ブログ表紙

ブログ表紙
ピーター藤・和子

2011年10月23日日曜日

幕屋の真理その1(青銅の祭壇)

 モーセの幕屋は神の恵みにより神の子どもたちを神の御心の中心に据える事を教える(新改訳:申命記8:18あなたの神主を心に据えなさい)。幕屋を形成する7つの部分(青銅の祭壇、青銅の洗盤、幕屋、金の燭台、香の壇、パンの台、契約の箱)はキリストの御住まいである教会に関する神の定めを教えている「エペソ2:22」。聖書は神の子どもたちの生涯の設計図である。モーセの幕屋はキリストの教会のひな形を表している。主は「よく注意し山で示された型に従いすべてのものを作りなさい」と言われた。神の神殿であるキリスト者がいかに訓練され建て上げられるかがその内容である。
 
 モーセの幕屋を入ると青銅の祭壇がある。それはアカシヤ材に青銅が覆ってあった。青銅は神の裁きを荒れ野に育つアカシヤ材は困難な環境で育ったキリストの人性を表す。御子は貴方と私の罪を背負い神に罪あるものとなられ十字架上で裁かれた。誰もキリストの贖いを通らずして御父の元には行けない。青銅の祭壇は人が神の御心の中に入る方法を表す。人は勝手に神に近づけない。罪人は幕屋の入口に入り青銅の祭壇と殺された動物の血の海を見る。祭壇はあたかも血の池の真ん中にある心臓のように見える。それはカルバリーの十字架で流された主の血潮である。主の十字架以外に御父に近づくことはできない。


 罪人は身代わりの犠牲なしに神の臨在に近づけない。青銅の祭壇の1/2の高さに青銅製の格子の網があり、その高さは契約の箱の高さと同じである。犠牲を献げる時は炎のみが見える。主を受け入れた時、主によって人は隠され主の中にあるとみられ、魂という犠牲はキリストと同じ高さ義を持つ者とみなされる。モーセの幕屋の外庭は肉体を表す。青銅の祭壇では毎日犠牲が献げらる。「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です」(ロマ書12:1)。 


 モーセの幕屋で青銅の祭壇は欲望や自我のような傷のない全焼の犠牲が献げられる。そこで出た灰は次に移る時には葬られた。過去の献身は将来の為には不十分で日々新たな献身が必要だ。祭壇は4角形で神の愛の十全性を表し、主は我々からも同じ愛を求められる。青銅の祭壇の様々な用具は祭司の肩に担がれ神が導く道を進んだ。その時には覆われ隠されて運ばれた。これは自分の十字架を誇ってはならない事を教えている。自ら負っている十字架を見せるな。青銅の祭壇は十字架を象徴しそのいけにえは私であり、貴方が十字架に架かったとみなされている。主の訓練だ。

0 件のコメント:

コメントを投稿