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ピーター藤・和子

2011年10月27日木曜日

神の十二の御住まいその7ーダビデの幕屋に見る教会の存在目的

 神の契約の箱を正しく運ぶ方法を人にではなく神の定めに従ったダビデは、自らを聖別させたレビ人によって オベド・エドムの家より自ら整えた天幕に運び上げた(第一歴代誌15章1節~15節)。礼拝も賛美も心が清くないと主に受け入れられない。各自悔い改めて礼拝に出る必要がある。 

 祭司とレビ人は総力を挙げ、詠唱者は琴、竪琴、シンバルなどの楽器の奏に合わせて声を張り上げて喜び祝い、祭司達は神の契約の箱の前でラッパを吹き、賛美の中を神の契約の箱が進んで行った。

 ダビデの幕屋では朝夕絶えず、焼き尽くす献げ物の祭壇の上で主に焼き尽くす献げ物がささげられていた。それは正に礼拝を意味する「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である(ローマ人への手紙12章1節)。純潔な心からの賛美と礼拝こそ教会の存在目的の一つである。

 偽りのない心、裏表のない魂で神の御前に出、ダビデのように謙遜になって魂を主に向け、活ける神を求めて行く所を主は御自身の御住まいとされるのである。

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