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ピーター藤・和子

2011年10月24日月曜日

幕屋の真理その2 (青銅の洗盤)


 モーセの幕屋の内庭の青銅の祭壇を過ぎると青銅の洗盤があります(出エジプト30:17-21)祭司の歩みと奉仕のための神の定めを示しています。今の時代はキリスト信者が祭司として召されています。洗盤は会見の天幕の入口で務めをした女たちの姿見・鏡で作られていました(出エジプト38:8)我々にとっては御言葉。主の奉仕者は清くなければならない事を教えています。

 モーセの幕屋の内庭にある青銅の洗盤で祭司達は体を洗い清めたのです。水の洗いはギリシャ語で洗盤と同じ意味です。「身をきよめよ。主の器をになう者たち」(イザヤ52:11)とあります。奉仕者が聖められずに奉仕を行うと裁かれるのです。青銅の祭壇で見たように青銅は裁きを象徴しています。今日も魂が清められ主に仕えていこうではありませんか。

 ヨセフは無実の罪を着せられ牢獄で神の時を待ち続けました。神の言葉が彼を試したとあります。御言葉が与えられるとそれが実現するまで神の子達を聖め続けていきます。プライドを捨てきり神と神の言葉にのみ信頼するように。キリストは御言葉によりご自分の花嫁なる教会を聖め聖なる者となさるのです(エペソ5:26)。それに応答してまいりましょう。

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