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ピーター藤・和子

2011年10月31日月曜日

至聖所には契約の箱だけが置かれている。そこには決して人が入ってはならない場所である。人が神の栄光を奪う事は許されない。契約の箱の上には2つの純金のケルビムが向かい合わせになって贖いの蓋が作られていた。契約の箱は栄光の為の神の定めを教える。そこから臨在の雲の柱が立ち上っていた。

義認・新生はキリストを受け入れただけで完成する。ウエスレアン・アルメニアンは人の努力や意思も重要だと言い、カルビニズムは神の絶対恩寵・神の恵みの大きさを主張し人の関わりの重要性・努力を言わない。至聖所の贖いの蓋に大祭司が犠牲の血を振り注ぐと義とされた。義認は神の定めによるのである。
・霊・魂・体とバプテスマについて整理してみる。キリストを信じた時霊はキリストの御体に属するバプテスマを受ける(一生に一回)。信仰告白をし地方教会に属する為の水のバプテスマを受ける(滴礼での洗礼を受けた信徒がバプテスト教会に転籍する場合は2度目を求められる事がある)。魂は聖霊のバプテスマを日々受け続けなくてはならない。聖霊に満たされ続け聖霊に支配され続け聖められ続けキリストの似姿に到達するまで。

医学的にも思想的にも神学的にも霊と魂を分ける事はできない。神のみ言葉だけがそれをできる(ヘブル書4章12節)。主・イエスはご自分を神殿あるいは幕屋と言われ、ペテロもパウロも自分を幕屋と言っている。私達も神の神殿である。幕屋の庭が体,聖所が魂、至聖所が霊として教えるのである。
・聖所と至聖所の関係は魂と霊の関係を教える。至聖所に神以外は住めなかったように霊に神以外入る事は許されない。悪霊も魂には入るが霊には入れない。ナダブとアビブは聖所には入ったが至聖所に入った時打たれた。罪は聖所にそして魂に入るが至聖所と霊には入れない。霊は神と交わるために創造された領域である。

キリストを受け入れない人の死後はどうなるのか。肉体は土に帰り、魂は地獄に滅び、霊は神の元に返る(伝道者の書3:21、12:7)。キリストを信ぜず救いを受け入れない人は三一性を一つとして創られた霊・魂・体が分裂しそのまま生涯を閉じる事になる。それは致命的な病であり、滅びに向かう人生である。
・キリストは罪を犯した我々を断絶と分裂の滅びから救う為に我々の身代わりとなり御自身が裂かれてくださった。主がパンを裂かれた行為が3回あった。1:5000人に、2:7000人に、3:最後の晩餐の弟子達に。主がユダヤ人の為に、異邦人の為に、全ての全人類のためにご自分が裂かれたのである。

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