支配へと引き寄せるのは1キリストの血(黙示録12:11)、2真理(ローマ16:25)、3御霊(使徒業伝1:8)、4愛(ローマ12:20)、5委ねた意思(ヤコブ4:7)、6神の名(使徒業伝3:16)、7賛美(使徒業伝16:25、26)である。

神に贖い出され、安息の中で成長し、カルバリの主の苦しみから恵みと祝福を受けると神の御心の力を与えられる。それがキリストと共に7つの世界を統治する支配の真理である。勝利者となったものがそれを支配する事ができるのである。

悪霊の世界:「信じる人々には・・・悪霊を追い出し」(マルコ16:17)、悪霊を追い出す事を主は命じられた(マタイ10:8)。弟子達に悪霊を追い出す権威を与えられ(マルコ3:15)、パウロの手ぬぐいを当てるだけで悪霊は出て行った(使徒業伝19:12)。

自我の世界の支配:神はカインに対して「
もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない」(創世記4:7)と言われ怒りを支配すべき事を教えている。また「新しい言葉を語り」と知性基づく言葉とそうでない霊の言葉を支配する事、「舌を制御できる人は一人もいません。舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています」と自己中心的な言葉が支配されるべき事を語っている。これは罪の世界を支配する事に繋がるといえよう。

動物の世界の支配:「信じる人々は・・・蛇をも掴み」とある。パウロも柴の中から出て来て彼の手に噛み付いた毒蛇に何の害も受けなかった。インドネシアのリバイバルの時河を渡っている宣教者に近づいて来たワニを主イエスの御名で去るように命じるとワニは彼から離れて行ったのである。

科学の世界の支配:「毒を飲んでも決して害を受けず」(
マルコ16:18)とあるが宣教師が毒を飲まされても死なないのでキリストを信じた証もある。


病気の世界の支配:「病人に手を置けば病人は癒されます」(マルコ16:18)。パウロが「身に着けていた手ぬぐいや前掛けを持って行って病人に当てると、病気はいやされ」た。今日ミニストリーで顕著な癒しが世界中の教役者が行っていると言っても過言ではない。

空中と宇宙の世界の支配:「そして祝福しながら、彼らから離れて行かれた」(ルカ24:51)、「主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた」(マルコ16:19)とあるのは創造主である主がまさに宇宙を支配されている事、その主と共に宇宙も支配する者とされているのである。

天使の世界の支配:「キリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を携えて、神の右の座におられます」(1ペテロ3:22)、「私達は御使いをもさばくべき者だ、ということを、知らないのですか。それならこの世のことは、言うまでもないではありませんか」(1コリント6:3)。


7つにこだわり過ぎる感があるかと思いますが分かり易くする為と考えていただきたい。死の世界の支配もあるがそれは病気の世界と関わっていると思う。


ミッション・あどない・いるえ
携帯 : 080-6562-1427
TEL : 0282-25-1427
Titter : http://twitter.com/#!/MJJ_
PeterFuji
栃木県栃木市倭町11-16 〒328-0037
ブログ http://missionjehovehjireh.blogspot.com/
いのちのことば社の紹介http://jpnews.org/adv/cont_messenger.html
email:MissionJehovahJireh@yahoo.co.jp

2011年11月22日火曜日

1億円の盆栽が売れた

 1億円の盆栽を福島の愛好家が買った。高松市で開催中の「アジア太平洋盆栽水石大会」で売れた。


 推定樹齢は300年で、高さは105センチ。うねる太い幹と繊細な枝ぶりを兼ね備えた「理想の盆栽」とのことである。盆栽は最近、海外で人気を呼び、この業者の顧客にも外国人が多いそうだ。


 永遠の救いと命はキリストを信じるだけで受け取れる。しかし、対価は想像を絶する。神の御子の命の値が付けられ、そして御父が買ってくださった。昔から中国などで不老不死の永遠の命を求めて王達がその財力を注ぎ込んで求め続けたが誰も得るには至らなかった。神が人の齢を定められた事は誰にも変える事はできない。また人は一度死ぬ事と死後に神の裁きを受ける事が定まっているからである。御子の十字架の贖いこそ永遠の命と救いを得る道である。


 キリストを信じ神の皇太子になる莫大な特権を不要と言う人の多い事は悲しい限りである。




ミッション・あどない・いるえ
栃木県栃木市倭町11-16 〒328-0037
代表伝道者 ピーター藤 正信
TEL : 0282-25-1427
携帯 : 080-6562-1427
Titter : http://twitter.com/#!/MJJ_PeterFuji
ブログ http://missionjehovehjireh.blogspot.com/
email:MissionJehovahJireh@yahoo.co.jp
いのちのことば社の紹介http://jpnews.org/adv/cont_messenger.html

2011年11月21日月曜日

ミルクの真理と成長した大人の真理、初代教会の教えと使徒職について

あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにも
かかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良
い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。
ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか。死んだ行ないからの回心、神に対する信仰、きよめの洗いについての教え、手を置く儀式、死者の復活、とこしえのさばきなど基礎的なことを再びやり直したりしないようにしましょう。」

上はヘブル人への手紙5章12節から6章2節までで、
大人のキリスト信者へ魂の糧があると同時に赤子のキリスト信者への魂の糧がある事を教えている。固い食物に対して乳、初歩の教えに対する義の教えである。赤子は魚のあら煮を美味しく食べられないが、小骨まで取り除くならその身を食べられる。

「キリストについての初歩の教えをあとにして、
成熟を目ざして進もうではありませんか。死んだ行ないからの回心、神に対する信仰、きよめの洗いについての教え、手を置く儀式、死者の復活、とこしえのさばきなど基礎的な」事柄とするのがキリスト信者の赤子が食べられる魂の糧である。

これらの7つの初歩の教え(ミルクの真理)は大人の義の教え(
7つの鍵の真理)に対応するもの密接な関係を持つ教えである。1:キリストについての初歩の教えは幕屋の真理(主が住まいについての真理)に、2:死んだ行いからの改心(悔い改めの教え)は平安と安息の真理に対応している。3:神に対する信仰は成長と勝利の真理に続いていき、4:清めの洗いについての教えはカルバリの真理に対応し、5手を置く儀式についての教えは支配の真理に対応し、6:死者の復活の教えは全存在の永遠の救いの真理と関係し、7:永遠の裁きの教えは時代区分の真理に関係づけられる。

1キリストについての初歩の教え:キリストはメシア・
救い主であり主を受け入れると永遠の救いを受け神の民となる。キリストの御体・キリスト教会の部分となる教えである。福音書や使徒業伝に多く記されている。これに対し成熟した者には神の御住まい(私達自身)についての神の定めを学ぶのである。

2死んだ行ないからの回心:悔い改めについて教える。ヨハネ6:
26-29で罪は神との関係を妨げ平安(義と平和と聖霊の喜び)を奪うものである事を、悔改めは個別の神の働き(神の支配)を妨げを取り除く事(悔い改めの実を結ぶこと)を学ぶのである。

しかし悔い改めだけでは大人にはなれない。
常に主の臨在と安息の中に留り続けること(住み続けること)が必要である。その為には大人の真理である安息の真理(神の御心の中にいるという証拠を示すもの)の習得が必要になる。

3神に対する信仰:第一ヨハネ5:
4は信仰は世に勝つ勝利であると教えている。神への信仰は勝利をもたらすが、時々たまに勝利をするのではなく成長して大人になり勝利者であり続けるようになるための成長の真理が必要となるのである。

救われ、
ただ永遠の命を与えられただけではなくもっと豊かな神の富・祝福の中に進ましめそれを持ち続ける教えが成長・勝利の真理である。そして敵の攻撃からの防衛にもなるものである。

4きよめの洗いについての教え:
3つののバプテスマについて教える。霊・魂・体についてのバプテスマである。水のバプテスマは体に一回(教団によっては滴礼で水が足らなかったから全身礼を受けるように求められる事もある)、魂には聖霊のバプテスマを受け続ける必要がある。祭司が聖所で毎日燭台に油を注ぎ灯火をともし、香を焚き続けたように私達の魂は聖霊の油注ぎ・バプテスマを受け続けていく必要がある。キリストの御体に属するバプテスマは霊に受けるもので生涯に一度受けるものである。キリストを心に信じ受け入れ、口で自分の罪と裁きからの救い主贖い主と告白する(ローマ10:9、10)時受けるバプテスマである。例えどの教会に属する事ができなくても命の書に名が記された時に受けるものである。

3つのバプテスマの個々の教えは初歩の教え・
ミルクの真理であるが、その有機的教えは成長した大人の教えである。またバプテスマは死と復活を表すので自分に死に神の力に生きる事は成熟しないと習得できない。そこでカルバリの真理が必要になる。

5手を置く儀式:按手は大祭司が任職したり、長老の任職等権威・
力の付与を表す。神の御旨は神の子たちが皆権威を受けキリストと共に支配者になる事だが、先ず自分の魂を治めねば他を治めることができない。支配は内側から周囲へと拡大していくもの。ダビデはユダから全地の王となるのは時間が要った。

子供の頃は自らの魂を治める事もままならないであろう。しかし、
成長し成熟するとキリストと共に7つの世界を支配するものとなるのである。それがキリストにある統治・支配の真理である。

6死者の復活:キリストのの復活により永遠に完全な三重の霊・
魂・体の救いがもたらされるのである。キリスト者の復活は一回ではない。霊の復活は主を信じた時、魂は毎日キリストの復活に預かりつつあり、体は将来の栄化の時である。個別の教えはミルクの真理であるが霊・魂・体について区分し、有機的総合的に見ていくのが大人の教えである真理で三重の目的を与えるものである。

7とこしえのさばき:大人の為の真理は時代区分の真理である。
永遠の裁きについては死後の裁きだけではなく各々の時代に神は裁きをなしてこられたが、それを学び備えるためのものである。4つの時代(族長・律法教会・千年王国)の各時代での各裁きを通していかに信仰者として生きるかを考えさすもの。

4つの時代(族長・律法・教会・千年王国)への神の裁き:
族長時代への裁きはノアの洪水、律法時代への神の裁きはアッシリアとバビロンとローマによる滅亡、教会時代への裁きは7年の艱難、千年王国への裁きはサタンと手下どもと全人類の裁きで子羊の命の書とそれぞれの行いに応じての裁きである。

初代教会にあった使徒達の教え:「
彼のことばを受け入れた者はバプテスマを受けた。その日三千人ほどが弟子に加えられた。彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれた。信者達は皆一緒にいて一切の物を共有にしていた。資産や持物を売っては各々の必要に応じて皆に分配していた。毎日心を一つにし宮に集まり家でパンを裂き喜びと真心をもって食事を共にし神を賛美しすべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」(使徒2:41~47)

初代教会に学ぼうとこれらの聖句が開かれ、説かれ、
学ばれてきたが、殆ど取り上げられなかった、光が当てられなかったのが「使徒たちの教え」である。しかも初代教会の当初に出てくる大切な部分である。「使徒たちの教え」が7つの鍵の真理である。

使徒職について:今日使徒と名乗っている教役者がいるがそれは「
使徒たちの教え」を持っているかによって試されなければならない。試された後に分かることは彼は使徒ではないということだ。牧師であったり伝道者である。

使徒は主によって遣わされる者であり(マルコ6:7、ルカ11:
49、使徒8:14、13:3)多くの不思議な業とあかしの奇蹟を行ない(使徒2:43、5:12、第二コリント12:12)、教会の土台を据える者である(エペソ2:20)。

パウロはいわゆる十二使徒ではないが、
聖書は明確に使徒であることを言明する(エ ペソ1:1他)、また彼が異邦人への使徒である(ガラテヤ2:8)。

使徒職は父なる神により与えられるものである「
使徒となったパウロー私が使徒となったのは、人間から出たことでなく、また人間の手を通したことでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によったのです」(ガラテヤ1:1)。

ある大教会の牧師は有名な預言の務めをする人から「
貴方は使徒的な働きをするようになる」と言われたことを引用し自分は使徒であるかのようなことを言っても、彼に使徒の教えがなければ偽物である。世界一の教会の牧師でも同じである。管理の賜物や信仰の賜物が発揮されているだけと言える場合もある

イスラエル民族に見る7つの真理:
創世記はすべての真理の苗床で、出エジプト記はイスラエルの救いを、出エジプト記・レビ記は幕屋の真理を、民数記・申命記は安息の真理、ヨシュア記は成長と勝利の真理を、士師記・ルツ記はカルバリの真理、第一サムエル~第二歴代は支配の真理を教えている。詩歌は全人的な永遠の救いの真理を、預言書は時代区分の真理を多く教えている。7つの鍵の真理を要約すると勝利の真理は守りを与え、カルバリの真理は平安を与え、支配の真理は神の御心の力を与え、霊・魂・体の区分の真理は三重の目的を与え、時代区分の真理は神の卓越性を我々に与え示すものである。

ミッション・あどない・いるえ
栃木県栃木市倭町11-16 〒328-0037
代表伝道者 ピーター藤 正信
携帯 : 080-6562-1427
TEL : 0282-25-1427
Titter : http://twitter.com/#!/MJJ_PeterFuji
ブログ http://missionjehovehjireh.blogspot.com/
いのちのことば社の紹介http://jpnews.org/adv/cont_messenger.html
email:MissionJehovahJireh@yahoo.co.jp

2011年11月20日日曜日

「石は既にわきへ転がしてあった」

キリストに縁のある女性達が主の復活の朝、葬られた墓に行く途中、誰が入口の巨石を転がすか話し合ってた。しかし、墓に着き目を上げて見ると何とその大きな石は既にわきへ転がしてあった。


 貴方の人生にも何としても動かしたい巨石があろう。「あれさえなければ」と取りのけられる事を願っている人にどうする事もできない強い力により封印されている巨石がここぞというときに立ちはだかるのである。


 だが、復活の全能の主を閉じ込めておく事のできる権威も物理的な障害である大きな石も何もなかった。主はローマの封印固い墓の石を転がし力強く復活後のご自身の働きを始められていたのである。


 私と貴方が主が必要とされる働きを行い続け、その場所に向かって信仰を持って前進するなら主はご自身の為にどんな巨石も転がしてくださるのである。「石は既にわきに転がしてあった」と主の栄光をほめたたえることになるのである。


ミッション・あどない・いるえ
栃木県栃木市倭町11-16 〒328-0037
代表伝道者 ピーター藤 正信
ブログ http://missionjehovehjireh.blogspot.com/
email:MissionJehovahJireh@yahoo.co.jp
携帯 : 080-6562-1427
TEL : 0282-25-1427
Titter : http://twitter.com/#!/MJJ_PeterFuji
いのちのことば社の紹介http://jpnews.org/adv/cont_messenger.html

カルバリの真理 その3 図式での理解

カルバリの真理をより理解するために図式されたい。

縦に3つの列に分けて左側から
<主の受けた苦しみ><参照><主が受けられた苦しみのタイプ>
とする。

<主の受けられた苦しみ>は
1:神に罰せられた
2:神に打たれた
3:苦しめられた
4:刺し通された
5:砕かれた
6:懲らしめられた
7:痛めつけられた

<参照>は
1:  ゲッセマネ(マルコ14:32~34)
2:ユダと暴徒(マルコ14:43〜52)
3:ペテロと大祭司(ルカ22:54〜65)
4:ユダヤの最高議会と偽証人(ルカ22:66〜71、マタイ27:5)
5:ロマ兵の前で夜中不眠で立たされた(ルカ23:1〜25、ダニエル2:40)
6:十字架刑(ルカ23:16;22〜46)
7:黄泉での想像及ばぬ苦悶(マタイ12:40、詩編16:10、18編、88編)

<主が受けられた苦しみのタイプ>
1:感情的な悲しみ
2:ショック(ゼカリヤ13:7)
3:屈辱され卑しめられた
4:人格的な苦しみ(ゼカリヤ13:6、箴言25:18)
5:打ちのめされ疲れ果てられた(ルカ18:5)
6:犯罪者として罰せられた
7:神とサタンの超自然的な怒りを受けられた

7つの恵みの契約についても分かり易い図式にしてみよう。
大きめの三角形を二つ頂点を上からと下からのを描く。二つが重なる真ん中に6角形ができるようにする。ダビデの星の形になると思う。
中の6角形には1番目の祝福の契約<義認>(詩編103:3前半、使徒業伝13:39、ローマ4:1、8:32)を書く。
周囲の三角形には右上に<聖化>(ヘブル10:10)
右周りに
<神の癒し:神聖なる癒し>(詩編103:3後半、マタイ8:17)
真下に
<神にある健康:神聖なる健康>(詩編104:4前半、3ヨハネ:2)
左下に
<平安と安息>(詩編103:4後半、人は愛されて安息する、ゼカリヤ9:11、ルカ8:24)
左上に
<復活の命>(詩編103:5、ヘブル13:20、2コリント1:9)
真上には
<神の栄光>(詩編103:6、1ペテロ4:14)




ミッション・あどない・いるえ
ブログ http://missionjehovehjireh.blogspot.com/
email:MissionJehovahJireh@yahoo.co.jp
栃木県栃木市倭町11-16 〒328-0037
代表伝道者 ピーター藤 正信
TEL : 0282-25-1427
携帯 : 080-6562-1427
Titter : http://twitter.com/#!/MJJ_PeterFuji
いのちのことば社の紹介http://jpnews.org/adv/cont_messenger.html

2011年11月19日土曜日

カルバリの真理 その2 7重の福音



 3拍子の祝福と言われているのは1:救い2:癒し、3:解放で、四重の福音と言われているのは1:新生、2:聖化、3:神癒、4:再臨である。5重の福音と言うのもある。1:原罪からの解放、2:呪いと死からの解放、3:病からの解放、4:最後の審判からの解放、5:永遠の地獄からの解放である。


 主イエスは神のアザゼルの山羊(レビ記16章8、10、26節)になり私達の全ての罪を負い地獄の底に行かれた。それ故キリスト信者はもう黄泉に行く事はない。そればかりか、キリストが受けられた完全とも言える苦しみが完全な7つの恵みと祝福を受ける事ができるのだ。それが7重の祝福、カルバリの7つの契約である。


  7KEY TRUTHでは7重の福音である。1:義認、2:聖化、3:神の癒し、4:神にある健康、5:信仰による安息、6:復活の命、7:栄光で、それは初代教会に使徒達により教えられたものである。


 神の7つの名前は主の実質表す。あどない・つどきぬ(主は私達の義)、あどない・ろえ(主は私の羊飼い)、あどない・らふぁ(主は貴方を癒す方)、あどない・にし(主は私の旗)、あどない・しゃろーむ(主は平和)、あどない・いるえ(主は備えられる),あどない・しゃま(主はそこにおられる)。


 あどない・つどきぬ(エレミヤ23:6)、あどない・ろえ(詩編23)、あどない・らふぁ(出エジプト15:22〜26)、あどない・にし(出エジプト17:15)、あどない・しゃろうむ(士師6:24)、あどない・いるえ(創世記22:14)、あどない・しゃま(エゼキエル48:35)。


    主 の 御 名            7つの祝福・契約
 
1:あどない・つどきぬ(主は私達の義)    義 認(ロマ3:28)


2:あどない・ろえ (主は私の羊飼い)    聖 化(詩編23:
                        3、1ペテロ1:22)


3:あどない・らふぁ(主は貴方を癒す方)   神の癒し(出エジプト15:
                         22〜26)敵が病気等攻撃して来た時に                         神の軍旗が敵を散らし退散させる(イザヤ                         59:19)


4:あどない・にし(主は私の旗)       神にある健康:全存在の
                         健康(3ヨハネ:2)


5:あどない・しゃろうむ(主は平和)     信仰による安息・平和(ヨ
                         ハネ14:27


6:あどない・いるえ(主は備えられる)               復活の命 (ヘブル11:
                       19、ヨハネ11:25)


7:あどない・しゃま(主はそこにおられる)       栄光 (黙示録21、
                         22)








ミッション・あどない・いるえ
代表伝道者 ピーター藤 正信
栃木県栃木市倭町11-16 〒328-0037
ブログ http://missionjehovehjireh.blogspot.com/

携帯 : 080-6562-1427
TEL : 0282-25-1427
Titter : http://twitter.com/#!/MJJ_PeterFuji
いのちのことば社の紹介http://jpnews.org/adv/cont_messenger.html

2011年11月16日水曜日

カルバリの真理 その1 主が受けられた7つの苦しみ

 7Kye Truth も1:幕屋の真理、2:安息の真理、3:成長と勝利の真理(
その応用が陶器師と陶器)が終わり、4番目はカルバリの真理です。主が受けられた完全な7つの苦しみが7つの完全な恵みの契約をもたらす事を見ていきます。


・ キリストが受けられた7つの苦しみは、1:罰せられた(イザヤ書53章4節)。
ゲッセマネでの感情的な悲しみを伴って<神に罰せられた>のである。「一同がゲツセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」

・(マルコ14:32~34)。私達には主の苦しみは到底分からない。その為に祈って欲しいと願った最も身近な弟子達でさえ主の為に目を覚まして祈らなかった事も主の悲しみを増し主の魂を打ちのめした事であろう。

・2番目の苦しみは打たれた、「神に打たれ」(イザヤ書53章4節)たことである。ユダと暴徒を通してのショックによった(マルコ14:43~52)。救い主は奴隷の値段銀貨30枚で売り飛ばされたのである。イスカリオテのユダが裏切る事は神の予知をもって主はご存知だったはずだ。しかし、そんなユダを受け入れ我慢し信じ期待し続けられた神の愛があった


・「万軍の主は言われる、「つるぎよ、立ち上がってわが牧者を攻めよ。わたしの次に立つ人を攻めよ。牧者を撃て、その羊は散る。わたしは手をかえして、小さい者どもを攻める」(ゼカリヤ13:7)。死ぬ事があっても知らぬとは言わぬと言ったペテロも弟子達もイエスを見捨てて皆逃げてしまったのだ。

・3番目は苦しめられた事である。「苦しめられたのだと」(イザヤ書53:4)。ペテロと大祭司によって低められ卑しくされた(ルカ22:54~65)。ペテロが鶏が鳴く前に3度主を否定する事は知ったおられたが現実にそうなった時の苦しみはいかばかりだったろう。同じ名前の私には実感が増す。

・真の大祭司は主・イエスであったのに、律法主義と偽善に満ちたカヤパとその手下によりののしられ、尊い御霊の賜物を侮辱されたのである。現在の神の御体である教会も本物の御霊の賜物を軽く見たり軽蔑したりする傾向が一部に見られるがそれは主を苦しめる事に他ならない。

・4番目は刺し通された、「しかし、彼は私たちの背きの罪の為に刺し通され」(イザヤ53:5)とある。最高議会・サンヘドリンと偽りの証人たちにより心も体もであった(ルカ22:66~71、ゼカリヤ書13:6、箴言25:18)。最高議会の尋問は十時架刑への言いがかりを見つける為であった。

・御子なる神ご自身が私が神だと言われ、心閉ざした罪人がそれは神への冒涜と決め、御子なる神を死罪に定める。何と恐ろしい事か。しかし、全人類の贖罪の道はそれしかなかったのである。父なる神の人を罪から贖い救う計画は御子を無惨にも十字架に刺し通したのである。

・5番目は砕かれた事である。「ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない」(ルカ18:5)とやもめの訴えと不正な裁判官について話された主がまさに不正な裁判官により裁かれた。ローマは鉄の国で自分より強いカルタゴを滅ぼしたが救い主も砕いた(ダニエル2:40)。

・6番目の主の受けた苦しみは懲らしめられた事である。ゴルゴダの丘とドロローサの道で犯罪人として扱われたのである(マタイ27:27~44)。40回打たれたら死ぬと言われるむち打ちを39回受け、侮辱的な外套を着せられ葦の棒を持たせられその棒で頭を叩かれいばらの冠を被せられ、つばきをかけられ、侮辱されたゴルゴタに引いていかれた。

・十字架に付けられても犯罪人から侮辱され、
十字架の上には罪状が書かれた。私達の罪を背負われたので父なる神からも断絶され、途絶える事のなかった交わりを断たれたのである。

・7番目に受けられた苦しみは痛めつけられた事である。キリストの魂は3日間黄泉に落とされた(詩編18:5、6)。聖徒達にはその魂を黄泉に渡す事はされずご自分は黄泉で苦しまれた(詩編16:10)。しかし、その苦しみの中から教会が生まれたのだ。主の受けられた苦しみを覚え感謝しよう。


ミッション・あどない・いるえ
Titter : http://twitter.com/#!/MJJ_PeterFuji
ブログ http://missionjehovehjireh.blogspot.com/
email:MissionJehovahJireh@yahoo.co.jp
栃木県栃木市倭町11-16 〒328-0037
代表伝道者 ピーター藤 正信
TEL : 0282-25-1427
携帯 : 080-6562-1427
いのちのことば社の紹介http://jpnews.org/adv/cont_messenger.html

2011年11月14日月曜日

陶器師と陶器 その7 炉に入れる

粘土が陶器になる最後の工程は炉に入れられる窯焼きである。それは<神の栄光との関係>を取り扱われ<信仰のテスト>がある(ダニエル3章)。粘土の性質として粘性と可塑性を見たが、今は耐火性を見てみよう。焼かれると固まり変化しない性質をいう。


・<信仰のテスト>は艱難のテストでもある(第一ペテロ1:7)。1200度以上になると釉薬が溶け生地と一体になる。焼き締めの器は炎と灰と熱と光で模様と色が着く。炎と生地の出会い方で模様も発色も決まる故、焼き上がりの表情を左右する生地の火に対する方向を考えて陶器師は窯に作品を入れる。


・地上の殆どの物質は高温で焼けば燃えたり溶けたり歪んだりするが、粘土は炎をくぐり抜けると、役立つもの、美しいもの、変質しないものへと変えられていく。硫酸を入れる瓶も陶器である。陶器師は夫々の粘土の耐火度を知っているから粘土が耐えられない温度で焼く事はしない(1コリント10:13)。
粘土は見事に成形されても生地のままではもろい存在でだ。少しの衝撃でも壊れやすく水に落とされれば溶けるが、窯に移され焼き上げられると固く焼き締まり、水を貯えたり、料理を盛る事のできる丈夫で役に立つ朽ちない存在となる。生地が火を通し完成されるように基督者も火を通され神の器になるのだ。
 
 焼く温度と陶器:焼締めは窯に詰めたら3〜10日間土質にあった温度や焼き方で焼き続ける。備前焼は低めの1230度で焼き続けると押さえられた渋い味わいとなるが、高温で焼くとへたったり光ったりするものとなる。信楽土は高温千三百度で焼かないと焼き締まらずしらっとした見られないものになる。


 聖書の時代の陶器は土器(釉薬をかけず、素焼きと同じ位の低火度で焼かれた器)だった。それは値打ちのないもの、(哀歌4:2)、形を戻せないほど粉々に砕けるもろいもの(詩編2:9イザヤ30:14エレミヤ19:11)、汚れが染み込み易いもの(レビ6:28)である。まさに人の性質を表す。


・聖書時代の器は六百〜八百度で焼かれた素焼き程度の土器だ。現代の焼物は千二百〜千三百度で焼く。聖書では素焼きまでしか書かれていないが粘土は本焼を経る事で本焼の陶器となる可能性を秘めている。粘土は神が用意されたものであるから。旧約では土器の評価が低いがパウロ書簡では高くされている。


 窯から出された陶器は灰等が固まり尖ったり膨れ上がった部分がある。陶器師はそれを土器のかけらなどで削り取り滑らかにするが最後は自分の手で磨く。真の陶器師である神ご自身がその御手で信仰の試練を通った私達を輝かしてくださる事を思うと感無量である。


 粘土が陶器になるに要する期間:備前焼では稲田の下から粘土が掘り出されてろくろでの成形までに4年、その後窯入れまで3〜6ヶ月、窯詰めに1週間、窯焚きに12日間、窯が冷めるまで1週間かかる。私達も全能の陶器師の御手に委ね、生涯をかけて尊い器に作り上げていただこうではないか。


ミッション・あどない・いるえ
代表伝道者 ピーター藤 正信
栃木県栃木市倭町11-16 〒328-0037
携帯 : 080-6562-1427
TEL : 0282-25-1427
Titter : http://twitter.com/#!/MJJ_PeterFuji
ブログ http://missionjehovehjireh.blogspot.com/
email:MissionJehovahJireh@yahoo.co.jp
いのちのことば社紹介http://jpnews.org/adv/cont_messenger.html

陶器師と陶器 その6 デザインの完成

 粘土が陶器とされる工程の第6番目はデザインの完成で3つに分かれる。ここでは<神ご自身との関係>を整えられ<優先順位のテスト>を受ける。


 第1番目はろくろで形成された粘土(生地)を別の部屋に置く工程。乾かすため、また何者にも触れられない為だ。粘土である私達はそこで安息を学ぶ。ここでは<父なる神との関係>を学ぶ。<安息のテスト>がある(マタイ11:28、29)。神が6日働いて7日目に休まれたのは私達の魂が神の安息に中で成長する為であった。


・生地(作品となった粘土)に水分が多く、乾燥が不十分だと釜の中で裂けたり破裂したり水蒸気爆発する。粘土は形成された瞬間から表面から乾いていく。細かい粒子の粘土は乾燥により水分が移動する早さが遅くなる。粘土の粒子間を流れる水の早さと粘土が乾燥する早さに大きな差があると粘土はひび割れする。大きな作品ほど乾燥は難しいのである。乾燥は陰干しや天日干しがある。仕上げられた粘土の作品は棚に置かれ生地の表面が乾き始めるまで室内で自然乾燥される。


・生の生地は急激に乾燥されるとへりや底に亀裂が入るので、風や直射日光で一部だけが早く乾かないように室内に置くのだ。室内に置く日数は生地の大きさや天候により異なる。生地の表面が白くなり始めたら状態を見ながら外にも出して乾かす。


・天日干しは天気を見ながら生地を乗せた台ごと干し台に並べ風と天日で十分に乾かす。大きな壷や大皿、厚手の作品は乾燥室に出したりしまったりしながら何日もかけて乾かす。半乾きの生地(粘土)は天日に当たるとだんだん白くなってくる。表情は失せ、存在感のない薄いものに見える。


・生乾きの生地(粘土)は薄く延ばされていて水分もないので粘土としては最ももろく、弱い状態である(2コリント12:10)。僅かな衝撃でも崩れてしまう。雨に当たればすぐ溶けてしまう。乾けば乾くほど生地は弱くなるので、乾燥の為の裏返しも運ぶ時も最も丁寧に扱われるのである。


陶器師から離され、太陽や風にさらされている脆い生地(粘土)は陶器師の気遣いにより守られている。実際の現場では陶器師は生地を乾かしながら他の生地を形成したりしている。作業小屋の扉は風が入らないよう閉めてあり乾かしている生地は見えないが、陶器師は干されている生地の事を決して忘れない。


・陶器師は天候にもいつも気遣い、夕方には必ず生地をしまい込むし、干したまま外出をする事もない(イザヤ23:23.24)。


第2番目は、必要なだけ乾いたらひっくり返しにされてろくろの上で底(高台)を整えられる(イザヤ29:16)。高台が整えられたらそこに作者の名前を刻む。また側面の凸凹を整える。<御子キリストとの関係>を学び<ヴィジョンへの忠実さ・誠実さのテスト>がある。


 高台について:ろくろで生地を成形したとき底の立ち上がり部分は肉厚で重くなっている。底や側面の余分な土を除き、高台を作り出す事で器はよい重さとなる。また削る事で底の厚みが薄くなるがこれは底割れを防ぎ、器を手に持つのにちょうど良いものになる。
・また、底つまり設置面が安定するので大切である。切り糸などでろくろ上の粘土の塊から切り離されたままではがたつき座りが悪い。底が傾いていたら注いだり盛りつけし難くなったり、客の前でその器が倒れるかもしれない。だから持ちやすさ、器の座りの安定、器の姿を整える為に心配りが必要だ。
・日本は特に茶器では古くから高台の削り方を鑑賞の重要なポイントとして見る習慣があり、その器に相応しい削り方を味わうのである。ろくろは信頼できる弟子に任せても高台削りは師自身の手で行われるものだ。高台の削り方で器の立ち上がりの姿、裏返したときの味わいがまるで変わったものとなる。

・目立たない設置部分に目を向ける習慣は奥が深い。主が祝福を注ぎ込む時器が傾き溢れてはならず、主の祝福を運ぶ時途中であるいは相手の前で器が倒れてはならないのである。陶器師が高台の削りに気遣いと思い入れを持つように、神はご自身の器が用いやすくなるように確かな腕を振るわれるはずだ。



 木や石を加工して作品を作る場合に失敗し全く同じ形を作り直す場合にはまず全ど新しい材料を調達しなければならない。しかし粘土の場合はつぶした粘土で全く新しい形を作る(作り替える)事ができる。例えば粘土に空気が残っていたり、形・サイズ・雰囲気が作者のイメージと違う場合である。
・高台作りで失敗したり、乾燥時にひびが入ったり、ぶつけて割れた場合である。陶器師はその土をよく揉みほぐし同じ塊から新たに器を作り出すように、神は土である私達の過去の悪しきすべてをないものとして全く新しく作り出してくださるのだ。「主の忍耐深さを救いと考えなさい」(2ペテロ3:15)。


 第3番は更に美しくなるように色粉で絵柄を塗り最初の火に当てられる。素焼きである。現代では素焼きしたものに釉掛けし絵付けする。ここでは<聖霊なる神との関係>を学び<恵みのテスト>を受ける。最初の火そして素焼きは聖霊のバプテスマを表す。絵付けは乾燥した生地か素焼きの生地に行われる。


素焼きは釉がけをしやすくする為の仮焼きである。素焼きをする事により釉がけの時生地が崩れたりせず、釉ののりが良くなり、釉が剥がれたり縮れたりするのを防げる。釉薬の基本原料は石の粉と木やわらの灰である。調合の仕方で緑色、白色、茶色、黒色、青色、柿色、飴色等が得られる。




ミッション・あどない・いるえ
栃木県栃木市倭町11-16 〒328-0037
代表伝道者 ピーター藤 正信
TEL : 0282-25-1427
携帯 : 080-6562-1427
Titter : http://twitter.com/#!/MJJ_PeterFuji
ブログ http://missionjehovehjireh.blogspot.com/
いのちのことば社紹介http://jpnews.org/adv/cont_messenger.html
email:MissionJehovahJireh@yahoo.co.jp