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ピーター藤・和子

2011年9月16日金曜日

キリストの処女降誕の科学的証明

 1982年1月、考古学者であり探検家でもあるロン・ワイアットにより衝撃的に発見された血液がある。


 その二千年前の乾いた血を塩化溶液に三日間浸して水和しなおしてから電子顕微鏡でDNA鑑定すると、この血は間違いなく人間のものであり、男性決定因子であるXY染色体を含む男性の血であった。ところが驚くべき事に通常ならば父親から23個、母親から23個、合計46個の染色体を持って産まれるはずの人間の血液が、この血に限って24個しか染色体を持たない男性の血であった。母親からの染色体しか持たない、科学用語でいう「半数体」の血液であり、それは部分的処女生殖によって生まれた人間の血液であった。部分的処女生殖とは、医学界で理論的には一般に認められている現象であり、母胎となる処女の卵巣付近に存在するY遺伝子が卵子と結合して、処女がXY遺伝子を含む胎児を出産できるという考え方である。この血液の発見はオーストラリアの探検家、考古学者であるジョナサン・グレイも確認した。この血液の持ち主こそ聖書に書かれている処女マリヤより生まれられた奇跡の人イエス・キリストである。


 世界が探している契約の箱が、何とエルサレムの郊外ゴルゴダ丘の十字架の真下の洞窟にキリストの血が付いたまま隠されていた。しかし、その後、この歴史的大発見がその地を支配するイスラム教徒と聖都奪還を強行的にでも願う多くのユダヤ教徒右翼派の間で対立を確実に激化させる大変な戦争の起爆剤になることを知ったネタニヤフ首相が中東和平実現の政治的目的から発掘も立ち入りも全面凍結してしまい現在もそのままそこに埋め戻されてイスラエル政府当局の機密扱いのまま眠っているのである。実際イスラエル政府が一度この契約の箱発見のニュースを実験的に流して第三神殿建設の可能性を公示して反応を調べた結果、1990年10月8日にシオンの丘大虐殺と呼ばれるユダヤ人とアラブ人の間に民族大暴動を引き起こし多数の死傷者を出す事件が起こった。 


 キリストが十字架で処刑されたどくろと呼ばれるゴルゴタの丘に3本の十字架を立てた穴がある。その真ん中には左右の十字架穴より約10cm高い岩床にある十字架穴があった。これこそキリストの十字架の穴である。紀元七十年以降に十字架刑の執行がローマから全面廃止され、その刑場跡には暫く教会が建っていた跡があった。そのキリストの十字架穴から大きな地震(マタイ27章51節)の際に生じた下の方向へ大きな自然の炸裂があった。十字架穴の下6mに洞窟がありそこを調査すると獣の皮で覆われた金の机と契約の箱が隠されていた。契約の箱は古代に物を保存する為によく使われた長方型の薄い石棺にすべてすっぽり収められており、その石棺の平らな上ふたは二つに割れており、割れたうちの小さい方が横にずれてそこに開かれた隙間ができており、小洞窟内の天上部のひび割れた裂け目にも真下に位置するその割れた石棺の開かれたふたの上にも中にも黒く固まった例の血がついていた。実に契約の箱は十字架の立てられたその現場のちょうど真下6メートルに位置していたのである。例の地震は十字架のちょうど真下の小洞窟に隠されていた契約の箱の空間にまで真っ直ぐさく裂が走り、ほふられた神の小羊イエスご自身が流された十字架の血潮が直接注ぐためだったのである。「アロンは民のための罪のためのいけにえのやぎをほふり、その血を垂れ幕の内側に持ってはいり、あの雄牛の血にしたようにこの血にもして、それを「贖いのふた」の上と「贖いのふた」の前に振りかける。」(レビ記十六・十五)。旧約時代は暗い至聖所内で動物の血が契約の箱のあがないのふたの上と前に振りかけられたが、新約時代は暗い地下の小洞窟内でイエスの血潮が契約の箱のあがないのふたの上と前に振りかけられたのである。事実この発見された契約の箱の上には、十字架穴から広がる岩盤のさく裂ずたいに真っ直ぐ流れ落ちた血の注ぎがそのまま黒く固まって張りついていたのだ。


 

7 Key Truth ロバート・ユーインの紹介その3ハワードキャッツ牧師による

 "たといあなたがたに、キリストにある養育係が一万人あろうとも、父は多くあるはずがありません"(第一コリント4:15)。ロバートユーインは私にとって教師以上の存在でした。彼を用いて主は内なる生活を研ぎすまされました。


  私はロバートに出会う前に17年間キリスト信者として生きていました。私は主に使えたいと願っていました。一方私はしっかり律法主義に根付いていて、その結果、最初ロバートに会った時に非常な用心深さをもたらしました(恵みと律法主義は油と水のようなものです)。だか、ロバートは私の中で霊的戦いが始まっている事を認めました。ロバートは次に会った時までのまる一年間継続して私の為に祈ってくれました。その事によって、かつて主がロバートに教えられた事柄を聴く備えを私の心に成し遂げてくださいました。数時間ロバートは律法主義について聖書を通して詳しく説明してくれました。私は神の恵みにより、私の心に照らし出された多年に渡って築き上げてきた律法主義をその偉大な掲示によって、注意深く粉々に粉砕できました。そして、最初の聖書研究は発展して一日に十時間が六日間に及びました。その6日の間中、最初から最後まで、神の臨在を非常に強く感じました。私が以前は実に決して理解できなかった神の言葉を通してです。私は例の6日間綿密にノートを取ったが、ロバートユーインは決して自分のノートを参照する必要はなく聖書から直接教えてくれました。

 それが私とロバートユーインとの関係の始まりでした。それからの八年間以上、私が彼をテキサスに訪問したり、彼が私をカナダに訪ねてくれたり、ロバートの何度かのヨーロッパ旅行に随伴したりしながら私のキリストにある歩みは一段と深くなっていきました。

  私にとって大きな衝撃だったのは、彼の教えがその一貫した主への献身全ての中で観察されていたことである。私は今までそれ程までにもキリストに完全な献身的な人物に会った事がありません。神はロバートを用いて私の魂を育成しまた導かれました。彼は実に使徒的な油注ぎと霊の父になる方法を持っていたのです。

牧師ハワードキャッツ
カナダ トロント在住

7 Key Truth ロバート・ユーインの紹介その1

人もしくは教会が7つの鍵の真理を理解して自分のものにするなら彼等はどこにおいてもどんな緊急事態にあっても対峙する事ができる。そして私が彼等に勝利を与える。」ある日曜日の夜の祈りの後で聖霊なる神が力強くロバートユーインに語りかけた。


  七つの鍵の真理とは、全教会の為の一つ一つの原型を据える幕屋の真理、主に信頼して憩う時多くの約束を自分のものとする安息の真理、 キリストの生涯における聖霊による七つの召命を通して見る克服の真理、カルバリの七重の苦しみからもたらされる七重の契約の真理、七つの世界に対する七つの経路をもつ支配の真理、義認・聖化・栄化の三重の救いの真理、時代区分の真理がその七つである。

  ロバートユーインから按手を受けた私も致知とした歩みでなかなか成熟に達しないのを先人達も歯がゆい思いで見てることであろう。しかし、信仰の導き手また信仰を全うするイエスを仰ぎ見ながら進んでいくばかりである。

  「しかし、堅い食物は、善悪を見わける感覚を実際に働かせて訓練された成人のとるべきものである」(へブル5:14)とある。そういう訳だから私達はキリストの教えの初歩を後にして完成を目指して進もうではないか。

ミッション・あどない・いるえ
代表伝道者 ピーター藤 正信
MissionJehovahJireh@yahoo.co.jp
ブログ http://missionjehovehjireh.blogspot.com/
Titter : http://twitter.com/#!/MJJ_PeterFuji
チャーチナビ:http://kirisutokyoukai.web.fc2.com/

規則に規則

 空車時右折禁止 Uターン禁止 バック禁止、交差点や横断歩道の前後五mバス停の前後十m以内での客待ちや駐停車厳禁、最高速度超過厳禁、等等」タクシー会社の営業所には所狭しとこのような張り紙がしてある。道路交通法に違反しないよう注意を喚起するための重点項目である


  東京のタクシー業界は免許制から規制緩和され許可制になり、タクシー数も急激に増加した。その結果激しい客争奪戦は渋滞やマナーの低下を引き起こしタクシー会社をなくすような厳しい取締や監査が陸運局等により行われるようになった。今や交通マナー厳守は絶対でありそれを守らないタクシードライバーは厳罰に処せられ退社させられる場合も増えているのである。

  旧約聖書の中にある律法はかつてはユダヤ人にとって生きながらえ幸いを得る為の絶対条件とも言えるものであった。ユダヤ人は手枷足枷のようになり苦しんでも守らねばならないのでそれは大変だった。

  しかし、その律法の呪縛から解放し魂に憩いと安らぎを与える為イエス・キリストが死なれ復活されたのである。律法を守り得ない私達が律法の行いによってではにくキリストを信じる信仰によって聖なる神様の前で正しい者と認められるとは何と素晴らしい事ではないか。

挨拶

 始発電車で東京に向う時駅員に挨拶すると必ず挨拶が返ってくる。東京から帰る時路地などで会う人に挨拶しても無言のままで挨拶が返らない事が多い。ところが、私の顔を見るなり「おはようございます」と声をかけてくれる人もいる。


  挨拶して挨拶が返って来たらまた挨拶してあげようと思い、挨拶が返って来ない人にはもう挨拶はしないでおこうと思うものである。また、自分から声をかけるよりかけてもらう方が気持ちよいものである。

  キリストはその生涯の中で出会った人にご自分から声をかけてくださったのである。ユダヤ人を恐れていた弟子達には「やすかれ」、イエスのしかばねを探していたマグダラのマリヤに「女よなぜ泣いているのか」、暑い昼間人目を避けて水を汲みに来たサマリヤの女には「水を飲ませてください」、取税所の前で座っていたマタイには「私に従って来なさい」と。

  今日神が出合わせてくださる一人一人に、主イエスの心を持って一言声をかけてあげようではないか。さすれば「よくやった、忠実な僕よ」と内住の聖霊なる神が声をかけてくださるに違いない。

海幸山幸

 東京は砂町銀座入口に海幸と言う人気で人が並ぶ寿司屋を見つけた。値段は全て一巻だが、新鮮さが違うし、ボリュームがある。一時間以上待ち食べる事になった人が待った甲斐あったねと納得していた。


  私も初めてきたのだがその経緯はこうである。その日私はしてはならないミスを犯した。その結果自ら招く事にはる状態を想像して自分に嫌気がさした。それで発想を転換して、こんなおめでたい自分を思い切り褒めてやろうじゃないか、そうだ、自分にご馳走しよう、そう決め込んで運転していて先の寿司屋を見つけ至福の食事をしたのである。

  ところで場所も内容も変わるが、福島県は南会津に福本屋という岩魚のフルコースを食べさせる民宿がある。岩魚を養殖してるのでこれまた美味しい料理が出て来る。加えて燻製にした岩魚を魚の形の徳利に地酒に入れて熱燗にするとあまりにも美味しい「あぶないお酒」になる(接待したお客様の話)。

  私達の祖先であるアダムは創造主である神さまの示された人としてのあるべき道からそれてしまい、その命令を破ったので土地は呪われ、人は一生苦しんで、額に汗を流して糧を得、食を得なければならなくなった。しかし、私達の救い主イエス・キリストが十字架の上で全ての呪いを受けて死んでくださった。私達にとって、穀物や野菜、果物、魚、鳥、家畜は神様が人に与えられたものであってしあわせを感じてよいものである。「人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物である

キリストの御体に属するバプテスマ

 「わたしはキリストと共に十字架に付けられました。もはや、わたしが生きているのではなくキリストがわたしの内にあって活きておられるのです。」


  この聖句は、キリストの御体に属するバプテスマについて教えている。キリストの御体に属するバプテスマを受けた私は、キリストにあってキリストと共に十字架に付けられキリストと共に死にキリストと共に葬られキリストと共に復活しました。もはや、かつての私が自分勝手に生きているのではなく、キリストの御体に組み込まれての私が信仰によりキリストが復活されたいのちによって生きているのです、と解釈すると解りやすい。

  神の御心を行いたいと願う霊と肉の欲求を満たしたいと欲する肉体が葛藤する私達の魂はパウロが言ってるようにこの世にあっては戦いの連続である。しかし、キリストにあっては勝ち得て余りあるのである。

  キリストにあって活かされている事をいつも覚えていよう。キリストと共に勝利者になる事に召されている事を心に刻み告白していこう。

二百三高地攻略戦

  日露戦争の時、要所である旅順の二百三高地において日本軍は決死的な総攻撃の結果勝ち取り、ついにロシア軍敗北をもたらしたのである。


  1904年の七月下旬の前哨戦からその年末までに行われた三回の総攻撃で日本軍は37、470名の死傷者を出した。対するロシア軍は29、877人の死傷者であって日本の方が遥かに大きな犠牲を払ったのである。しなし、その結果ロシアという大国に対して戦争賠償金等強く権利を主張できる事になったのである。

  神は私達の信仰生活も魂の領域において戦いがあるが、どんな大きな犠牲を払ってでもそれに打ち勝てば、キリストと共に勝利者になれると招いておられる。黙示録には七つの教会に当てられた七つのメッセージがあるが、そこでは七つの状況と七つの時代に対する勝利者に神の子供達すべてが招かれている。

  一人一人克服するものは異なるがキリストにおいて与えられる勝利の大きさに変わりはない事を感謝しよう。
 "He was nailed to the cross for me.
He was nailed to the cros sfor me.
On the cross crucify for me. Savior died .
He was naled to the clods for me.
"
と言うゴスペルソングがある。私が訳すとこうである。
"十字架に釘打たれ
我が為釘打たれ
苦しまれ死なれた   我が主
あなたを愛します
あなたに感謝します"

 この歌は家庭に恵まれないで育った若者が作った。あるクリスマスに人々がプレゼントをしたりされたりしている時、「そうだ、私の為にイエス様は十字架で釘で打たれ、罵られ、苦しめられ、命をくださったのだ」と悟り歌にしたのだ。

 「まことに彼は我々の病を負い、我々の悲しみを担った。しかるに我々は思った。彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は我々の咎のために傷つけられ、我々の不義のために砕かれたのだ。彼は自ら懲らしめを受けて我々に平安を与え、その打たれた傷によって我々は癒されたのだ」(イザヤ53:4、5)。この聖書の言葉はイエス.キリストが十字架の上で貴方と私の為に受けられた七つの苦しみと七つの約束が記されている。それは、精神的に傷つけられ、神に罰せられ、法に打ちのめされ、釘と槍で打ち抜かれ、ムチ打で傷つけられ、身代わりの体罰.折檻を受け、強制的に虐げられ抑圧されたのである。その一つ一つが私たちに益を与え、神に近づけ、癒しをもたらすのである。

  貴方の痛みを十字架の上で負われ苦しまれたが故に貴方を癒す事ができるキリストを見上げよう。人生のどんなマイナスもプラスに変えるキリストの十字架の死と復活を感謝しよう。

十字架の7つの契約

 1937年,英国のエドワード八世が王位を捨てて離婚暦のあるシンプソン婦人と結婚しました。二千年前、王の王・主の主であられる御子イエスは神の位を捨てて人の姿を取り、罪なきお方が私達の罪を負い十字架に付けられて死なれ贖いを成し遂げてくださったのです。価値なき私達が神の子となる立場を得る道を開いてくださいました

  値なくして頂くものが恩恵です。まさに、わたしたちは、神の恵みにより罪の刑罰から救われるのです。神の御子イエスが罪の贖いとなられて死なれ死の力を打ち破られて復活され、今も私達を救われ恵まれる方と信じる信仰により神の前に義とされ神の子とされるのです。その大きな恵みは七つに分けて表す事ができます。
 
  神は私達の1すべての罪を赦し、2全ての病を癒し、3いのちを墓から贖い出し、4いつくしみをこうむらせ、5あわれみをこうむらせ、6あなたが生きながらえる限り良き物をもってあなたを飽き足らせ、7あなたを若返らせて鷲のように新たにされるのです(編103)。

  神の恵みの豊かさを覚えましょう。その神の恵みの豊かさの中で味わわせて頂き、今日も生きていきましょう。